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''Touchez pas a mon Prophete !'' ~「俺の預言者に手を出すな!」~

 2006-02-19
久々にネット版ル・モンドの諷刺画関連ページを開いて、ちょっと興味深かった記事を訳してみました。フランス在住のムスリムたち、それも色々な場所で、色々な職業、年齢もまちまちな人々の意見を拾ったものです。

Touchez pas à mon Prophète !
LE MONDE | 14.02.06

© Le Monde.fr

ネット版には2月14日、紙面では2月15日に掲載された記事ということで、ちょっと古いですが、それ以来フランス国内では大きな動きがないということで(イタリアはまたヘンなことになってますが…)、彼らの意見はそれほど変化していないのではないかと思います。

イスラムがただひとつではないこと、多分フランスに住むムスリムとその他の国に住むムスリムが示す反応は全く同じではないこと、だから西欧に敵対心や憎悪を持ったムスリムばかりではないこと、それでも差別に心を痛めているムスリムがいてフランス社会の今後が問われていること…などなど、私自身にとって特に目新しい意見はなかったのですが、自分の感じてきたことが彼らと隔たっているわけではないことを知ってほっとしました。
他の社会に生活している方々にとっては今まで聞かなかった意見があるかもしれませんが、フランス社会の中からのひとつの視点として提示することができればと思い、訳してみました。もしこれが、単純な「文明の衝突」的構図とは少し違った観点があることを再考していただくきっかけになれば幸いです。

(また、猫屋さんがちょっとハードなアヤーン・ヒルシ・アリ女史発言を訳してくださっています。対立項の極端な位置に立った発言に感じられなくもないのですが、イスラム教文化圏で育ち、そこから離反した女性の確固たる信念にもとづく発言であり、こういう意見もあるんだということを知っておいても悪くないと思います。それから、fenestraeさんが彼女の立場のコンテクスト紹介と分析をした記事を訳してくださっていますので、こちらも併せてお読みいただくと彼女の発言内容を理解しやすいかと思います。)

※( )は原文通り、〔 〕は訳注です。
 各個人の名前は、読み方が間違っている可能性もあります。



俺の預言者に手を出すな!

ショックを受け、傷つき、悲しみ、「事件」によって起こり得る結果にしばしば不安がるフランスのムスリムたちを、ル・モンドの記者がこの数日の間に全国のいくつかの大都市で取材した。彼らはいまのところ、見事な冷静さを示している。

ムスリムの慣習またはその出自の人口が多い市町村の知事や代議士は、2月12日付けのル・モンドにおいて、先週すぐ〔フランス・ソワールが諷刺画を掲載した直後〕、関連共同体に顕著なのは静けさであることを証言した。

フランスのイスラムはおそらくまだこれから構築されるべきであるし、その特有の性格を肯定していかなければならないが、後述する反応から判断すると、フランス――ヨーロッパ最大の〔ムスリム〕「共同体」――に住む500万のムスリムのうちの殆どが、表現や出版の自由をはじめとする共和国の価値をうまく吸収しているようである。

カフェや路上、彼らの職場で偶然に出会った人々――原則として、送り込まれた行動派、またはわれわれの紙面上他の部分で大きく扱われた「権威ある声」は除いて――の大部分は、MRAP〔人権保護団体〕、次いでフランス・ムスリム評議会(CFCM)による司法への訴え、告訴を支持している。「それが民主主義だ」と彼らは言う。中東におけるヨーロッパの大使館や領事館への攻撃を、数人が「理解できる」と言っても、彼らの大部分は、こうした暴力が組織化されていること、また、ある一定の民衆の本物の怒りは煽動的な政権によって取り込まれ道具とされていることを知っており、そう語っている。

社会学的な様々な研究によると、過去数年、フランスのムスリムの大多数――少なくとも80%――が、ほとんどモスクに通わないという。それは、われわれが取材した人々の多くを駆り立てる、彼らのアイデンティティがそれに属しているという感情を、妨げるものでは全くない。彼らは、信仰と彼らの偉大なる守護像に対する「尊重」に関して、フランスの「えこひいき」を不満に思っている。

ファッサンブー・ムッサ・シッシコは34歳のマリ人。パリで企業戦略のコンサルティングをしている彼は、1991年からフランスに住んでいる。「宗議をまもるムスリムの告白として」彼は「怒っている」と言う。
「でも、この怒りは暴力に行き着いてはいけない。私はネット上のル・モンドであの漫画を見たとき、侮辱的だと思うと同時に、ユーモアに欠けていて悪趣味だと思った。預言者を風刺したという事実にショックを受けたんじゃない(…)、非ムスリムはこの宗教的禁止に従う必要はない。漫画自体、特にターバンが爆弾と一緒に描かれたやつと、天女〔houris〕のことを描かれたやつにショックを受けた。一つ目のは預言者をテロリストと同一視している。二つ目のはイスラムをあるメッセージに還元させている。『殺せ!その褒美として、お前に女を与えてやろう』ということだ。私は傷つけられたと感じた。でも、最初のデモがダマスカスやテヘランで、表向きは自発的として起こったのは奇妙に思う。私の知る限り、シリアとイランは自由にデモができる国ではない。(…)正しいのは、MRAPやCFCMの反応だ。それに決着をつけるのは司法だ。(…)つまり、フランスにはえこひいきがあると感じる。イスラムの価値は、西欧の価値――表現の自由とか冒涜の権利とか――に一致しない限り擁護できないかのようだ。ムスリムが『OK、でも私たちの信仰を踏みにじらないでくれ』と答えれば、すぐに『原理教だ!』と叫ばれる。」

ソニア・ハムザ、36歳、フランス・チュニジア人、パリの公務員。フランスに来て14年、自分自身を「ムスリム文化の無神論者」と言う。

「私はね、諷刺画にショックを受けなかったわ――どっちかというと笑ったわよ!シャルリー・エブドの漫画もね。諷刺画が一定のムスリムたちにショックを与えたことはわかります。それがどうしたっていうの?風刺で死にやしないわ。時にはそれは救いになることすらある。爆弾の形をしたターバンの諷刺画でさえよくできていたと思う。あれは、マホメットの子孫がイスラムの名の下に殺害を行っているってこと…、それは本当のこと。9.11のテロ、あれはアル-カイダから犯行声明が出されたでしょ、違う?イスラムの名の下に、私の勘違いでなければ?(…)中東の暴力の背後にある論理は理解できる、でも宗教ゲームに関わりたくない。私はそれ〔宗教ゲーム〕を非難します。まず、22歳までチュニジアで生活して、検閲がちょっとづつ導入されたのを見てきた、ムスリム文化の女性として。ヨーロッパが味わっている表現の自由が拒絶されるのは辛い。そして、宗教の実践は、私の目から見れば、個人的なものにとどまるべきだし、集団に干渉する必要はない。最後に、私がそれを非難するのは、この話は端から端まで操作されているようにみえるから。(…)諷刺画は利用されたと思う。なんのために?すでにとても危険になってる状況の中で、ムスリム世界を蜂起させて、西欧世界からムスリム世界を隔てている憎悪を増長させるためにでしょ?どちらにしても深刻。それがイスラム主義を刺激するのが恐いわ。」

レビア・ベナリウア、53歳、行政管理職員でマルセイユ議員の彼は、その点について同意見である。「ムスリム出身の社会党員、でも無神論者」の彼は、「個人的にはショックを受けなかった」が、彼によれば「多くの信者が傷ついた」。「宗教には注意を払わなければならない」と説明する。「危険なのは、人々がすべてを混同することだ。これらの諷刺画、アメリカ軍がイラクで行っていること、パレスチナ、そういったことすべて。問題の混同が爆発につながる。」

ナッセラ・ベンマルニア、43歳、カストレ郡〔ミディ・ピレネー地域のタルヌ県の一郡〕生まれ、マルセイユのムスリム共同体の、「そして共和国の」と強調する、精力的な弁護士。爆弾をターバンに巻いた預言者に、彼女は「ショックを受けた」。「デンマークのイラストは傷つけるために意図的に作成された。イスラム=テロリズムという単純な考えを広めている。結果として、ひとびとは、私たちを超える議論の中に囚われている。」そのうえ、彼女は「増大化する反イスラム」を感じている。「キリストのあるイメージがひとを傷つけるときにはそれを撤収する。表現の自由についての大した議論は起きない。そこでは、人種差別的なイメージによってひとつのグループが意図的に負わされた傷が問題だということ、それだけです。鉤鼻で描かれたユダヤ人の人種差別的イメージにも私は耐えられない。そして、私がそう言うとき、私は常に共和国主義者でもある。そのとき、ひとは私に表現の自由への損害については語らない…。」

アブデラジズ・フムールは諷刺画を見ていない。「何がそこにあるか知るだけで十分だ、見たくもない、心底ショックを受けたよ。」41歳、10年前からブザンソンにある自分の企業の社長、アルジェリア出身のこの巨漢はしかしながら「最小限に」その宗教を実践している者である。「私は表現の自由に100%賛成だ!でも、ひとびとに敬意を払わなければならない。それだって神聖なものだ。私はね、誰であろうと侮辱する権利などもってないよ。キリスト教徒だとかユダヤ人やムスリムが、何故みんな対立したがるんだろう?それで誰が得するっていうんだい?(…)そんなことはみんなやめるべきだ、節度を心得て、精神を落ち着かせ、問題を最小限に抑えることすらするべきだ。もしそれで心が痛んだとしてもね。(…)だって、そうでなければ、どこでそれが終わるというんだい?地上には10億以上ものムスリムがいるけど、10億の賢者、イスラム主義者、過激派や無知がいるわけじゃない。そういう全部がいろんなところにいるんだ。(中東の)反応は完全に理解できる、でも反対だ。漫画は認めることができない(…)、でもイスラム主義者たちの操作には注意しなくちゃいけない。」

アリ・アッバス、実践的なシーア派ムスリム、レバノン生まれ、25年前からパリでタクシー運転手として働いている。彼は諷刺画掲載の「フランス・ソワール」を購入し、ダッシュボードに保存している。「爆弾の漫画と刀のやつにはすごくショックを受けた。他のやつは別に、私は受け入れますよ。処女のストック切れだという預言者を描いたやつには笑わされさえしたね。私は狂信的じゃないし、フランスではどのようにものごとが動くのか知ってます。でも、本当にえこひいきがある。ユダヤ人共同体に衝撃を与えるイメージを見せることは禁止されているんだからね。そんなことが起こったら、フランスは反ユダヤ主義として非難されるし、フランス人はそれにトラウマを負っている。でもムスリムを攻撃するのは、表現の自由の名の下に許される。もしホロコーストの諷刺画を掲載しようとしているイランの新聞がそれを出版するようにヨーロッパのメディアに頼んだら、それは実現する、そう思いますか?その類の出版を妨げるフランス政府は今回の件でも同じことをするべきだった。つまり、禁止するってこと。(…)シリアの暴力的なデモは後押しされている。私はああした攻撃性に反対だ。私はね、デモをするよ、でも平和的にだ、われわれは敬意を払われるべきだと言うためにね。(…)ひとは神聖なものにふれちゃいけない。いま、世界は小さな村だ。ここで起こるすべてのことがそこで見える。それから、90から95%の世界のムスリムがそれを受け入れられない農民だってことを忘れないで。全ては教育の問題だね。」

アブデルカデル・ベンマラ、宗儀を守る信者、15年前から暮らしているこの国の国籍を「まだ」取得するに到っていないアルジェリア人、彼は諷刺画によって「侮辱されたと感じた」という。

「正直に言って、ひとが私の宗教をあんな風に非難することができるなんて、心が痛んだ。不当だ。(…)自由はいいけど、限界がなければいけない。(…)領事館の火事は、ひとびとの一つの反応、彼らの怒りを表現する一手段でしかなかった。でもちょっとやり過ぎだ。火をつけることは何も解決しない。理解しあう努力をしなければ。私だったら平和的にちゃんとデモをしたところだろうけど、誰もそれをやろうと言ってこなかった。モスクでは、政治の話は避けるんだ。イマム〔指導者〕たちの手前ね、わかるでしょ…。」

チュニジア人の両親をもち、ほんの17年前にフランスで生まれたアリ・ジャブリ、高校生、「信者だけどあんまり実践的じゃない」、彼は別の週にナシオンからバスティーユまでデモをした。「それはうまくいった、それで物事を変えられる」と彼は考えている。デンマークのイラストレーターたちは「ベン・ラデンの顔を描いていたら、問題はなかっただろう。でもなんで預言者?(…)もしこんなことが続くんだったら、悪いことが起こる危険がある。暴力が起こるかもしれない。僕の場合は、徹底的に宗教に浸かっているわけじゃないから、大したことない。でも、この問題にすごく苛立っている他の若い子たちを知ってる。フランスでこの件で深刻な問題が起こるとは思わない。でも、ムスリムの熱心な信者には、こんなことが起こりえるなんて考えられないんだ。建物に放火するのは当然だ。」

サイード・フェルキウイ、RMI〔生活保護〕を受給しているオルレアンのアルジェリア人、「こんなにすごくバカみたいなことの後、ベン・ラデンの人気は上昇するしかないね。」30年もフランスに暮らしているが、フランス国籍取得を一度も申請したことがない――「私のアルジェリア的な面じゃフランス人になれない」――60歳のこの男性は、事件を「個人的な破局的不幸」と解釈している。「常に民主主義と人権を信じてきた私だが、この国の西欧的民主主義を擁護することはもうできないだろう。ひとは、ヨーロッパが私を洗脳したんだと言うだろう。アラブの国々で、もう誰も西欧の真の価値を信じたいと思わなくなることが恐い。」サイードは特に宗儀をまもる信者ではない。「ヒゲ面たち」に「うんざりさせられる」と言う。「でも、彼らはサダムとか、他の独裁者の頭を落とすことができたけど、宗教を削除することはできないということを、ヨーロッパ人は理解するべきだ。一人のムスリムが自国を捨てることはできても、自分の信仰を捨てることはできない。宗教は血の中に流れているんだ。それにふれることは、ひとびとの深いところに到達するということだ。(…)私たちにはテクノロジーのレベルがなくて、経済はうまくいってないと聞いて喜んでいるけど、もし今以上に私たちを辱めたり屈従させたりするためでなければ、なぜ西欧人たちは私たちの宗教にくってかかるのか?そうすることで、何世紀分もの憎しみを動かす危険を冒している。」

モンマルトルの大きなブラッスリーとパリ15区にあるもう一つのレストランの経営者、アリ・ヘジャトはそれほど絶望的ではない。他の多くの人と同じく、彼がショックを受けたのは「えこひいき」である。「それは深刻だ」と彼は判断する。「ユダヤ人連盟がデュードネを告訴した時、誰も抗議しなかった。どんなメディアも彼の寸劇のテキストを取り上げなかった。MRAPが諷刺画に対して告訴したとき、もしそれを原理主義だとみなさなければ公平だった。(…)2001年以来、残念ながら、エリートの一部、インテリゲンチャの一部さえもが、全てのムスリムを同じ穴のむじなとして扱うために暴力を口実にする。悪意ある政治的同一視をやめない。つまり、テロリスト=原理主義=ムスリム。国内の問題についての世論を反らすためには、民衆の運動を引き起こしている(国々の)高い地位にある政治的組織にとって棚からぼた餅。」

マリク・アマルー、優雅な30代、ヘジャト氏のブラッスリーのバーマンのひとり、自由の国で生きることに喜びを感じている。「表現の自由と民主主義を学ぶために、ムスリムには西欧が必要だ」と静かに強調する。「諷刺画によって生じた問題は、それが彼らに『君達はみんなテロリストだ』と言うことだ。でもムスリムの市民たちはテロリズムによって最も苦しんでいて、それで死んでいく人たちだ。アフガニスタン、レバノン、イラクなんかで起こっていることを見ればわかるでしょう。アルジェリアで起こったことを話さずともね!」

アイーシャ・アブダラー、35歳、「9-3〔サン・ドニ県〕の」教員、宗議を守る信者ではない。しかしながら、彼女も「現状に鑑みて政治的に馬鹿げた漫画に極度なショックを受けた」と言う。「何ものも出版の自由を束縛してはいけない。でも火薬に火をつけるよりも自分に課すべきタブーっていうものがあるでしょ。」

ノリア・フェルイ、彼女は実践的な信者と自己紹介する。パリの企業内レストラン従業員、46歳、フランスのプレスにおける漫画の再掲に彼女は「嫌気がさした」。「それはあなたたちが私たちのことを本当はどう思っているのかが全て表れていた。少なくとも、この国の人口のかなりの人が〔どう思っているか〕ね。貧しくて、つまらない郊外に暮らしてる。私たちに残っているのは、他の人々を尊重しなさいと私たちに教える信仰だけ、宗教だけ。『フィサ・ビラー』、与え、そしてお返しを何も期待しない。何故私たちの一番大切なものの中で私たちを傷つけるの?(…)誰が全部を回収して利用することになる?強大なテロリストたちだわよ。そのあと、2007年、彼ら(フランスの政治家たち)がそれで私たちにちょっとした選挙キャンペーンをやって、元の木阿弥よ。」

スリム・ハッサウイ、モロッコ出身のパリのタクシー運転手、彼も実践的な信者である。56歳、既にメッカで二度巡礼を行った。彼によれば「今の世界は、破裂する恐れがある大きな風船みたいに膨らんでいる。キリスト教、ムスリムやユダヤであれ、宗教と戯れること――ショアーを風刺するのも私にとってはけしからんことだ――、それは中に針を突っ込むようなもんだ。私が祈りを捧げているパリの大きなモスクでは、デンマークの漫画のことは話さない。でも、地下モスクと私が呼んでいるような、イマムがくだらないことを語って洗脳しているところでは、また別問題なんだ。」

エンジニアでコンサルティングをしている41歳、パリ郊外に23年前から住んでいるルスベー・サブリはイラン出身、国籍はフランス。伝統的なムスリムだが、「無宗教の家族」に育てられ、彼は「プライベートな領域にとどまっている限り、そして全体化の意図が無い限り、信仰については最も偉大な敬意を払う。(…)今回の諷刺画で、表現の自由におけるある限度が超えられてしまった。自分にとっては、あの諷刺画は侮辱的ではないけど、他の人にとってはそうだろうと思う、彼らの世界法則が問題視されたのだから。(…)冒涜の権利は維持するべきだ、すべてが問題にされ得なければならないのだから。自分にとっては、犯された暴力を正当化するものは何もない。暴力は法外なものだったし、私はそれを明確に非難しますよ。(…)でもデンマーク人たちは自分で限度をもうけるべきだった。イラストレーターだろうがなんだろうが、他の人たちを尊重しながら表現するべき。自分達がやっていることの有用性のことを考えなければいけない。侮辱的で根拠が無い問題視は、破壊的、だから非難されうる。(…)深刻なことは、イラン人として私はそれを知るのに丁度いい位置にいるのだけど、民衆が一度怒りを爆発させると事態は次第に悪化するということだ。」

以上、アリアンヌ・シュマン、パトリス・クロード、イヴ・ウド、レジス・ギヨタ(オルレアンにて)、ヴェロニック・モリュ、ミシェル・サムソン(マルセイユ)、カトリンヌ・シモン、ジャン-ピエール・トゥノー(ブザンソン)、マリオン・ヴァン・レンテルゲンによって行われた調査。
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コメント
うわっ。この記事読んだけどあまりの長さに途中までしか読まなかった、、、訳しちゃったわけですね。これから訳文読みます。shibaさん忙しそうなのに、ご苦労様であります。
【2006/02/20 03:05】 | 猫屋 #- | [edit]
読みました。ご立派。ネブロのアヤーン・ヒルシ・アリ訳出エントリにTB飛ばしてください、お願いいたします。
【2006/02/20 03:21】 | 猫屋 #- | [edit]
フランスのイスラム教徒はがおむね事態を冷静にうけとめているのがわかりました。もう今後はこういう普通のイスラム教徒たちが「侮辱された」と感じるような事態はさけるべきでしょう。侮辱行為がくりかえされれば穏健な信者を過激な意見に追いやってしまうおそれもあるので。
いまはモスクに通わず、表面的に無信仰のようにみえる人たちもこういうことがきっかけで信仰に目覚めるケースもあることでしょう(マルコムXみたいに)。記事の「宗教は血の中に流れているんだ」という言葉はこのことをうらづけているのではないでしょうか。
【2006/02/20 04:36】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
これが全ての意見の反映ではないんでしょうけど、フランスに生きるムスリムの客観的でバランスのとれた考え方の一端が伺い知れました。アヤーン・ヒルシ・アリとは違って読んでて呼吸が楽でした(>猫屋さん 訳のことじゃないですよ)。
ところで前から疑問に思っていたことをここで聞いてしまいますが、フランス(パリ周辺限定でもいいですが)における中国人コミュニティは昨秋のバンリュウ事件や今回の騒動に関して何らかの反応を示したりしているのでしょうか?ライシテと仏教との兼ね合いとか、あまりよくわからないのですが。日本では見慣れた光景ですが、パリなどで僧侶姿の人は普通に歩いていたりするのだろうかと。(変だったらスルーしといて下さい)
【2006/02/20 10:48】 | imasaru #6ilpfs42 | [edit]
>猫屋さん
読んでくださってありがとうございました。会話文なので、訳はそんなに大変ではなくて、わりと楽しかったです。ちょっと長かったけども…。
TBとばしました~。お受け取りのほどよろしく。ついでといってはなんですが、本文中にリンクも追加しておきました。

>pianomanさん
>侮辱行為がくりかえされれば穏健な信者を過激な意見に追いやってしまうおそれもあるので。
全くその通りなのです。フランスで諷刺画の問題が大きくなる以前から、フランス国内で、社会的差別によって原理主義に走るムスリムが出ることを懸念していた人がいましたし、私自身もそれはなんとなく感じていました(郊外暴動のときにそのようなことを書きました)。

>imasaruさん
中国人コミュニティは、ものすごーーくマイ・ペースな気がします…。
バンリュウ事件のときは、うーん、アジア系移民の子で、参加した子はいると思いますが。雑誌で読んだ若い子の討論会で、まだ自分は他の子のように考えを外に出して表現することができないから、フランス文化に同化していないと実感して頭を抱える少年などいたようです。でもあの件は、宗教や出自によって括られるコミュニティの動きではなかったので、中国人コミュニティの反応はちょっとわかりません。
恥ずかしながらあまり仏教のなんとか派とか知らないのですが、チベット?の黄色とえんじ色の袈裟のお坊さんなど、時々見かけますねえ。ダライ・ラマはフランスでも人気がある(というのもちょっとヘンだけど)し、それともあまりに異文化なせいでしょうか、フランス人は敬意のまなざしで眺めているような気がします。
【2006/02/20 14:20】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
これはいい記事ですね。私も訳したいなと思っていましたが、なにせ時間がないのであきらめていたところでした。変なちゃちゃもはいったし(→ merci pour le soutien moral)。日本だとなぜか過激な意見ばかり強調され、文明の衝突は避けるべきだと言う人が、むしろ西洋対イスラム教の対立構図を固定的に描くというへんなぐあいになっています。まるでフランスのイスラム教徒全員がUOIFの活動家になったような。この問題の爆発はむしろ現在のフランスや世界の政治情勢を反映している。その政治の罠に囚われず、イスラム教徒のマジョリティを代表する穏健派と共和国原則のコンパチビリティを確認していかなければならないのに、どんどんと原理主義者の言説に引きずられていく。ル・モンドの筋の通しかた、バランス感覚は今回の件に関しては絶妙だと思います。
【2006/02/21 00:30】 | fenestrae #S1xi4FKw | [edit]
お答えありがとうございます。
>マイペース これは中国からこちらに留学している人に接してよく実感することです。パリのコミュニティにゃ直接関係ないかもしれないけど。でも想像した通りです。
何というか、もの凄い勢いで(日本以外の)あらゆる主要都市に増殖を続けている印象のあるチャイナタウンなのに、大きな移民問題をあまり聞かないなと思ったりするもので。いや、私が知らないだけなんですかね。その辺の距離のとり方(非同化のたたずまい)が興味ある。それにしても中華料理のパワー侮りがたし。

>あまりに異文化なせいで
>敬意のまなざしで眺めている

ヨーロッパ大陸において歴史的なコンフリクトがない(?)からなんでしょうか。
ふと思ったのは、ムスリムのスカーフと違って、たとえば僧侶の息子が剃髪で公立学校に通っても袈裟を着てなければノープロブレムっていうことでしょうか。。。
また問いかけてしまった…
追伸:ダライ・ラマについて興味おありでしたら拙ブログ2/21付記事のリンクでも。いえ勧誘ではありません。
【2006/02/21 11:13】 | imasaru #6ilpfs42 | [edit]
こんにちは、初めまして。
とてもいい記事の翻訳をありがとうございました。
限られた一部の人が過激な行動に出ているのであれば、穏健なムスリムを代表する声の大きな人が出て来ればいいですね。あるいはそういう人たちをサポートして育てる。
>中国人
ロンドンでの話ですが、以前デモの行列に紛れ込んだ時、香港から来ていた友人がとてもびくびくしていたので尋ねたら、政治的な示威行動をしているところを写真に収められたら、帰国した時に訊問(or拷問)される可能性があるので、身の保全のため、中国人はデモなどには参加しない、などと話していたのを覚えています。関係があるのかも知れませんが、とんだよくある勘違いでガセネタになったらごめんなさい。
【2006/02/21 20:29】 | kyoshida #- | [edit]
>fenestraeさん
ひと様のところでちょっと悪ふざけしすぎたかなーと思っていたのですが、le soutien moralになったのでしょうか。それならば幸いでございます。
ル・モンドは最初から、イスラム研究の人の意見や論説もどんどん載せていていますね。
とてもお忙しそうですが、fenestraeさんの諷刺画関連エントリーの続き、いつかアップされるのを楽しみに待ってまーす。

>imasaruさん
あのマイペースさがある意味彼らの強さかもしれませんねえ。
剃髪は、そうですね、こっちだと仏教以上に他の意味にとられるんじゃないでしょうか。しかもちょっとオシャレさんだと、ゲイだと思われるかも。
あの法律は、「宗教のシンボルを見せびらかしてはいけない」っていうものなので、誰の目にも宗教シンボルとうつるとダメってことなんだと思います。だから袈裟着てなければOKだと思いますよー。
そういえば、あの法律論争のとき、スカーフじゃなくてバンダナならいいか、という話もあったなあ。ダメらしいですが。

> kyoshidaさん
初めまして。こんな遠いところ(?)までご来訪、ありがとうございます。
ル・モンドなどではわりとイスラム穏健派の声を拾っているのですが、日本まではなかなか届かないようで残念です。
>とてもいい記事
私もそう思いました。
お礼を言っていただけるなんて、本当に訳してよかったー!と実感します。ありがとうございます。
【2006/02/21 23:33】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
こんな情報知りたかった!!
翻訳文を一度プリントに落としてじっくり読ませてもらいました。TBしました。
お忙しいのに記事の翻訳感謝です。
あそれからfenestraeさん、猫屋さんにも感謝です。この場をお借りしまして。
【2006/02/22 02:54】 | Emmaus #9enIUaYc | [edit]
>Emmausさん
相変わらずTBが届かないようでご迷惑おかけしております。はてなと相性が悪いのかな??こちらからはてなに届かないときもあるみたいなので。
ともあれ、TB、ありがとうございます。そして労いのお言葉、ありがとうございます。

どうも私の印象としては、日本では「イスラムがあれだけ怒るのは当然」という意見が主流のようですが、イスラムの反応を大使館放火など暴動のイメージで語られて一番迷惑しているのは、西欧で静かに暮らしている穏健派ムスリムなのではないかと思います。昨日、ちらっとTVの討論会で聞いたのですが、先日のイランでの抗議デモは、実は80人(と聞き取りましたが、間違いかも?)ほどしかいなかったのに、カメラを据えた位置によってもっとたくさんの人がいるように見えたし、現場を知らない人には何百人・何千人もいるように思えたのではないかとのことでした。全てのムスリムが過激な抗議行動をしているわけではないし、「イスラムが怒って暴動を起こしている」と思われていることに嫌気がさしているムスリムたちがいると思います。「暴力はコーランにそぐわない」と強調するムスリムもいます。
とにかく、日本の方の意見の多くが、西欧対イスラムという構図を描き、当然の衝突であると主張しているように聞こえるのですが、共存を目指し、それを考えて生きている人たちがいるのに、その努力が無視されてしまっているようで悲しいです。

と、レスなのにEmmausさんのコメントには直接関係の無い自分の意見を主張ばかりしてすみません…。
【2006/02/22 22:31】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
911のあとのパレスティナでもあったけれど、国旗が焼かれる時は何故か報道カメラがそばにあるでしょう。ヴィデオ付き携帯ではないでしょうし。

あ、Emmausさんこんにちは。そちらのブログ寄らせてもらっています。よろしくです。
【2006/02/23 16:21】 | 猫屋 #- | [edit]












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