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ギィ・モケという少年

 2007-11-04
(更新にちょっと間があいてしまいましたが、前回の続きです。)

ギィ・モケの手紙を教育機関で読むようにというサルコジからの通達には、教員からだけでなく、共産党内からも反発がでました。

共産党員がこの問題に敏感に反応したのは、ギィ・モケが共産党員であったこと、またレジスタンス運動で共産党員が活躍したことなどから、「ギィ・モケは新自由経済主義を推奨するような大統領とは対立する共産党のもの」という考えが背景にあったのでしょう。

実際にレジスタンス運動に参加した共産党員、またそのために命を落とした共産党員は数多くいたようです。戦後のフランス共産党の躍進は、そうした「レジスタンス」のイメージのおかげもありました。しかし、歴史を再検してみれば、共産党が戦後、ギィ・モケのイメージを利用してきた面があるともいえるかもしれません。その点において、今回「サルコジが歴史を政治利用している」という批判が出たときに、「それは今に始まったことではない」とする逆批判も出ています。これについては後述します。

さて、肝心のギィ・モケですが、どういう人であったか、フランス国民には一般常識としてよく知られているのかどうか、ちょっと疑問に思いました。

私自身、ギィ・モケの名前は知っていましたが(パリ市内に地下鉄の駅があります)、どういう経緯で銃殺されたのかよく知りませんでした。そこで、仏版ウィキペディアのギィ・モケの項目でお勉強。

20071105001007.jpgギィ・モケは1924年4月26日パリ生まれ。彼の父親、プロスペール・モケは、鉄道労働組合員で共産党員、パリ17区の議員でした。1939年、独ソ不可侵条約締結後、フランスの共産党は解散、プロスペール・モケは議員の資格を剥奪された後、他の共産党員らと共にサボタージュや軍の士気喪失に関与した罪でフランス政府に逮捕され、アルジェリアにあるフランス人強制収容所に送られました。父親の逮捕にショックを受けたギィ・モケは、政治活動にますます熱を入れることに。彼は、母親や弟と共に、ノルマンディー地方マンシュ県に一旦疎開しますが、一人でパリに戻り、青年共産党の仲間に加わります。そして政治ビラの配布などをしていました。1940年10月15日、地下鉄の東駅で、ギィ・モケは共産主義思想の政治宣伝活動をした罪で逮捕されます。パリのサンテ刑務所などを経て、1941年5月15日にロワール・アトランティック県シャトーブリアンにある収容所へ送られました。ここには、1939年9月から1940年10月の間に逮捕された共産主義者たちが収容されていました。1941年10月20日、ナントでドイツ司令官のカール・ホルツが3人の青年共産党員に暗殺されるという事件が起き、ナチスはこれへの報復としてフランス人銃殺を指令します。これ以前にもフランス国内でのドイツ人暗殺があったため、ヒトラーはドイツ人一人につきフランス人100人の死刑を望んだといいます。カール・ホルツ暗殺事件では、最初にヒトラーから50人銃殺の指令が下り、48人が処されました。その後、犯人が捕まったため、ヒトラーは残り約50人の処刑を諦めたそうです。パリ軍司令官であったシュテュルプナーゲル将軍は、大量銃殺に反対し、また「良いフランス人」を守るため、選定基準として共産主義者を指定しました。カール・ホルツ暗殺の報復として銃殺に処されたのは、シャトーブリアン収容所から27人、ナントの囚人16人、パリの刑務所に入れられていたナント出身者5人でした。この「シャトーブリアンの27人」にギィ・モケが入っていたのです。他に、パリ15区の共産党議員だったシャルル・ミッシェル、パリ地区の製鉄業労働組合CGTの書記長だったジャン-ピエール・タンボーなどがいました。ギィ・モケは、銃殺に立ち会うことを引き受けた神父に「私が一番若いので、歴史に残るでしょう」と述べたと伝えられています。

さて、近年、ギィ・モケがレジスタンスであったかどうかは、歴史家の間で疑問が付されています。
ギィ・モケが共産主義や社会主義に傾倒していたことは間違いありません。彼が逮捕されたときに持っていた詩というのが残っていますが、そこには「我らの国の謀反人ども、資本主義の手先たち、奴らをここから追い出そう、社会主義を築くために」と書かれています。
また、1940年当時の共産党にとっては、反ドイツという国家的要求よりも、市民の生活保護や労働者の権利といった社会的要求の方が優先課題だったそうです。共産主義者の中には、独ソ不可侵条約締結後、党から離脱し、レジスタンス運動に向かった人たちもいましたが、ギィ・モケの父親、プロスペール・モケはそうではなかったという話もあります。また、ギィ・モケが配っていたビラは、特に市民生活の窮乏を訴える内容でした。「産業界のボス(シュナイダー、ド・ウェンデル、ミシュラン、メルシエ〔…〕)、ユダヤ人であろうがカトリック教徒、プロテスタント、フリーメーソンであろうが、皆、金銭欲に満たされた精神によって、労働者階級への憎悪によって、我らの国を裏切ったのであり、外国による占領を余儀なくさせたのだ〔…〕サン・トゥアン大通りの貧民街の労働者から、エトワール広場近辺の会社員、バティニョールの公務員をはじめ〔…〕、若者たち、老人たち、未亡人たち、皆が貧困と闘うことで一致している…」と書かれていたそうです。ギィ・モケにとっての敵は、ドイツ軍よりも、私腹を肥やした資本家であり、貧困であったということでしょう。そう考えると、「ドイツ占領に立ち向かうレジスタンス」という像と一致しなくなります。

それなら、サルコジが「レジスタンスとして若い命を失った者」としてギィ・モケを称え、人々の胸をうつ最後の手紙を読ませようというのは、どこかズレていないでしょうか。

実際、多くのフランス人は、ギィ・モケを若きレジスタンスとして敬意を表してきました。それは、戦後、共産党が自らをレジスタンス運動の立役者であるとし、党員であったギィ・モケも「若く情熱に燃えて死んだレジスタンス」であったとして宣伝に利用したため、世の中の理解がそのように広がったのではないかと推測されます。そして今回、そのような批判が出ていました。

では、どうしてこのようなズレた見識のままで大統領はギィ・モケの手紙を読まそうというのか。

個人的な感想ですが、私は、「レジスタンス」の「国を守る闘士」、「愛国者」という面を取り上げ、「若い命を失った」ことが人の心を打つという点を利用した、一種の「政治操作」のように感じます。そして、共産党のものであったギィ・モケを右派である自分が取り上げることで、「左右の対立を越えたフランスを築く」というパースペクティブを印象づけようということなのだと思います。

しかし仮にギィ・モケがレジスタンスであったとして、レジスタンスが単に「愛国者」であったと言えるでしょうか。レジスタンスとは、それと同時に、ドイツ軍の占領下にあったヴィシー政権に対する抗いでもあったはずです。事実、共産党がレジスタンスに参加したのは、このラインに導かれたところもあったからだと思います。だから、マリー-ジョルジュ・ビュッフェがブラン・ムニルの高校で、レジスタンスとは「不当なこと、差別に出会ったとき、それへの参加を促されるもの」と言ったことは正しいと思います。

現大統領がギィ・モケの手紙を、ある一つのイメージのもとに読ませようということ、それは「何か」が捻じ曲げられ、「何か」のある部分が隠されているように感じます。その「何か」とは、多分「歴史」であり、しかしそれはユニヴァーサルに決定されて刻み付けられるそれではなく、解釈しなおされつづけるべきものだと思います。

もう一つ、付け加えておくならば、ある観念のために死んだ人を「神話」に置き換え、一つの「象徴」として利用することは、テロ組織、ファシズム、スターリニズムに共通する特徴ということが、ちらっと頭をよぎりました。(そういえば、ギィ・モケの「神話化」であるとして反発していた教師もいました。)
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コメント
稀に見る良ログですね。

詳細に関する意見を措いて、
その意を送ります。

【2007/11/05 01:51】 | Simon #NwqzF3Bo | [edit]
どうもありがとうございます。
【2007/11/06 21:58】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
独ソ不可侵条約破棄までは、党としてのフランス共産党は、コーラボだったというのは、もう通説でしょう。ありゃ、レジスタンスでも何でもなくて、スターリンがあっち向けばあっち向くし、こっち向いたらこっち向くという単なる傀儡政党でした。その後もスターリンの命令でドイツ占領軍に対する無思慮なテロに出たために、他の愛国レジスタンスグループ、一般市民もかなり迷惑したそうです。

ギ・モケ個人については、関心も沸かないのでよく知りませんが、およそ個人崇拝、美化は、それ自体が既にプロパガンダである証拠です。私はサルコジ政権を基本的には支持しますが、こういうクダラナイことを聞くと、他にやらなきゃならんことあるでしょうが、とため息が出ます。
【2007/11/21 05:57】 | QRM #sTSi41/s | [edit]












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