スポンサーサイト

 --------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)

オリンピック、又はスポーツの祭典

 2008-04-14
パリでのオリンピック聖火リレーの余韻が少なからず残っていたこの週末。

ル・モンドでは「聖火が揺らめいた日」と題し、リレーの経過を追った記事がアップされています。
Le jour où la flamme a vacillé
LE MONDE | 12.04.08

© Le Monde.fr

正体不明の謎の聖火警備団(パリ警察は彼らのはっきりした人数も身元も把握していない)、「青い服の男たち」は何者であったか…というと、ル・モンドによれば特別攻撃隊だとか。
「英語もフランス語もできない」そうだけれど、フランス側のオーガナイザーとはどうやって連絡しあったのか…。っていうか、コンタクトなし??
朝日新聞では、中国側の説明によれば、この「青い服の男たち」はボランティアの学生で、トレーニングは積んでいて、英語の他、フランス語、日本語などで「止まれ」と指示することができると書かれていたんだけど…。

それから、金曜日にはル・モンドに、フランス国内スポーツ・オリンピック委員会の委員長、アンリ・セランドゥールが「競技者が人質に」というタイトルで寄稿。スポーツの祭典としてのオリンピックの擁護と、聖火リレーの妨害行為を非難する論調です。
まず、このセランドゥールが「オリンピック精神の普遍的価値」と言っているところからして私は気にくわない。(っていうか、何に対してであろうと、軽々しく「普遍的価値」と呼ぶことに賛成できないんだけど。)「オリンピック精神の普遍的価値」って何のことなのでしょうか…。

さて、オリンピックのボイコットに対して、「スポーツと政治は分けて考えるべきだ」という意見がよく聞かれます。
私は、子供の頃、たしかモスクワ五輪で日本がボイコットを決定して、金メダル候補と言われていた柔道選手が「4年間、オリンピックを目指して努力してきたんだから、行かせて欲しい」と泣いて訴えているのを見て、「国がそうやって決めちゃって、それを押し付けられる選手は可哀想。スポーツと政治は別にして考えるべきじゃないか?」と思いました。
それから月日を経て、その間に見た五輪で五輪に対する見方は変わってきました。
例えば、開会式を見ていて、「国によってどうしてこんなにも参加選手数が違うのか?」と思ったり。
「どうしてそんなにオリンピックを招致したいのか?」「どうしてオリンピックのスポンサーになることが重要なのか?」「ストップウォッチの下に必ず名前が出ているのは公式スポンサーなんだっけ」などなど…。
そんなことは誰しもが考えていることだと思いますが。

さて、「スポーツと政治を分けて考えるべき」という命題に戻ります。
ボイコットに反対する理由としてこの命題を立て、これを展開することは可能でしょう。そしてそれが論理に適っていれば、かなりの正当性は引き出せると思います。
でも、この命題自体、この問題に対してたてられるに相応しいものかどうかをちょっと考えてみるべきではないでしょうか。

私が「それは間違っているのではないか」と感じるのは、オリンピックのボイコットを問題として「スポーツと政治を分けて考えるべき」というとき、「オリンピック」=「スポーツ」としてみなされて論じられていることです。「オリンピック」は単なる「スポーツ」ではありません。よく言われるのが「世界各国が集まるスポーツの祭典」ですが、「祭典」の部分で、すでに純粋なる「スポーツ」ではないわけです。その「祭典」の部分によって開催国にもたらされる経済的効果や政治的効果がある。セランドゥールがル・モンド上で、オリンピック委員会が得た利益をちゃんと分配していると弁護していますが、オリンピックで上がる収益というのはオリンピック委員会が得る利益だけでは済まされないはずです。
それから「世界各国」といっても、万国が同じように参加できるわけではないでしょう。環境や経済的な理由により、ある国々で全く行われない競技もあるし、例えば(これはひとに指摘されて「なるほど」と思ったのですが)肌を露わにするユニフォームをつける競技にイスラム圏の女性が全く参加していないこともあります。

だから、オリンピックのボイコットについて「スポーツと政治は分けて考えるべき」という意見には、どうも賛成しかねます。

後ずさりして「オリンピック」=「スポーツ」というのを受け入れるとして、そもそも起源がオリンピアにあり…とか言うのなら、じゃあギリシャ時代のスポーツとは何であったのか、例えばプラントンが推奨する「スポーツ」(よく「gymnase」、すなわち体操と訳されていますが、アラン・バディウはスポーツとも訳していました)とは何であったのかと考えてみれば、国家や政治と関係ないと言えるでしょうか?

Img214034884.jpgところで、今回、注目を浴びた聖火リレーですが、もともとは1936年のベルリン五輪から始まったそうです。これもひとから教えてもらって驚き、インターネットで調べてみました。オリンピアの火をスタジアムに灯したのはその前のアムステルダム大会(1928年)が最初らしいですが、オリンピアからリレーで会場まで聖火を持ってきたのはベルリン大会が初めて(こちらを参照)。その意図がどこまでのものだったのか、いまいちわかりませんが…その意図如何によっては、「リレーなんてもうやめてもいいかも…?」という気がします。

フランスに関してオリンピックのボイコットの前例を挙げると、モスクワ五輪があります。1980年の夏季オリンピックには、アフガニスタン侵攻を理由に、アメリカをはじめとして日本を含む多くの国がボイコットしました。フランスは開会式をボイコット。また、競技の方のボイコットの決定は連盟に託され、乗馬、ヨット、射撃の3種目で不参加。この大会ではフェンシングで金メダルを得ましたが、表彰時に国旗掲揚はなく、フランス国内スポーツ・オリンピック委員会の旗が掲げられたのだとか。不参加を決めた乗馬では、チームが良いコンディションに仕上がっていただけに、監督は多少ショックを受けたらしい。しかしオリンピックで二度の優勝経験のあるピエール・ジョンケレス・ドリオラは、「モスクワに行くということは、見ない、知らないという態度を受け入れることになる…私はモスクワ五輪にノーと言う…」とル・フィガロ紙で訴えたそう(こちらを参照)。

しかし、オリンピックの中身、競技会を楽しむために人々が集まることで、開催国の政治・経済情勢が変わることもあるかもしれません。モスクワ五輪に参加し、フェンシングで金メダルを獲得したフィリップ・ボワスは「もしかしたら、プレッシャーにも関わらず参加した人たちが、ペレストロイカへ向かっていた状況を前進させたのでは?」と述べています。

フランスの世論調査では、相変わらず「開会式ボイコット」に賛成多数、「競技をボイコット」には反対多数です。
スポンサーサイト
コメント












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://hibinoawa.blog10.fc2.com/tb.php/675-c8199dda
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。