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「哲学試験は何の役に立つのか?」

 2006-06-14
今週月曜日(12日)に始まったバカロレア試験。初日は哲学でした。出題はこちらのブログに(引用されてるドゥルーズ、かっこよすぎて涙がでます)。

さて、フランスは、他の様々な名詞(「文学」とか「美術」とか)と並んで「哲学の国」とも形容されるわけですが、実際、高校で哲学が必修科目なのはヨーロッパの中でもフランスだけらしい。理数系のバカロレア試験(といっても「一般バカロレア」ですが)にも哲学の試験があるというのは、日本社会的視点から考えるとちょっと意外に感じられるかもしれません。哲学の授業を選択制にして、情報処理など現代的なものを盛り込むのはどうか、という話はずいぶん前から出ています。

というわけで、「哲学試験は何の役に立つか?」というお題。
A quoi sert l'épreuve de philo ?
LE MONDE | 13.06.06

© Le Monde.fr
っていうか、「高校で哲学が必修なことの是非」という感じですね。

※()は原文通り、〔〕は訳注。



「哲学試験は何の役に立つか?」

パリ13区、ロダン高校。バカロレアの哲学記述試験は、原則として正午に終了する。しかし、11時15分には多くの学生が中庭を徘徊している。彼らは特にS課(科学系)とES課(経済・社会系)の生徒で、哲学は彼らにとって重要な科目ではない。

他の約516000人のバカロレア受験者と同じく、18歳のジュリアン・メオラノ君は、6月12日月曜、哲学の試験を受けた。しかし彼は〔試験時間4時間のところ〕3時間足らずで答案を終えた。「哲学と僕、その二つは別々のもの。僕の得意分野ではないです。それに、僕はES課だし、哲学の得点調整係数は4だけ。例えば経済だとその係数が9なんですよ。どっちにしろ、今朝はひどい出題しかなかったですね。僕は『真理より幸福を優先すべきか?』という小論文を選びました。難しかったですね、授業では幸福について勉強する時間がなかったから。」

有名なフランス的特異性、哲学とは、何の役に立つのか?ジュリアン君は試験に受かったかどうかはわからないが、ひとつ確信していることがある。「僕にとっての哲学はもう終わりました。僕は看護士になりたいんです。もう専門学校の入試に受かってます。」彼は自分の哲学教師が型にはまりすぎだと感じた。初期雇用契約(CPE)に反対するストの間、授業には数人しかいなかったため最も活気があったと聞いたが、彼は出席しなかった。「最初、僕は高校を封鎖してたんです。それから重要な授業、数学とか経済の授業に出席しました。でも哲学の授業には行かなかった。」


ピエール・ロンネ君、17歳、ES課。彼は反対に、素晴らしい教師にあたったと断言する。「授業は活気があったし、親近感があった。楽しかったです。でも何の役にも立たなかったですね。僕と友人達は、『係数のちっちゃい』科目には出席しませんでした。」彼の友人、セバスチャン・ドルー君はさらに尖鋭的だ。「フランスは、高校で哲学が必修になっているヨーロッパ唯一の国だとテレビで聞きました。それは普通じゃないですよ、選択にすべきです。」ジュリー・アムロさん、18歳、S課の彼女は、哲学は「他のことを知る」手助けになったと認めるものの、基本的には彼らの意見に同意する。「もし選択できるんだったら、哲学はとらず、かわりに第3外国語を勉強したと思います。」今朝、彼女は「経験は何かを証明することができるか?」についての小論文を選び、実験科学を参考にしながら記述した。

「代替不可能」
正午、L課(文学系)の生徒の集団が、騒ぎながら彼らを待っていた友人達の歓声の中にやっと出てきた。高校生受験者の11%弱を占めるLの生徒たちは全力を尽くした。というのも、彼らにとって哲学は最も得点調整係数が高い科目なのだ。マリオン・ルパージュさん、17歳、L課の彼女は、「時間から逃れようとすることに意味があるか?」という主題を選んだ。非常にインスピレーションを受け、死へ導く「自然的時間」や活動力の源泉である死の観念への抵抗、カルペ・ディエム〔ラテン語で「今という瞬間をつかめ」「この一瞬を生きろ」という意味〕の哲学、整形外科手術とアンチ・エイジング製品、低温生成などについて論じることができた。「最初は、哲学って、バカロレアを受けるためだけに丸暗記しなければならない概念ばっかりの、抽象的な内容のものだと思っていました。でも間違ってました。哲学は日常の生活の色んな場面に適応するものです。例えば、いつも欲望を満たさなければならないとか、欲望を抑えることを覚えなければならないとか…愛の欲望についてだったら、それは大事なことです。この冬、私は誘惑に負けようかという状況に陥りました。そのとき、ちょうど哲学の授業で欲望という概念について勉強していたんです。それが自分の考えを整理するのに役立ちました。誘惑に負けるというのは、安易な解決法だけど、幸福に達する手段ではないとわかったんです。」

18歳のエリー・サルロン君も哲学が好きな生徒のひとりだ。彼にとって、哲学はまず慎み深さの教訓となった。「僕はいつも頭のなかにたくさんの考えがあって、自分の愚論に流されるままになっていました。そして、それが独自的で天才的だと思っていました。授業中、すでに多くの人がそれをみんな考えていて、しかも僕よりずっとうまく説明しているということがわかったんです。」

アラン・リエジョン、43歳、ロダン高校の哲学教師の一人である彼は、午前中に試験監督をし、今は楽しげな雰囲気を味わうために、少しの間中庭にとどまっている。哲学は高校で何の役に立つのか?彼は微笑んだ。「すぐには何の役にも立ちませんね、芸術と同じです。でも長い目でみれば、その有用性は明らかです。なぜなら哲学は一般教養の土台ですから。そして、一般教養は、若者が社会人生活の中に身を落ち着けるのを手助けしてくれるものです。」彼は公共機関における選抜試験を例にとる。「能力が等しい二人の候補者の違いは、外界に対するオープンさの度合いという点でみられるでしょう。その点に関して、哲学は代替不可能です。すべてのレベルにおいて同じです。というのも、私は教師になる前、長期失業者と共に働いていました。そこでも、採用面接の際、資格が同等の場合、外界に対して自分自身を位置付ける能力がより高い人を選びます。」

リエジョン氏は、哲学が高校の最終学年で必修科目でありつづけることを望む。「哲学がすべての人に向かう唯一の機会です。しかも、科学より文学的な学科というわけではありません。」何より、高校生に哲学史を教えることは無駄だと彼は考えている。「蓄積する知識の教育であってはなりません。逆に、主題が何であろうとよりよく論証することを学ぶ方法であるべきです。もし自分の論拠をうまく呈示できるということが生活の中で何かの役に立つのなら、哲学は何かの役に立ちます。」

この点について、ロダン高校のこの教師は、著名な同業者、リュック・フェリーとは立場を異にする。リュック・フェリーは大学教授で、2002年から2004年まで国立教育相を務め、哲学の著作を20冊以上著している。哲学教育を改革しようとしたフェリー氏の試みは、教師団体の抵抗にぶつかった。フランス的特異性を理解する為には、フランス革命直後まで溯らなければならないと、リュック・フェリーは説明する。「早くも1793年から、投票権を行使するために、また良い市民であるために、必要とされる資格について大議論が起こった。哲学は、若者に市民権の行使の準備をさせる手段と考えられていた。第3共和国以来、哲学は、数々の学問に君臨する女王の座まで高められた。この共和国的伝統は現在、永続している。」

「生徒に期待することは、自分の考察や批判精神を発揮できること、論証できることである」、そしてこうした考え方は、「哲学史と重大な著作の教育を減じて」主要な哲学的概念(真理、良心、欲望、芸術…)を教育するという考えとペアになっていることを、元教育相は残念がっている。偉大なる著者のテキストは、そのままで研究されるに値する著作としてではなく、考察を手助けするための「松葉杖」としてしか使用されない。バカロレアに承認される哲学?その点でも、リュック・フェリーは次のように批判する。「この学科がバカロレアのような試験に属するという事実は、異論の余地ある問題に思える」と。
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コメント
哲学の有用性。「最初の哲学者」の故事にはこの問題の起源があるようにおもわれます。

DKA9
プラトン
タレスが天文研究をしようとして、…上を見ていて井戸に落ちたとき,機転のきく愉快なトラキア出の下女が彼をからかって『あなたは天空のことをお知りになろうと夢中になっていらっしゃいますが、ご自分の目の前のことや足元のことにはお気づきでないのですね』と言ったという話がある…」。
(『テアイテトス』174A)

DKA10
アリストテレス
…タレスが貧乏であることから、人びとが彼に向かって、哲学は無益だと言わんばかりに非難したところ、彼は天文学によってオリーヴの出来具合を見通し、いまだ冬の間にわずかな金子を工面して、ミレトスとキオス島中のすべてのオリーヴ搾り機の手付けを打ったが、競り合う相手がなかったために、それらを安価に賃借することができた、というのがその話である。やがて実りの時期が到来すると、大勢が突如として一斉に器械を捜し求めたので、彼はいかようになりと自分が望むままの条件で賃貸し、多額の金銭をかき集めることができた。そうして彼は、「哲学者にとって、もしその気になれば、裕福になることは容易であるが、ただし、それは本気で取り組むべき事柄ではない」ということを示してみせた、というのである。
(『政治学』A11.1259a6)
【2006/06/15 02:35】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
結局、哲学の「有用性」を問うとき、哲学とは何かを問わなければならなくなりますね。
【2006/06/18 22:23】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
「哲学とは何か」という問題は、ハイデガーもいうように、哲学という学の本質そのものに属しています。
タレスにとっては天空に関する知識が哲学に属しています。そして興味深いのはこの知の無益な部分が「本気で取り組むべき事柄」とされていることです。したがって「無益な天空の知識」というものを想像してみることがミレトス学派にとっての「哲学」を考えるうえで要請されることになります。
【2006/06/19 02:44】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
とりあえず、ソクラテス以降、哲学は「知を愛する学」ってことで。
【2006/06/19 15:56】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
そうですね。ソクラテス以降に何かが変わったというのが、ニーチェとハイデガーの意見です。「ソクラテス以前」という用語も慣例になっていますし。
【2006/06/20 01:42】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]












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