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「移民系の暴動」とは何か

 2006-11-01
前回からの続きとして、fenestraeさんの昨年12月8日のページを参照にさせていただきつつ、もうひとつ、「移民系の暴動」と呼ばれることについて。

fenestareさんが訳してくださった総合情報局のレポートの抜粋に、以下のような部分があります。

「シテの若者たちは、必ずしも民族的あるいは地理的な出自だけによるのではなく、フランス社会から排除されているというその社会的境遇に基づく強い自己アインデンティティの意識をともなっている。」「問題地域の若者たちは、その貧困、肌の色、名前によって不利をこうむっていると感じている。」

これは、暴動を起こしている者に関する報告の一部です。ここで報告書の筆者は「シテ(郊外集合住宅)の若者たち」について述べていますが、「移民系」という言葉は使用していません。

ところで、前々回紹介したミュッシェリ氏とドゥロン女史によるレポートの中で、「〔暴動によって検挙されているのは〕ほとんどが16歳から18歳で、多数が『移民出身』、主にマグレブ系である。彼らは、土台はしっかりしているが社会経済面で不安定にさせられた家族の出で、社会的な面で脆弱である」という見解がありました。
これを読んで、「だからやっぱり『移民系の暴動』、『マグレブ系移民の子供の暴動』なんでしょう」と言う人はいると思います。もし「多数」が全体を表すという考えを容認するならば、論理的には間違っているといえません。しかし、二人の研究者が書いた簡略な結論の二つ目の文への着目の仕方で多少見方が変わってくると思います。
「彼らは〔…〕社会的な面で脆弱である」というのが、「移民出身」を修飾した付属的な情報でしかないと捉えたならば、「移民出身」が「暴動」の主体になるでしょう。このとき、「移民出身」の定義は読者に任されたままになります。「社会的な面で脆弱である」ことは、読者が思い描く「移民出身」に後から付け加えられる一つの情報でしかないわけです。
しかし、二つ目の文はレポートの筆者がいう「移民出身」が何を指すのかを具体的に説明しているものだ、と解釈すれば、多少事情が変わってきます。「移民出身」というとき、それは知らず知らずのうちに社会にハンデを負わされることを意味する、とするならば、「暴動」の主体は「社会的な面で脆弱」な者であると言えます。

さて、先のfenestraeさんのページからの引用に戻ると、「シテの若者たちは、〔…〕フランス社会から排除されているというその社会的境遇に基づく強い自己アインデンティティの意識をともなっている」とあります。この「シテの若者たち」こそが「暴動」の主体であるわけですが、シテの住民の多くは移民系家族であり、そこから「多数が全体を表す」方式により、「暴動」の主体は「移民系の若者たち」と言われました。しかし、総合情報局の報告書は、「シテの若者たち」の「社会的境遇に基づく強い自己アインデンティティの意識」の面に注意を向けています。彼らは社会的に「不利をこうむっていると感じて」おり、この点で、ミュッシェリ氏とドゥロン女史によるレポートが述べている「社会的な面で脆弱」という指摘と合致します。その社会的な不利が「貧困、肌の色、名前によって」であると、総合情報局のレポート作成者は考えており、その前の文で「必ずしも民族的あるいは地理的な出自だけによるのではなく」とわざわざ断っているところをみると、移民出身者を想定していると考えられます。が、この場合、「移民出身」であることは付随的であり、社会的な「不利をこうむっている」ことが「社会的境遇に基づく強い自己アインデンティティの意識」につながっていると読め、この筆者が強調したいのはこちらの面でしょう。

昨年の暴動は主に問題の多い郊外地域で起こっているので、その主役は「郊外の若者」と見るのが自然だと思います。しかし、なぜひとはそれを「移民系」とカテゴライズするのか、なぜそのカテゴリーを当てはめるのか、そのように括ることで何をいわんとしているのか。そこに潜んでいる考えを問い直してみることで、違ったアプローチが生じてくるのではないかと思います。
また、そこには短絡に移民問題に結びつけ、極右的な方向へ引っ張られる危険性もあります。「移民系」という語に「他国から来た移住者の子供」という意味だけを与え、「暴動を起こすのは悪い輩」「暴動を起こしているのは移民系」「移民系は悪い輩」というヘタな三段論法に導かれる可能性です。
「民族的な暴動」というときは尚更、なぜそう呼ぶのかを問うてみるべきだと思います。

しかし、「移民系」の意味するところが「社会的な不遇に会っている者」であるならば、「移民系の暴動」ではなく「郊外シテの若者の暴動」と呼ぶべきなのではないでしょうか。その行為者たちに移民系を多数含むといっても、残る少数は非移民系(こういってよければ「生粋の」フランス人)であり、その少数が多数と共に「暴動」全体を構成し、また、「暴動」の性質を特徴づけていると見なすならば、「暴動」がどういうものかを言い表わす「○○の」という形容からその少数を排除するべきではないでしょう。
また、反対に、シテ以外に住む移民系家族もいます。移民系全体が「社会的な不遇に会っている者」なわけではありません。
つまり、「移民の暴動」と呼ばずに「シテの若者たちの暴動」と呼ぶ方が適切だと思います。

と同時に、この「暴動」を「誰」のものかと考えるとき、「シテ」に対する社会差別と「移民出身」に対する差別の両方が浮き出てくるように思います。実際にそういった二つの差別が現実のフランス社会に存在していると感じているので、どちらか一方のみが問題にされて他方が忘れられたり、二つを一緒にしてしまったりしないよう、議論が続けられるといいなと思っています。

フランス人たちは「移民系の暴動」とはあまり公言しません。そう呼ぶのは差別的であると見なされていますし、「郊外の暴動」と呼んでいます。しかしそれは逆に、移民出身者への無意識の差別に対して目隠しとなっているかもしれません。
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