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モンフェルメイユのテンション

 2006-06-03
今週初め、パリ郊外モンフェルメイユで若者達と警察の衝突がありましたが、その後は沈静化している模様。週明けはlundi de pentecote(ペンタコスト:キリスト教で復活祭後の7度目の日曜日の次の日、聖霊降臨祭翌日の月曜日。ユダヤ教では五旬祭、過越の祭から数えて50日目)の祝日で、長い週末となるため、機動隊が配置され、治安警備が続いているようです。

水曜日の「ル・フィガロ」によると、この衝突は、バスの運転手への暴力事件の容疑者(他の強盗事件の容疑者でもあった)逮捕の際、その容疑者の母親が激しく抵抗したため、警察が母親に催涙ガスをかけたこと(母親は侮辱罪で数時間勾留された)、また逮捕された容疑者は公衆の面前で警察にズボンを脱がされたことが、付近の若い住民たちに「ひどい侮辱」と受けとられ、火がついたらしい。
また、木曜日の「メトロ」では、ボスケ-モンフェルメイユ住民連合会の会長を務めるアビブ・アダ(26歳)が「警察官達が集合住宅地に手錠をかけられた青年と共にやってきた。そして彼の母親と他の皆の前で恥をかかせるために、青年のズボンを下げた。彼の母親はその扱いに激昂し、警察官らが彼女にガスを浴びせて手錠をかけた。彼女は留置所で一晩過ごした。それが本当に起こったことです」と述べています。

060531094700.bi5efv7x0_des-jeunes-devant-un-feu-allume-dans-une-rue-de-mob.jpgル・フィガロ紙の同じ記事では、ボスケ地区に住む若者達が警察の扱いに憤りを感じていること、また、市長に対する不満があることなどが載っていました。
警備員をしているある青年は「自分の母親に触れたりしたら、その警官を殺すだろう。そういうとき、頭では考えられない」と言ったそうです。
ボスケ地区は、モンフェルメイユ全体の3分の1の人口が集まっているところ。そのうち50%は外国人。ボスケは「市長が視野に入れたがらない黒人、アラブ人、パキスタン人、トルコ人らのバンツースタン(アパルトヘイト時代の黒人自治地区)」であり、瀟洒な一軒家が立ち並ぶ向かい側の地区と対照をなしている、と若者達は感じているという。
メトロ紙にも、ボスケ地区に隣接して、ブルジョワ的地方都市といった趣きの街ができていることが書かれています。前述のアビブ・アダは「ボスケはボルロー(現内閣の雇用・社会結束・住宅相)計画の恩恵を受けることになっています。高級アパート建設のために建物が取り壊される予定です。そこに住むには月2000から3000ユーロの収入が必要でしょう。現在の住民は他のところへ移ることになる。市長の目的は、ル・ランシー(パリ郊外都市)のような一戸建ての並ぶ街をつくるためにボスケを排除することなのです」とのこと。続いて、「モンフェルンメイユには、市の中心とボスケ地区という二つの街があります。そして、資金は街の中心にしか流れない。そこで居心地の悪さと、排除されているという気持ちが生じるのです。それは警官たちの存在で助長されています」と述べています。また、「現在の市長、イグザヴィエ・ルモワンは住民によって選出されたのではなく、前の市長が辞めたときに市議会に指名されたのです」と説明しており、ボスケ住民が市長の市街改造政策に不満を抱いていることが伺えます。

ル・フィガロ紙によると、モンフェルメイユでの衝突の翌日、反対政党左派から、また警察の労働組合から、市長に対する批判の声があがりました。しかし市長は「現在私たちがいる状況から脱出するためには支払わなければならない代償。今年の初め以来、軽犯罪が450%にものぼっているというのに何もしないでいるべきだったというか?」と反駁しています。
このルモワン市長は45歳、UMPの議員。パリの西郊外ブローニュ-ビランクールで、商業を営む父と専業主婦の母、5人の兄弟に囲まれて育った。学業で挫折を味わったこともあり、「役立たずだと感じている若者たちの気持ちは理解できる」という。しかし、「それでもああいう行為すべてを許容できない。」彼はバカロレア試験前に高校を中退し、海軍に入隊。8年間、世界中を航海した。除隊後、学業を再開。27歳で再びパリ郊外へ。といっても今度はパリの東。当時のモンフェルメイユの市長ピエール・ベルナールと出会い、すぐに雇用された。ベルナール市長は右派連合出で権力的な言動をする人だったという。2000年、ピエール・ベルナールはイグザヴィエ・ルモワンに市長の座を譲る。反対派は、ルモワンが自分の名で選挙にでて当選した市長ではないことに批判的である。そして、多少スタイルの違いがあるとはいえベルナール前市長から受け継いだ政策方針は、「FNの理論に近いものがある」という印象を与えている。「文化を近づけるためのあらゆる努力」をしていると自負する市長はその見解に傷ついているようだ。2001年、市長は自らボスケ地区のはずれに家族と共に引っ越してきた。

ちなみに、市長は兵役がなくなったことを残念がっているという。その辺り、ちょっとセゴレンヌ・ロワイヤルとかぶる?

2557342097.jpgPSの大統領選有力候補者と目されているセゴレンヌ・ロワイヤルは、木曜日、期せずしてモンフェルメイユに隣接するクリシー・スー・ボワで講演会を行いました。これは1ヶ月以上前から決まっており、今回の騒動の件があったから出向いたわけではないらしい。
この講演で、ロワイヤル女史は若者の軽犯罪者に兵役を課すこと、問題児の親への家族給付金を制限することなどを提案。これがサルコジ内相の方針に近いのではないかということで、PS内で物議を醸しています。

私は個人的に、セゴレンヌ・ロワイヤルはまあいいんじゃないかと思っていたのですが、兵役発言はちょっとまずいかなあ…。あと、ル・フィガロ紙でも指摘されていたけれど、昨年秋の暴動の後、PS書記長のフランソワ・オランドは、暴動に参加した子供の親に家族給付金を支払うのを中断するというUMPの提案に断固として反対したので、その辺は矛盾します。
ただ、ロワイヤル女史は提案の中で、人道支援に参加させるということにも触れており、それは悪くないのでは、と思います。また、学内の問題児を別個の教育システムに入れるという提案については、実は大分前にジャック・ラングが手をつけていた政策でもあるということで、それほどPSの党方針から遠ざかった提案とも言えないという印象です。(このソースについては…ちょっと忘れました。多分金曜日のル・フィガロ。手元にありません。)
とはいえ、やはり全体として必ずしもPSの党方針とそぐわない提案に、PS党内から、また反対政党からの皮肉に満ちたコメントなどがメディアを賑わせています。
まだ大統領選候補が決定していないPSにあっては、人気急上昇のセゴレンヌ・ロワイヤルとその座を競う他の人たち、ドミニク・ストロス-カーン、ローラン・ファビウス、ジャック・ラングらが、虎視眈々とロワイヤル女史を蹴落とすチャンスを狙っているであろう時機。また、クリアストリームで世間の目には弱体化して映っている反対政党UMPも、ニコラ・サルコジと人気を二分するセゴレンヌ・ロワイヤルからなんとか差をつけたいところ。ということで、彼女も余計に注目を浴びますね。

モンフェルメイユの衝突の話に戻ります。
火曜日から水曜日にかけての深夜にも、警察との小競り合いがあり、その際にパトカーへ石を投げたとして、ムティン・アルトゥンが勾留されました。彼は昨年秋の暴動の発端となった感電事件の生存者。本人は否認し、翌水曜日の朝、釈放されました。その日、彼は判事と共に変電所で現場検証が行われる予定だったとのこと。これは結局延期されました。

20060604015330.jpgそして今日、パリ郊外のサン・ドニでは、昨年10月27日に変電所で感電死したジェッドとブウナへ捧げるオマージュとしてサッカーの大会が開かれました。亡くなった彼らもサッカーが好きで、変電所に逃げ込んだときも、ちょうどサッカーをした帰りでした。

週末、目立った動きはないとはいえ、緊張した雰囲気は持続しているかもしれません。昨年の暴動が鎮まってから今まで、世間はモンフェルメイユの暴動はもう終わったと思っていただろうけれど、その間も事態は向上していなかった。
モンフェルメイユのテンションが和らぐ日はいつくるのか…。

参照:
Metroより

「La rage a l'oree des Bosquets」
Yahoo Franceより
「Policiers blesses, voitures brulees et interpellations en Seine-Saint-Denis」 (AFP)
「Un tournoi de foot en memoire de Zyed et Bouna, morts electrocutes」(AFP)
「ル・フィガロ」の参照記事については、掲載後数日経った現在、WEB版では見つけられず。申し訳ありません。
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