ピエール神父逝去
2007-01-22
例年にない暖かさが続いた一月、再び気温が下がってきた今朝方、ピエール神父逝去の一報が。今朝(1月22日)午前5時25分、入院先のヴァル・ド・グラースで亡くなられました。94歳でした。
ピエール神父は、フランス人で彼を知らない人はいないだろうと思うくらい有名であり、主に尊敬の念をもって語られる人物。特に「エマウス」という生活支援団体の創設者として知られています。
実際、フランス人に最も好まれている人物として1988年から2003年までの17年間、最上位に名があがっていました。その後、自身からの申し出により、ノミネートされなくなりましたが。
今夜、フランスのTVニュースはピエール神父の訃報を大きく報じました。国営放送フランス2は、夜の番組予定を大幅変更して、ピエール神父の活動を描いたドラマ(ランベール・ウィルソンがピエール神父役!)を放映、深夜の討論番組もピエール神父がテーマ。フランス人にとってピエール神父の存在がいかに大きかったかを改めて感じました。

ピエール神父は、それ以前、1949年にエマウスを創設。更に溯って、戦時中は、ナチス抵抗運動に身を投じ、ユダヤ人逃亡の手助けをしていました。その当時に使った仲間内の通称が「ピエール神父」(本名はアンリ・グルーエス)で、これがそのまま彼の呼び名になりました。
エマウスは現在でも全国各地で活動しており、ボランティアで働く人の数もかなりの数にのぼります。折りしも「ドン・キホーテの子供たち」の活動が注目を集め、住宅に関する新たな権利への討論が再燃していたところ。ピエール神父が50年以上も闘ってきた貧困は、まだまだフランス社会に広く存在しています。

生前、ピエール神父は「死とは、影からの脱出である。私はそれを望んでいる。生涯を通じて、私は死ぬことを望んでいた」と述べていたそうです。
自身の信仰を保ち、闘いつづけてきた神父。どうぞ安らかにお眠りください。
参照:
ピエール神父についてはフランス語版ウィキペディアが詳しい。
また、今回、ピエール神父の活動道程をかいつまんでまとめたAP通信の記事「L'abbe Pierre: une vie de combats」(フランス語)が読みやすくわかりやすい。
ル・モンドもピエール神父の生涯大きく扱っています。
葬儀等の情報についてはこちら↓を参照しました。
ところで、私事ですが、先週の金曜日から建物の中央暖房と給湯が壊れているようです。今までにも、朝、シャワーを浴びようとしたらお湯が出なくて「ひょぇぇ~~」となったことは2、3回あるのですが、いつも半日くらいで直っていました。今回は週末をはさみ、更に月曜日の今日も直る気配なし。シャワーが浴びれず、仕方ないので、台所で大きな鍋に熱湯を沸かし、浴室に移動させてからバケツに入れ替えて水で適温に調節し、タオルで湯浴み。洗髪など、思いっきりに頭を逆さにしてバケツに突っ込み、朝から頭に血が上って気持ち悪くなったよ…。早くなんとかならないか~。先週末は日中15℃くらいという暖かさだったので助かったけれど、今日など寒くて動けない。以前、中央暖房でないアパートに住んでいた時は、電気代を心配してなるべく戸別暖房をケチったもんで、寒さに耐える毎日を送っていたことを思い出せば、たしかに今の状態に慣れてしまったのは贅沢に過ぎたのかもしれない。しかし、引っ越してくるときにここんちは中央暖房ときいて、昔買ったオイルヒーターは友人に譲ってしまったため、現在、暖房は一切無し、ということろが以前に比べてマイナス。(それに、いくらなんでもお湯は使えた。)今日はあまりに寒くて午後いっぱい何もする気になれず、布団にくるまってじっとしていたのですが、路上でまるまって動かない人の気持ちがよくわかった。ベッドがある分、かなり恵まれているが。
といわけで、住居もなく寒さに耐え忍ぶ人々に思いを馳せ、ひっそりとピエール神父のご冥福をお祈りしています。
といわけで、住居もなく寒さに耐え忍ぶ人々に思いを馳せ、ひっそりとピエール神父のご冥福をお祈りしています。
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