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ル・ピュイ紀行 その2

 2006-07-31
次はお隣りの小高い岩の上に立つサン・ミッシェル礼拝堂へ。
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奇岩の上に立つ教会が不思議で、これを写真で見たときからル・ピュイに興味を持ったのでした。

暑さの中、マリア像から起伏のある道を歩き、礼拝堂へ通じる岩を登る前にすでに息が切れ切れ。この岩は82mの高さ。階段の途中にあったベンチで休みながらのぼると古い石造りの礼拝堂が見えてくる。それはとても小さな聖堂でした。
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これはGothescalk(ゴテスカルク?)というル・ピュイの司教によって建てられたもの。彼は、950-951年、フランスで初のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の先頭に立ち、戻ってきたとき、聖ミカエル(フランス語でサン・ミッシェル)に捧げる礼拝堂をエギュイーユ岩の上に建てることを決意。962年7月18日落成。
中に入ると、天井にフレスコ画がうっすらとあるような…。修復は難しいのでしょうか。
祭壇の脇の壁に、小さなガラスケースがあり、その中にキリスト磔像が入っています。暗くてよく見えないので、背伸びをしながらじっとのぞいていたら、案内係の青年がやって来て懐中電灯をかざして中を照らしてくれました。彼の説明によると、1955年の改修工事の際、昔の正確な祭壇の位置を知ろうと床を掘って探っていたところ、小箱がでてきて、蓋を開けてみると宗教的なオブジェがいくつか入っていたという。そのなかの一つ、キリスト磔像は木でできており、指の部分など細かい彫刻がほどこされているため、非常に壊れやすいもの。そのため、出所をはかるために一部を採取して科学的分析を加えることもできないとか。しかし、おそらく10世紀のスペインのものだろうとのこと。また、一緒に発見された銀の十字架は多分12世紀のイタリアのもので、ビザンティン風の彩色が施された布はトルコ由来のものと推定されており、箱の中に入っていたオブジェは時代も国も一致しないらしい。この箱は非常にうまく隠されていて、ほんの偶然で発見され、誰がいつ何の目的で隠したのかわからない、ということです。うーん、面白いなあ~。

礼拝堂から降りていくと、入り口の切符切りの女性が「あちらでビデオが見られますよ」と教えてくれ、階段を脇に入っていくと、また別の小さな建物がありました。そこでは、エギュイーユ岩は湖の下の火山の噴火によってできたらしいこと(つまり、大昔はこの一帯が湖だった?)などが説明されていました。ビデオの方は、最後のほうをちょっと見ただけ。英語とドイツ語の字幕つきでした。

そういえば何故かドイツ人がたくさんいたような…。観光地に行けばたいてい出会う日本人も、ル・ピュイでは全然みかけませんでしたね。

夕方、一端ホテルに戻り休憩。
夕食の後、夜の町を散策。
モニュメントたちがライトアップされています。
サン・ミッシェル礼拝堂
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ノートル・ダム・ド・フランス(マリア像)
20060731211935.jpg

大聖堂の正面
20060730180045.jpg

大聖堂の塔
20060731211817.jpg

大聖堂の周辺は、石畳の細い路と古い建物が多く残されていて情緒豊か。
夜の闇と静けさの中、中世のかおりが残る町をゆっくり散歩するのは、昼とは違った趣がありました。
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