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サッカー考・ワールド・カップによせて (ジダン編)

 2006-07-13
14juillet前夜祭です。去年と同じく、音は聞こえど姿は見えず、の花火。イライラするというか、もう諦めモード、どーでもいいです。あげたいだけあげとけ、花火。って気分。

さて、衝撃の決勝戦から昨日のジダンのTVインタビューまで、フランスのメディアにとっては、まだワールドカップが終わっていません。

今日なんか、ル・フィガロを見たら、Opinionのコーナーが全部ジダン関係。そこまで深刻か?と逆に白けました。というか、そういうのって胡散くさいというか、阿呆くさいというか。

正直に言って、ジダンの退場、私はすごくショックでした。そして試合の流れでは押していたフランスがPKで負けて、くやしかったし、本当にがっかりでした。熱中しすぎたせいと、解説者のコメントは耳に入ってなかったせいなどで、冷静な分析を述べることは不可能…っていうかもともとにわかミーハーファンなんだからそういうのはできないんですけど、それに加えてあまりにショックで語れなかった、語る気にもなれなかったという。

でも、後から、自分の中で納得いかないことなどを考えると、やっぱりムラムラとムカついたり、「なんか言いたい」みたいな気分になったりして、それに加えて、本当はワールド・カップが終わる前にサッカーの社会的イメージについて書きたいなーと考えていたこともあり、今回、吐き出しておこうと思います。

で、まず、ジダンの、レッド・カードをくらった行為について。
「ヒーローがあんなことして、子供たちに何て説明すればいいのか」という大人には、「debrouillez-vous(自分で何とかしろ)」と言いたい。
大体、ジダンが「神」とか、そんなのメディアが仕立てあげたんじゃないの?それで、それにのせられたか、自分たちが彼の技に魅せられて、そうやって崇めてただけなんじゃないの?私のようなにわかファンでも(とういか、だからかもしれないけど)、ジダンが余計なファールをする人だってことは知ってたし(予選でも、ゲームにあまり関係ないところで相手を突き飛ばしてイエローをもらってるし)、たまにキレるってことは知ってたし、あのレッド・カードで「ジダンが人間になった」というメディアの言い回しはおかしいと思う。それは、まるでジダンが急変したみたいな言い方だ。でも本当は、自分達の目が覚まさせられたのだと思う。サッカーが上手いことと、人間的にまたは道徳的に模範となるということは、同じことではないのに、いつの間にか「サッカーのヒーロー」が「人間的なヒーロー」にとって代わられる。これはジダンに限ったことじゃなくて、昔からそうで、私にはこれが疑問だった。例えば、有名な野球選手が飲酒運転で捕まったとなると、社会問題になったりする。その問題の核心は「子供たちのヒーローが法律を犯して云々」ということだったりする。だけど、スポーツのヒーローと人生の模範を一致させてしまうのは、観客側の勝手だと思う。スポーツに秀でているから道徳的に優れているとは限らないであろうに。ジダンが、子供たちへの支援やその基金の援助などで知られていることは、サッカーのヒーロー像にモラル的ヒーロー像を付け加えたかもしれないが、この二つのヒーロー像はもともと別のものだと思う。そして、この二者が揃わないとなかなか国民的なヒーローになれないと思うけれど、ジダンはそれが揃ったところで、後者に影をつくるような点(時々キレるとか、ボールを取られるとすぐファールしがちとか)が忘れられてしまったのかもしれない。
メディアにのせられたにせよ何にせよ、ジダンをサッカーのヒーローとしてだけでなく人生の模範だと思い込んでしまった私たちには、どちらにせよジダンを許すことしかできないと思う。ジダンが変わったのではない。私たちの見方が変わったのだから。私たちがジダンに「模範例」を要求してきた面もあるのだから。
そして、子供たちに、ジダンを人間的手本とするように言ってきた大人は、自分達がジダンをよく知らなかったことを省みるべきだ。「アイドル(偶像)」を見ているのだということを意識するべきだ。
ジダンの行為を見て、子供たちが「ヒーローが侮辱に対してああいう反応をしたんだから自分もやる」と真似して暴力を正当化したらどうするのか?と心配する声を2、3、新聞で見かけた。だけど、そう言う人に聞きたい。その子供の身近にいて、直接に教育する人は誰なのか?ジダンなのか?発言者自身ではないのか?もし発言者自身がそうやってジダンを非難することで、自分の教育の責務をかわすのなら、その人は自分の教育に自信がないのだろうと思う。

とはいえ、ジダンの行為は、私もとてもショックだった。でもそれは、その行為そのものよりも、それによって退場になり彼のキャリアがあんなかたちで終わったことがショックで、悲しかった。(それから、彼自身、あのようにプロの舞台を去ることは不本意だったと思うし、彼自身が傷ついたと思う。それを考えると切ない。)このショックは、ジダンの行為を認めること、彼自身が全面的に受け止めること、彼を許し、慰めることでしか和らげようがないと思う。
結局、愛する人のことは許すしかないのね~、と思う…。

そして、ジダンの行為を許容することで自分を慰めることは、マテラッツィを責めることなしに行われなければならないと思う。マテラッツィがどんな言葉を吐いたのかわからないが、それがどんな言葉だったとしても、ジダンの行為それ自体が(レッド・カードに値するほど)深刻であったことには変わらないと思う。
マテラッツィが悪い奴だったらジダンがそれに反比例して正当化され、マテラッツィが真摯な奴だったらジダンがそれに反比例して悪党視されるというのは、何か違うと思う。ジダンの行為は、それ自体として、サッカーのルールに則って判断され罰せられた。マテラッツィの発言内容は、ゲーム規則の外にある。だからまた別の問題だと思う。
例えマテラッツィの言った言葉が大したことなくても、私はやっぱりジダンを許したいと思う。(「許す」というのは、ずいぶん偉そうですが…。他に言葉が見つかりません。「許容する」ということで。)
しかし、正直に言うと、マテラッツィはそれほどひどい言葉を言ったわけではないんじゃないか、と思っている。彼が自分で言っているように、巷で、またはサッカーの試合中に誰もが何度も耳にしたような類の侮蔑的な言葉だったのではないか、と。ただ、そういう言葉で挑発するのは当たり前でジョーシキである、だから自分は悪くないと主張するのだったら、そういう感覚ってまた問題だよなー、と思う。
で、多分、あの時、たまたまその言葉がジダンの神経に触れちゃったんだろうな、と思う。だからジダンが「あまりにひどい言葉だった」と表現するのは、彼にとっての現実であったと思うし、それがマテラッツィや他の人にとっては「それほどひどい言葉ではなかった」と判断されたとしてもおかしくないと思う。


で、あと、サッカーの社会的イメージなどについて。
ここまでは勢いでガーッと書いたんですけど、やっぱりもうちょっと考えをまとめてから、書けたら書こうと思います。
(尻すぼみでした…。)

※7月14日ちょっと修正+補足。
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コメント
shibaさんの考え、私もほぼ同感です。

日本でも、ニュース番組等で日報道されてますが、なんでこんなに騒ぐのか、理解できません。
的外れな内容も多いです。
【2006/07/14 00:27】 | Zel.co #3.qd4xgI | [edit]
ず~っっっつとコメントしようと思っていたまま。今日初めてコメントさせていただきます。

Zel.coさんと同様に、私もshibaさんの考えに大きくうなずきました。
プラス、ジダンに対する気持ち(感情)の面で、思いっきりウンウン。って。
(∴すごく嬉しくなってのコメント。)

…私はあのレッドカードの後、涙がとめどなく溢れて仕方ありませんでした。
何が悲しかったって、本当にshibaさんの表現している通り。
翌日はニュースなども避けてしまいました。
でも、日本の友達から様子を報告するよう指令(?)を受けて。仕方なく情報を得るためにテレビをつけましたけど(笑)。

何はともあれ、現実は消せない、一生(以上?)本人についてまわるので、その中でジダンがジダンらしく生きて欲しいと今は切なく思うばかりです。
【2006/07/14 09:29】 | ヌヌルスじゅんた #- | [edit]
>Zel.coさん
的外れな内容、ありそうですねー(苦笑)。
フランスの報道は、やっぱりジダンに同情的です。
ジダンを庇うあまりにマテラッツィを必要以上に非難したり憎んだりするヒステリックな反応をしてる人、多分いると思うんで、本国としての報道も一歩おいて見るべきかなーと思います。

>ヌヌルスじゅんたさん
初コメント、ありがとうございます。
私は、決勝戦にはほとんどトロマティゼでした(笑)。じゅんたさんも同じですか。
多分、あの頭突きは「伝説」に昇華されるだろうと思うのですが、過去のこととして笑って語られる日が(皆と同じくジダンも)早くくるといいなと思います。
【2006/07/14 13:47】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
こんにちはshibaさん。ぬいぐるみに反応したoeufでございます。覚えていてくださってるかしら?はさておき、ずっとここ最近のジダンの報道とか周りの印象とかにもやもやとするものがあって、吐き出したいんだけど吐き出せない。そのうえ、だいたいサッカー知らないし、フランス人主人もまるでサッカー見ないし。で言える立場でもないなーなんて思っていたのだけれど、shibaさんのおっしゃっていることを読んで、そこだわ。となんかすっきりしたのでうれしくて書いております。
日本での報道もなんかとても変な感じで、最初はジダンが極悪非道でしかもキャリアを一時の思い入れで棒にふった思慮のない行動に出た、みたいな論調が多かった気がするんです。でもその後、言葉の暴力うんぬんで今度はジダンがなんか歴史的に刻んでおくべき名言をいったすごい人、みたいな扱い方(この捉え方はあくまで私が感じただけで本当に書かれていた文章がそうだったわけではないですけど)になっていて、相手のイタリア人のほうが心配になってきちゃうぐらいひどい言われ方になってきたりしています。
でも、本当に、「しかし、正直に言うと、マテラッツィはそれほどひどい言葉を言ったわけではないんじゃないか、と思っている。」に同感です。ただ、相手がそういうことを言われるのが普通な文化に居なかっただけ。それで極端な反応に出られて、マテラッツィだって傷付いていると思うんですよね。ジダンも言われ慣れてなかった(あるいは軽く流すことに慣れてなかった)言葉を最後の10分間で言われちゃったから。よくある(というと語弊があるかもしれないけど)カルチャーギャップなんじゃないかなー。日本はヨーロッパって同じ文化をもってカルチャーギャップなんて起こさないという幻想をもっているけれど、本当は全然そんなことないじゃないですか。それが形になっただけのような気がします。
どっちもそのことを認めてしまえば話はもっと違う方向にいくのかも、とも。
主人が国際文化交流会館みたいなところに日本語を習いにいっているんですが、そこのボランティアさんかなにかの日本人に「ジダンってあんなことをするような人なのに、まだフランス人は彼が好きなのですか?」と質問されたといっていました。それもまた、なんか誤解してるな、と。
フランスでジダンの頭突きソングがはやっているそうですが、実はそれで笑い飛ばせるぐらいが本当はちょうどいいバランスなんじゃないかな、とちょっと思ったりしています。(長くてすみません...)
【2006/07/17 02:14】 | oeuf #- | [edit]
>oeufさん
覚えていますよー。再来、ありがとうございます。共感を覚えてくださる人がいて、ちょっとほっとしています。
かなり感情的でもあったので、後から自分の書いたことを読み直して、「なんかちょっとズレてるかな?」と考えちゃったりしてますが…(苦笑)。
ジダンはイタリアのチームにいたこともあるし、サッカーのプレー中に選手が相手を侮辱する言葉を吐いたりするのはしょっちゅうらしいので、そういう状況を全然知らなかったわけではないと思うんですけれど…やっぱり、延長戦、点が入らない、体力的にも辛い、みたいな色んな条件が重なったのも原因かな?と思ったりします。
そうですよね、マテラッツィも傷ついているでしょうね。試合後のインタビューで「ジダンは昔から僕の憧れの選手」と言っているそうだし、二人の間にしこりが残らないように、この一件もまるく収まるといいなーと思います。
でも、マテラッツィが、「そんなにユニフォームが欲しかったら後で交換してやる」と言ったジダンがすっごく横柄な態度だったのでムカついたと言っていますが、私は逆に、ジダンったらエスプリきいたこと言うじゃんって思って吹き出してしまいました。イタリア人のマテラッツィにはこのフランス的ユーモアが通じなかったのかな?なんて思ってしまいました。
【2006/07/17 22:18】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]












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