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「陳腐な悪」、アンティゴネ

 2007-02-22
モーリス・パポンが昨日(21日)、友人や家族に見守られ、埋葬されました。ヴュイユマン弁護士は、約束どおりにレジオン・ドヌール勲章をモーリス・パポンと共に棺に入れたそうです。「ド・ゴール将軍の手から贈られたレジオン・ドヌール三等勲章は、モーリス・パポンの霊を永遠に見守る」と述べています。
式に参列した人々の中には、レジスタンス勲章受勲者連盟の代表であるオリヴィエ・ド・サルネッツ(フランソワ・バイルーの右腕であるマリエル・ド・サルネッツの父)の姿も。彼は「個人的に」参列したそうですが、モーリス・パポンの有罪判決は「ゆるしがたく」「馬鹿げている」とみなしており、「ドレフュス大尉の有罪判決と同じくらいの醜聞」と述べています。なぜなら「モーリス・パポンは常に共和国に敬意を表し、対独協力に参与するなど絶対になかった」から、とのこと。
モーリス・パポンが埋葬された墓地では、警察による警備があり、特にトラブルはありませんでしたが、入り口付近では、「レジオン・ド・デゾヌール(『不名誉軍人』の意味。ちなみにレジオン・ドヌールは『名誉軍人』)」と書かれた黄色い星を胸につけた人や、「この名簿の中には、96歳でベッドの中で死ぬことを望んだだろう人が沢山いる」として強制収容所へ送られたフランスのユダヤ人名簿を掲げた人などが、自らの感情を表明。
ヴュイユマン弁護士は、埋葬を終えて墓地を出たところでブーイングを受けていました。

参照:
Yahoo Franceより

「Maurice Papon a ete inhume en Seine-et-Marne avec sa Legion d'honneur」
ところで、第二次世界大戦中のナチス犯罪、特にユダヤ人虐殺に関する当時の高官の裁判というと、どうしてもアイヒマンのことが想起されます。内容云々に関わらず与えられた仕事を冷静に効率的に遂行することが、有能な高官の必要条件であったし、実際にそうしただけだと主張するアイヒマン。ハンナ・アレントが「陳腐な悪」と呼んだもの。

実際には、モーリス・パポンの裁判が行われていた期間、フランスにすでに滞在していたとはいえ、私は全くと言っていいほど報道に注意しておらず、裁判の様子などは知りません。歯がゆく思うのは、モーリス・パポンがどのような態度で裁判にのぞんだのかわからないこと。どうもふてぶてしい印象があるのですが、告訴されている事柄について、彼がどう思っていたのかわからない。どのような気持ちで任務をこなしていたのか、それを誇りに思っているのか、それとも後悔したり恥ずかしく思ったりしているのか。ユダヤ人犠牲者の家族によれば、「一度も謝らなかった」「最後に人間らしさをみせてほしかった」ということなので、有罪判決になっても謝罪らしき言葉などはなかったのでしょう。
パポンはアイヒマンのように、軍人として立派に務めたと自負していたのかどうか…。

極右政党FN党首のジャン-マリー・ル・ペンが、モーリス・パポンの死に際して「彼はスケープゴートだった」と言っています。たしかに、他にもヴィシー政権でユダヤ人を強制収容所へ送る対独協力をした役人は沢山いるはず。しかし、戦後、しかも長い時間を経て、裁判が行われて有罪となったのはモーリス・パポンのみ。(昨年、フランス国鉄のSNCFがユダヤ人輸送を行っていた事実を示す資料が見つかり、起訴されて有罪となりましたが、こちらは個人ではなくひとつの国家機関としてなので、やはりパポン裁判は特別だと思います。)フランスは戦後、ナチス占領下で国家を代表するものでありつつ対独協力をしたヴィシー政権のことを、振り返って直視することがなかなかできなかったのではないでしょうか。1980年代にヴィシー政権についての議論が湧き起ったそうですが、その発端となる歴史の本を書いたのはアメリカ人であったし、ジャック・シラク大統領が「国家の過ち」と認めたのは戦後50年も経ってから(1995年)。

しかし、もしそれが一つの象徴として裁判されなければならなかったとしても、単なるスケープゴートではないでしょう。実際にその行為をしたのは彼自身であるのだから。
「陳腐な悪」と共に思い出すのは、アンテイゴネの悲劇。倫理を冒して国の作った法に背かざるべきなのか。

折りしも、日本では「君が代」の伴奏を拒否した教師が校長に罷免され、違憲であるとして訴えた裁判で敗訴がほぼ決定したというニュースがありました。たまたまミクシィでそのニュースを読んだので、人々のコメントをひろってみたら、あらまあ、「決まりが守れないなんて公務員として失格」とか「違憲以前に、職務放棄なんだからクビになって当たり前」などといった意見が大半で、胸の中に暗い穴を穿たれたような心持がしてしまった。こういうことを言う人たちは、「陳腐な悪」について考えたことなんてないんだろう。
国家の法なんてなんぼのもんか。それは変えようとすればいくらでも変えられるものだ。
大体、「君が代」なんて、10年前は、まだ国歌だけど国歌と制定されていなかったじゃないか。それはつまり、国歌と認めない思想も残っていたということ。それを法として制定したのは国家。結局、上から決められただけなのだ。
また、「教員が個人的な思想を押し付けるな」という意見も見たけれど、じゃあ国家が学校に教えるように指示している思想のことはいいんだね?学校は国家のイデオロギー装置だからね。と念をおしておきたい。
「嫌いだから教えないなんておかしい」というコメントもあった。これが「単なる好き嫌いの問題」のレベルにされるとは…。
ナショナリズムとパトリオティズムの境で、どうにも最近の日本の若い世代との間の決定的な断絶、若い世代には消滅・欠如していて自分の世代に依然として残っているものを感じる今日この頃。

話は戻りますが、アンティゴネの悲劇をなぞると、どんな批判をされても、国家に勲位を剥奪されたモーリス・パポンの棺に勲章を入れたヴュイユマン弁護士は、一見、アンティゴネの姿と重なるかもしれない。しかし、ヴュイユマン弁護士が背いたものは何の法であるのかを問わなければそうとは言えない。ここには、アンティゴネの悲劇の中にないものが舞台にあがっている。それはモーリス・パポンの犠牲者たち。

他方、レジスタンス勲章受勲者連盟の人が言っていたを考えると、モーリス・パポンは、任務遂行の傍ら、本当にレジスタンスに協力して名簿からユダヤ人の名前を消す努力をしたのかもしれない。

自分がパポン裁判を追っていないので、このあたりは何とも判断がつきかねます。
ヴィシー政権も、そうしなければフランス自体が滅びたのだと反論されれば、あまり強いことは言えない気がしてきます。
それでも、モーリス・パポンについては、もうひとつ考慮するべき大事なことがあります。
モーリス・パポンは、アルジェリア国民解放戦線のデモのとき、パリ警視総監として、かなり暴力的な鎮圧をしたのです。血の流れた事件でした。これは、やはり警視総監である彼の責任だと思います。ヴィシー政権と違って、そうしなければフランスが滅びたとは言いかねる事件です。それが国家に忠誠を表した軍人的な態度だというのなら、結局はそういう人、権力と武力で抑えようとする人だったということでしょう。そういう人が、人権重視の現在のフランスでも本当にレジオン・ドヌールに値するのかどうか。

また、経歴を見ると、どうも権威志向の人だったように思えます。そういう人が、勲位を剥奪されても最後まで勲章という飾り物にこだわっていたと考えると、なんとも哀れな気さえします。彼にとっては、ド・ゴール将軍から直接手渡された勲章がひとつの大事なシンボルだったのでしょう。裁判によってひっくり返された人生の終わりに、一時期の名誉であるそのシンボルにすがっていたのかと思うと、その裏返しに人知れず辛酸を味わっていたということかもしれないと考えたりします。
勲章で気が休まるのなら、持っていったらいい。ただし、その勲章は彼にとってしか意味がない。
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