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クラフチェンコ事件 その1

 2006-12-05
先日のシンポジウムで取り上げられたテーマの中で、幾つか日本ではあまり知られていないらしいものがあったので、少し触れてみたいと思います。

その中の一つが、クラフチェンコ事件。これはフランスでは結構有名なようです。



クラフチェンコ事件は、元ソ連共産党員のヴィクトール・クラフチェンコが出版した暴露本に関連して起こった裁判が、当時のフランス社会を震撼させたもの。
以下、フランス語ウィキペディアのクラフチェンコ(Victor Kravtchenko)の項から。
ヴィクトール・クラフチェンコは1905年10月11日生まれ。エンジニアの資格取得後、ウクライナのドンバス地方で働く。1929年にソ連共産党に入党。第二次世界大戦中は赤軍で大尉を務め、その後ワシントンのソ連商工会議所に異動。1943年、アメリカ合衆国で政治亡命を申請した。この裏切り行為に、ソ連は彼の身柄引渡しを要求。しかし、アメリカは亡命を認め、クラフチェンコは追跡を逃れるため偽名を使って生活。その後、結婚し、二人の男の子をもうけたが、彼の過去のことは息子たちに知らされなかった。1946年、クラフチェンコは「I choose Freedom」という本を出版。この本の中で農業国有化の実態、ソ連の強制収容所の存在が暴露された。彼はスターリン政権下で行われた強制的な国有化の結果、ウクライナの農民たちが貧困を強いられている実状を目の当たりにしており、共産党に失望していたのである。この本はフランスでも翻訳され「J'ai choisi la liberte」というタイトルで出版され、物議をかもした。特に、当時勢力があったフランスの共産党の間からはクラフチェンコに対する多くの抗議が上がった。中でも共産党寄りの雑誌、「Les Lettres francaises」は、この本がアメリカ諜報部のでっち上げであると非難した。クラフチェンコはこの雑誌の記事に対して名誉毀損で訴えを起こした。1949年、「世紀の裁判」と言われたこの裁判は、100名以上の証人を集めた。ソ連はクラフチェンコの元同僚や前妻などを証言台に立たせた。一方、クラフチェンコ側はソ連強制収容所の生き残りを連れてきた。その中には、ドイツ共産党のリーダーだったハインツ・ノイマンの未亡人で、かつてグラクに送られた経験のあるマルガレーテ・ブーバー-ノイマンもいた。彼女の証言は、ソ連とナチスの近似性を告発する反共産主義を援護することとなった。1949年4月、クラフチェンコが勝訴。その後、彼はペルーに渡りエンジニアとして働いた。一財産を築いた後、アメリカ合衆国に戻ったが、彼の両親が強制収容所送りとなったことを知って酒浸りの生活を送った。1966年2月24日、アパートで死体が発見された。頭部に銃弾が撃ちこまれており、自殺とみなされた。しかしその死は謎であり、息子はKGBの仕業であると信じている。

このクラフチェンコ裁判は、非常にサスペンスと感情の盛り上がりが多い裁判であったという。これについて詳しく書かれたフランス語サイトより、以下、一部抜粋して要約。
この裁判に、ソ連が証人としてフランスへ送った前妻ジナイダは、クラフチェンコがアル中で暴力的であり、経済的援助を一切残さずに家族を捨てたのだ、と証言した。それに対し、クラフチェンコは、彼らの息子が人質になっている為にジナイダが自由に発言することができない、と反論した。そこで、クラフチェンコは彼女の父親がどこで亡くなったか、公のその場で言うように要求した。ジナイダはためらった後、1938年に肺炎で死んだと述べた。クラフチェンコは、それは嘘で、粛清のときに収容所に送られて死んだのだ、と叫んだ。クラフチェンコはジナイダに白状するよう繰り返し要求したが、前妻はそれ以上語ることを拒んだ。傍聴席はどよめき、共産党員たちはクラフチェンコを黙らせようとしたが無駄であった。ところで、ジナイダは常に小さな婦人に付き添われていた。ソ連はNKVD(内務人民委員部:ソ連の政治警察)メンバーの付き添い無しには市民を外国へ送らないのであって、それは「安全のため」と称した監視のためであった。その日の夕食の席で、ジナイダはついに泣き出し、フランス側のノールマン弁護士に「父親は収容所で死んだ」と打ち明けた。翌日、彼女は帰国させられた。

(続く)
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コメント
クラフチェンコの息子アンドリューさんとお会いしました。検索していてこのサイトを見つけました。日本語であまり紹介無い為に大変に参考になりました。アンドリューさんの製作したフィルムを観ました。 (2)の続きを楽しみにしています。
【2008/11/20 03:44】 | アンディ #- | [edit]
新聞による、最近の動向によりますと、老若を問わず、日本人のロシアへの関心は激減の一途との事です。出版業界も、一部発行者を除き、ロシア関係の著書の発行は少ないです。最近白水社によりオーランドー・ファイジズ(1959年生れ) による大著 ”囁きと密告(上・下)”の訳本が発行されました。 クラフチェンコ事件についても、それによって知りました。工学系の人間として現役を過ごして来ましたが、より大きな世界を見て行きたいと思っています。
【2012/01/10 13:25】 | KT #- | [edit]












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