スポンサーサイト

 --------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)

「夢」の灯が消えた夜

 2008-12-21
20日の土曜日、エリエットおばさんのカフェ、「AU REVE」が閉店した。

閉店の数日前から、なるべくエリエットおばさんのところへ立ち寄るようにしていた。特に以前から常連のEは、「AU REVE」で過ごせる残り少ない時間を惜しみ、頻繁に足を運んだようだ。彼によると、毎日、デジカメを手にした客や、テレビ局か何かの撮影が押しかけていたらしい。まあ、それはそうだろうと思う。エリエットおばさんのカフェは、40年以上続き、彼女が若い頃は界隈に住む当時の有名な歌手や俳優が集まっていたそうだ。今までにも雑誌やガイドブックなどにとりあげられていたし、今夏はリベラシオン紙で記事になった。

最後の水曜日のランチは、私は仕事があったので行けなかったが、Eによると、二、三週間前から予約がいっぱいで、その日のランチは特別な雰囲気だったらしい。帰り際、常連たちがインテリアの中からそれぞれ好きなものをもらっていったそうだ。すでにその前から、たくさん飾られていた絵や写真が少しずつ消えていて、木曜日にはカフェの中はすっかり寂しい様子になっていた。Eはくたくたのパンダのぬいぐるみをもらってきた。いつもソファの隅で頭をもたげていて悲哀を誘うパンダだったが、シャッターを下ろすための取っ手からお客さんを守るという大事な役割を果たしてきたのだそうだ。背中の縫い目がほつれ、中のクッションがそこからだいぶ失われてしまったパンダは、かなりやせ細っており、特に首の辺りがすかすかなので、自然、頭がすわらずにうつむき加減になってしまう。私はエリエットおばさんのところへ行くたびに、このパンダが気になって仕方なかったので、Eがもらい受けたと知ったときは驚きと喜びで涙が出そうになった。その後、私とEがカフェに行ったとき、エリエットおばさんは「あのこのホストファミリーが見つかってよかったわ」と言い、3人とも少しセンチメンタルに黙り込んでしまったのだった。

閉店の日の午後、Eと買い物に出かける前にエリエットおばさんのところに寄ってコーヒーを一杯飲んでくことにした。夜になればきっと沢山の人が詰め掛けるだろうから、空いているのうちに一度エリエットおばさんに会っておこうと思ったのだ。たまたま私たちがお店に入ろうとしたとき、ミショーという芸人さんが真っ青なスーツを着込んで彼特有のいでたちでやって来た。彼もまたここの常連だったのだ。ミショーはバーカウンターの中に入り、エリエットおばさんとご主人の間にポーズをとり、写真を撮って帰って行った。エリエットは涙をふきながらミショーにお礼を言っていた。ミショーが出て行った後、私たちはコーヒーを注文し、ソファでゆっくりと新聞を眺めた。いつものカフェの風景だ。これがもうすぐできなくなるとは信じられない。30年来の近所の住人でエリエットおばさんと仲良しのSおばさんが私たちのコーヒーをおごってくれ、「またね」と挨拶して買い物にでかけた。

買い物からの帰宅途中、「AU REVE」の常連で、バーが忙しいときにはエリエットおばさんを時々手伝っている青年Nにでくわした。彼は箱入り(バッグ・イン・ボックス)ワインを買いにいくところだった。そういえば午後に立ち寄ったとき、Lが飲んでいたビールが樽に残っていた最後だと言っていたから、もうバーの飲み物がほとんどなくなってしまったのかもしれない。「飲み物が底をついたらお店を閉めてしまうのではないか」と心配になり、Eと私は慌ててアパートに戻って荷物を置いてエリエットおばさんのところへ向かった。到着したのは夜の7時半頃。カウンター周辺と奥のテーブル席は混み合っていたが、ソファーにはあまり人がいなかった。あまりの混雑でテーブルや椅子が押されて、座れるほどの隙間がなかったせいもある。Sおばさんがさっきと同じ場所で赤ワインを飲んでいて、私たちは彼女の隣の隅っこの席に陣取った。ここから一度離れたらもうそこに戻ってくることはできないだろうし、第一この人ごみでは他に居場所を見つけるのが難しいという感じで、Eと私はほとんど寡黙にそこに座り込んでいた。

9時過ぎ、突然カウンターにいた人々がこぞって外に出始めた。「爆弾予告でもあったか?」と笑っていたら、地元の小太鼓隊がそろそろやってくるという。この小太鼓隊は古くから界隈の住民、特に子供がやっていて、何かのお祭りやイベントがあると必ず現れる。カフェの最後の日、エリエットおばさんに敬意を表するために彼らはやってきたのだ。道路の反対側に横一列に並び、ひとしきり小太鼓を打ち鳴らした後、彼らは行進しながらこちらに向かってきた。とっさに気を利かせた大人たちが、道路に出て行って車を止め、小太鼓隊はその間をゆっくりと進んでくる。まだカウンターの後ろで立ち働いていたエリエットおばさんをみんなが大声で呼び、彼女が出てくると拍手が沸き起こった。誰かが何か読み上げていたが、よく聞えなかった。ただ、エリエットおばさんを称えている言葉だったのはたしかだ。エリエットおばさんはこらえきれずに涙を流し、周囲の人も涙ぐんでいた。エリエットおばさんがカフェの中に戻ってからも小太鼓隊は演奏を続け、しばらくしてエリエットおばさんは彼らに振舞うためのオレンジジュースをお盆にのせて出て行った。こういう昔ながらの風景がまだ見られるのは、パリでもこの地域だけだろうなあと思う。

エリエットおばさんのカフェもそうだ。人々と知り合う場であり、いつしかそこに集まるようになるという暖かい雰囲気を残す昔ながらのカフェも、もう少ないだろう。しばらく顔をみせなければ、カフェのマダムか常連の誰かが心配して電話をかけてくる、人情があって地元民に根付いたカフェが、いったいパリで何軒残っているだろうか。エリエットおばさんのカフェが閉まり、私たちはまたそんなカフェをひとつ失う。

私は「AU REVE」の片隅で、何時間も同じ場所に座り、何杯もワインを飲みながら、最後のひとときを過ごす常連客たちの顔を眺めた。この人たちは明日からどこへ行くのだろうか。実際、ここ数日、同じ質問を何度も耳にした。「これからはどこへ行く?」「一部の人たちはあそこに行っているよ」「うーん、雰囲気が冷たくて好きじゃないね」「あっちはどう?」「ちょっと高いね」・・・常連客たちはあちらこちらへちりぢりになっていくのだろう。そしてどこへたどり着くにしても、もう同じ場所ではない。

なんとなく大晦日のカウントダウンみたいな気分だなあと思いながら、時計を眺める。しかし大晦日と違い、12時を過ぎても何も起こらない。やがて時計の針が夜中の2時をまわった。いつもの閉店の時間だ。それでも誰かがかけ始めた音楽は鳴りやまず、人々はクロード・フランソワの往年のヒット曲で陽気に踊っている。エリエットおばさんも、いつものように片付けを始める気配がない。いつしか音楽はアコーデオンのシャンソンに変わり、男女が自然と肩を抱き合い、ワルツを踊る。誰も終わることを望んでいない。やがて3時が過ぎ、エリエットおばさんがとうとう「みなさん、閉店の時間です」と告げた。いつもなら不平を言ったり「もう一杯」と粘る客も出る閉店の合図だが、このときばかりは拍手が起こった。それからもしばらく音楽が続き、踊り続ける人、抱き合ったりビズを交わす人々でごった返した。エリエットおばさんが電気を消し、カウンターを手伝っていたNと他の数人がテラスのテーブルと椅子を中へ仕舞うと、客たちはようやく帰り始めた。Eと私も、顔見知りの常連たちひとりひとりに挨拶をして戸口へ向かった。カフェの前の路上では、まだ去りがたく立ち話をしている人々がかたまっていた。いったん外に出てしまってから、「二度とこのカフェに足を踏み入れることができないのだ」という考えがふと頭に浮かび、名残惜しく振り返った。しかし、もう終わってしまった。エリエットおばさんのカフェの明かりは消され、真っ暗だった。Eは後を見ずにどんどん歩いていく。遅れまいと、私もEについてゆるやかな坂をのぼった。

エリエットおばさんの「夢」という名のカフェには、俳優や劇場関係者、映画監督、画家、また普通のサラリーマンや学生などが多く集まった。そこで人々は出会い、元気づけられたり励まされたりしたことだろう。「夢」の灯が消えても、エリエットおばさんや、そこで知り合った人たちの明るい笑顔は忘れられない。そして彼らに分けてもらった暖かな気持ちも、いつまでも胸に残しておきたいと思う。

elyette et picsou
スポンサーサイト
コメント












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://hibinoawa.blog10.fc2.com/tb.php/699-86e5f079
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。