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暴動、その後

 2006-05-30
一週間以上前になりますが、郊外の暴動で逮捕された青少年達のその後を追った記事がル・モンドにありました。

時間があまりなかったのと、ちょっと逡巡していたこともあって、訳が遅れました。それで、昨日から訳していたのですが、ちょうど昨夜、記事中に出てくるモンフェルメイユのボスケ地区で、若者達が警察と衝突する騒ぎが起こりました。このモンフェルメイユは、昨年秋の郊外暴動の発端となった地域。

先に、昨日起こった事件について書いておきます。
100人近くの覆面をした若者達が警察と衝突。彼らは野球バットなどで武装し、市庁舎に火炎瓶を投げたとのこと。騒ぎは22時30分頃から3~4時間続いたそうです。
モンフェルメイユの市長、イグザビエ・ルモワン(UMP)によれば、今回の騒ぎは、今月初めにバスの運転手が襲われるという事件があり、その容疑者が逮捕されたことと関連があるようです。
ルモワン市長は、今年の4月7日、市内で15歳から18歳の若者3人以上が集まることを禁止、16歳以下の場合は移動する際に大人が付き添うことを義務付ける条例を発布しようとしました。しかしヴァル・ドワーズ県セルジー-ポントワーズ市行政裁判所によって保留に。
この条例について、ノエル・マメール(Verts:緑の党)が批判。若者達の怒りを煽ったとみています。また、ボスケ地区に住む16歳の少女も、この条例が若者達に挑発ととられた、と述べています。彼女は「警察官たちは自分達が何をやってもいいと思ってる」と言い、「警察は私たちのことをちゃんと尊重してくれるべきなのに、ひどい差別がある。暴動騒ぎはまた始まると思う」と予想しています。更に「市長がいる限り、ひどい状態が続くでしょう。暴動以前よりひどい。行くところ行くところ、身分証明書の検査をされる」と、市の権力機関との緊張関係が悪化している様子をうかがわせています。
他方、市長は違った見解を示しており、「公共の力と結びついた行動が、不法取引している者たちを窮地に追いやるところまできた」と状況を分析。市長は、密売などで幅をきかせる者たちに妨げられた一般住民の権利回復のために働く、という方針を推し進めているようです。
(参照:Yahoo Franceより「Retour au calme a Montfermeil」AP)

さて、ル・モンドの記事内容についてですが、あの騒動で逮捕された若者すべてが同じような境遇にあるとは限りません。一連の騒ぎで逮捕された多くの人の中からたった4人の証言というのは、それがほんの一部であり、すべてを代表するものではないということ。大部分が彼らのようであるのかどうかは、私にはわかりません。
ただ、暗がりで起こったことであるし、不当逮捕された人は少なくないと思います。サルコジ内相が、あのどさくさにまぎれて、逮捕された外国人の滞在許可証を取り消すと決めたことは、全く慎重さを欠いていたと思います。

記事を読んで、彼らはある意味犠牲者であるとか、逆に、そう言うことは欺瞞であるとか、そういう感想もあるだろうと思います。
しかし、内容自体よりも、自分も含めて世間が彼らのことを、また一連の暴動を、済んだこととして忘れつつあるのではないか、と問うことが大事なように思います。
あれ以来、本当に何かが変わったのだろうか…。
昨夜のモンフェルメイユでの事件の報道を読むと、事態は好転しているとは言い難いようですが。

※( )内は原文通り、〔 〕内は訳注です。
 名前はフランス語読みしましたが、発音表記が違っているかもしれません。
 多少の意訳あり。


「暴動、刑務所…そして今?」

2005年10月から11月の「郊外の危機」の間に行われた暴力で彼らが有罪判決を受けたとき、世間は彼らから離れた。6ヵ月後、彼らの殆どが拘留期間を終え、郊外に帰ってきた。刑務所によってあまりにも辛い思いをさせられ、不公平であるという感情、または、すべてが何の役にも立たないという印象を、多くは語るのを拒む。匿名であることを条件に、自分の考えをはっきり表現する少数が、警察や司法に対する憎しみ、理解に苦しむ気持ち、困難さ、そしてある人は新たな展開への希望を、語ってくれた。

「何も失うものはない」
ベルカセム N.、20歳、モンフェルメイユ(セーヌ・サン・ドニ)のボスケ地区在住、2ヶ月の禁錮刑を受けた。

この青年は、彼とすれ違うときに視線をそらしたり歩道の反対側に移ったりする通行人たちに会うことに慣れている。「ラカイユ〔ごろつき連中〕」というカリカチュアに対する予防。それは、スポーツマン風のがっしりした肩幅、スキン・ヘッドにのせた金縁のサングラス、純白のトレーニングウェア、ダーク・スーツ。

ベルカセムは、2005年11月、警官に対する暴力の罪で有罪判決を受けた。クリシー・スー・ボワとモンフェルメイユで起こった暴動の最初の夜、彼が機動隊に向かってものを投げた――「シャン・ゼリゼの弁護士」に弁護されている彼は断固として異議を申し立てていることであるが――と、警察官たちが認めた。青年は2005年12月半ばに釈放された。それ以来、彼は落ち込み、悲観的になり、仕事もせず職業養成講座にも通わず、時間が経つままに任せている。彼は「警察への憎しみ」をもっていると言い、もう司法を信じないと言っている。

友人達と郊外地区をうろついた後、早朝4時に寝て13時に起きる。彼は自分自身にとても暗い視線を向ける。刑務所で深く傷ついたせいではない。というのも、彼の最初の刑務所体験は、グループ抗争と強奪窃盗で7ヶ月の禁錮刑を受けた2001年――14歳だった――に溯る。そうではなく、彼の犯罪記録と学歴(BEP〔職業教育免状〕)では将来が閉ざされているとよくわかっているからだ。

両親のところに住み、不法取引――主に転売――をして少しお金を稼ぎ「切り抜けている」。「女もいない、アパートもない、仕事もないし免許もない。つまり何も失うものはない。この地区の俺より若い世代は、金をもってて綺麗なスーツを着てるから俺が王様だと思い込んでる。彼らは俺みたいになりたいと願ってるけど、俺は地球上で一番太った乞食なのさ。」

彼の唯一の希望は政治だ。刑務所から出るとすぐ、彼は郊外の声を聞き届けるために有権者リストに登録した。

「履歴は汚れた」
ムサウド M.、20歳、クリー・スー・ボワ(セーヌ・サン・ドニ)在住、2ヶ月の禁錮刑を受けた。

彼はベルカセムと同じ理由により一緒に尋問され、裁判された。彼は弁護士に払う資金がなく、国選弁護士で済ませた。両親は彼が有罪判決を受けたことを知らない。「自分の履歴は汚れた。仕事を探すとき、以前のようにはいかないだろう」と、初めての刑務所体験を終えて悲嘆にくれている。

特に、セーヌ・サン・ドニの若者たちに理想郷と思われているロワシー空港での仕事への道が閉ざされたのがわかっている。司法的な問題はそれだけに留まらない。5月31日に警官に対する侮辱罪で裁かれるために、ボビニーの軽犯罪裁判所に召喚されているのである。この件についても不正に訴えられていると彼は断言している。

暴動で警察との緊張がいや増した。「前よりひどい。この近辺をパトロールするのはCRS〔機動隊〕だし、犬にでも話し掛けるみたいに俺達に話し掛けるんだ。」

学歴も彼を救ってはくれないだろう。ムサウドは第4学級〔日本の中学2年に相当〕で学校をやめ、叔父と一緒に市場で働いた経験があるだけだ。「人材派遣会社からお呼びがかかることはないね。」彼は自動車免許を取得しようと考え、商業的な仕事をしたいと思ってはいるが、「どこであろうと」働く気構えができている。

「いつかフランスに戻る」
オーバン M.、21歳、ランス在住、15日間の拘禁刑を受けた。

ガーナのアクラにあるアリアンス・フランセーズ〔フランス語学校〕での授業の合間に、彼は携帯電話からこたえてくれた。というのは、彼の人生は暴動のせいで全く急変してしまったからだ。2003年にベナンから来た彼は、2005年11月まで、ランス大学外国語学科(LEA)の何の変哲もない学生だった。都市で暴力行為があった晩、彼は尋問され、二つのゴミ箱に放火したとして起訴された。すぐに召喚され、ランス軽犯罪裁判所により、2ヶ月の禁錮刑うち15日間の拘禁刑という判決を受けた。

彼はどんな形であれ暴動に参加していない、と主張した。「上訴はしなかった。しないほうがいいと国選弁護士に勧められたから。」現在、彼は痛切にそれを後悔している。というのも、有罪判決の後、マルヌ県庁は彼の滞在許可証を更新しないと決めたのである。2月半ば、警察は彼を家族が住むベナンまで連行した。

それから、彼はガーナで学業を再開した。「ここに2年残って、その後アメリカに行こうと思っている」と言う。青年の母親は医者で、父親は教師である。彼は再出発を誓う。「自分には何か大きなことをやってのける能力があると、フランス政府に証明してやる。そしていつかフランスに戻る。」

「警察と司法に憎しみをもっている」
ニザール B.、20歳、センヌ・シュール・メール(ヴァール県)のベルト郊外在住、6ヶ月の禁錮刑を受けた。

犯罪記録もなく、学生の兄弟姉妹に囲まれ、BTS〔上級技術者免状取得課程〕に登録しているニザールは、暴動以前には一度も勾留されたことがなかった。センヌ・シュール・メールの一地区で、彼が投石していたのを警察官が見た。警察の証言に基づいて、トゥーロン軽犯罪裁判所は有罪判決を言い渡した。彼はその証言を否認している。

この経験は辛いものだった。「特に面会室で家族に会うときは。」両親を失望させる苦しみ。「運良く同じ地区の人が何人かいた。こういった場合、できるだけのものにすがるものだ。」

ニザールは諦めなかった。両親は彼を通信講座に登録し、本を買い与えた。彼は、職業高等学校の入学試験のため、1日の外出許可を得た。チュニジア出身でフランスに30年住んでいる彼の父親、モハメッドは「20点中15点取ったんですよ」と教えてくれた。

4ヵ月半の拘留の後、彼は釈放された。その翌日、職業バカロレア試験の願書申請をした。しかし「見せしめに」有罪判決を受けたという感情は彼を引きつらせる。「警察と司法に対して憎しみをもっている」と彼は言う。特に、身分証明書の検査をされる度に彼は不安になる。「すべてが突然変わってしまうことがあるのを知っているし、理由もなしに留置所に入れられ、それから裁判官の前にひったてられることがあると知っている。」
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