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「Caricatures : geopolitique de l'indignation」 par Olivier Roy ~オリヴィエ・ロワによる「諷刺画:憤慨の地政学」~

 2006-02-10
先日リンクを貼った2月8日付けル・モンド掲載の諷刺画関係の論説を訳しました。
原文はこちら↓

また、本文中に言及のあるL'UOIFのサイトにも転載されています。

筆者のオリヴィエ・ロワ氏は研究者で、研究機関CNRSの研究長。2005年、Stockより「La Laicite face a l'islam(イスラムに直面する非宗教性)」を出版。

※本文中〔 〕内は訳注です。



諷刺画:憤慨の地政学

デンマークの諷刺画についての軋轢は、自由な西洋と表現の自由を拒否しているらしいイスラムとの間の文明の「衝突」の現れとして提示されることがよくある。このテーゼで満足するには、多くの無知と、更なる偽善がなければならない。全ての西洋の国において、現在、表現の自由は制限されている。それは、法律と一定の社会的同意という二つによって制限されているのである。反ユダヤ主義は法的に抑制されている。しかし他の共同体に対する打撃も同様である。2005年、フランスのカトリック教会は、使徒の代わりに短い服を着た女性を配置した「最後の晩餐」を使っている広告の差し止め許可を得た。それは、今日、ムスリム団体が着手したのと全く同じ態度である。ところで、一体どの新聞が表現の自由を擁護するために非難された広告を掲載したであろうか?

また、世論にも非常に多様な寛容の幅がある。敬意を表すべきどんな新聞も、今日デュードネ〔その発言が人種差別的であるとして多くの人から批判されているフランスの漫才師〕のインタビューを掲載しないであろう。彼は反ユダヤ主義として(まだ)有罪判決を受けていないのに、である。どんな偉大な新聞も、起訴されることよりも悪趣味であることを恐れて、盲人や小人、同性愛者またはジプシーの諷刺画を掲載しないであろう。しかしイスラムに対する悪趣味は通用するのだ。なぜなら世論にはイスラム嫌い(しばしばそれが外国人移住への拒絶を覆い隠すのである)が浸透しやすい。ごく普通のムスリムにショックを与えるのは、預言者の絵ではなく、不公平な判断である。

ヨーロッパのムスリムによる抗議は、それが彼らの専売特許であるような一部の昂奮した人々を別にすれば、どちらかというと控えめで、この抗議も同じく表現の自由に属している。しかしもっと一般的には、これらの抗議はまた、現在の西洋において間違いなく重要な議論となるものに結びついている。問題になるものが冒涜であろうと、修正主義であろうと、記憶または他者の尊重であろうと、どの程度まで法律は聖なる場を保護するべきか?もっと全般的な議論に入るものもある。一方で人間の自由に属するもの、他方で神的または自然的秩序に属するものは何か?中絶の問題であろうが、同性愛結婚、生命倫理学や冒涜の問題であろうが、人間の自由に制限を課すことを要求するために、保守的な宗教、キリスト教徒、ユダヤまたはムスリムが一緒になることがますます頻繁になっても、なんら驚くに当たらない。司教会議、偉大な高位のラビ、プロテスタントの長老会議がムスリムの憤慨へ理解を示したことは、なんら驚くに当たらない。価値についてのこの議論は西洋をイスラムに対立させるのではなく、西洋の内側にこそあるのだ。

では、諷刺画の場合における暴力はどこから起こったのか?ここで顔を覆ってはいけない。暴力が起こったのは、政体や一定の政治的勢力がヨーロッパ諸国とカタをつけなければならない国々であることを、暴動の地図が示している。中東の数々の危機におけるヨーロッパ諸国の存在をはねつける政治的運動と国家によって、暴力は道具にされたのだ。われわれは増大する外交的直接行動主義に代償を支払ったが、その直接行動主義は一般的な公の議論の主題にはならなかった。もし結果が悲劇的なものでなかったのなら、シリア政権がイスラム擁護者として自己を呈することに微笑させられるだろう。およそ百万人ものムスリムの信者たちを駆逐した政権が、預言者擁護の先端に位置しようとは!それは、ヨーロッパの政治に脅かされた、または無視されたと感じる国々と同盟しつつ、レバノンに再び手をかけるための、純粋に政治的な策略を意味している。だから、危機はまた、ヨーロッパ政治の重要な変遷をも明らかにしている。アメリカによるイラク介入の際、その介入に反対で、どちらかというとパレスチナびいきで、時に民主化を損なってでも国家主権を強調する、大陸の「古いヨーロッパ」が、アングロサクソン同盟に対抗したのは上品であった。フランスはこうして、アメリカ合衆国に対して自立したド・ゴール的伝統を認められた。

ところで、三年の間に事情は変わった。ヨーロッパ諸国は原子力の件で、合衆国が美辞麗句を使った慎重さにとどめている傍らで、イランとの力比べに単独でのめりこみ、安全理事会の前でテヘランを糾弾する第一線に位置している。ヒズボラとテヘランが、諷刺画問題の火に油をそそいでいることに驚くべきだろうか?アフガニスタンでは、NATO勢力、つまりヨーロッパの軍隊が、アメリカの兵隊たちと交代しているところであり、タリバンとアル=カイダに対抗する第一線に位置しようとしている。現在、デンマークの諷刺画に対する抗議デモを行っているパキスタン政党同盟はまさにタリバンとアル=カイダを望んでいる同盟である。レバノンでは、フランス――つまり同じくヨーロッパ――は、シリアの存在に対して突然強硬な態度をとり、バッシャール・アル=アサド政権を激怒させた。今、アサド政権は大使館に対する攻撃をひそかに組織することで(現在のダマスカスで、自発的で統制されていないデモが展開しえるなどと誰が想像するであろうか?)報復しているのである。しかし、根底からのでないとしても形式上の変化が最も明白なのは、多分パレスチナにおいてであろう。ハマスの勝利の後、ヨーロッパは、今度はひとつにまとまって、援助の継続に対して苛酷な条件を課したのである。これは、もっと寛大な中立を期待していた多くのパレスチナ人たちに誤解された。ヨーロッパ同盟代表に対するガザの混乱はここから発している。

中立または不在であることから程遠く、ヨーロッパは三年前から合衆国に近寄りつつ、中東に更に明白な干渉主義的な立場をとっている。三年前に起こったこととは反対に、ワシントンは今後、特にイラクから徐々に撤退するにあたって、ヨーロッパのもっと大きな存在を望んでいる。つまり、ヨーロッパのこの大きな顕示が様々な政体と運動から成る同盟との緊張をもたらす。そしてこれら政体や運動はヨーロッパのムスリムを人質にとっているのだ。

この攻撃的な戦略は、アラブの大使たちがデンマーク当局に働きかけた最初の一歩から刻み込まれている。実際、アラブ政権は、国家的大儀のために動員可能なディアスポラとしてヨーロッパ移住を維持しようと常に努力してきた。マグレブの国々はフランスで生まれた第二世代を自動的に親の国籍を保持する者とみなしている。領事館は常にイスラム問題周辺の緊張を管理するための仲介役の外観を呈してきたし、CFCM〔フランス・イスラム評議会〕の選挙を統制するための激しい活動に従事してきた。カイロのアル=アズハル大学は指導者を養成するための、そして、ファトワー〔イスラム法による見解・勧告〕を与えるための拠り所と自認しており、例えば、少数派イスラム特有の法律であるという考えを擁護するロンドンのファトワー・ヨーロッパ評議会を拒絶している。つまり、組織としての国家は、中東の勢力範囲においてヨーロッパのムスリムを維持するためにすべてをやっており、それは公正明大である。

しかしこの重くのしかかる後援は、ヨーロッパのムスリムの大多数にとって段々よくないものとなってきた。大きな組織が諷刺画についての論争に対して距離を置いていることは興味深い(l'UOIF〔Union des Organisations Islamiques de France:フランス・イスラム団体連合〕のサイトまたはoumma.comを見れば十分である)。ヨーロッパのイスラムと中東の危機の間のこうした分離の方向に、避けられない緊張の管理の鍵を探るべきであり、表現の自由と非宗教の全ての原則を定期的に喚起しなければならないにしても、キリスト教徒やユダヤに対してそうするようにヨーロッパのムスリムを市民として扱うべきである。

しかし同時に、パレスチナからアフガニスタンまでの大きな中東の事象の中でヨーロッパが非常に重要な係わり合いをしていることを、ヨーロッパの世論は自覚しなければならない。外交の代表者と同じくらい多くのNGOや単なる市民の重要な顕示を、世論はもたらすであろうから。アフガニスタンまたはレバノンにおけるヨーロッパの重要な役割に賛同することができる。しかしそれならその結果を負わなければならない。更にもう一度言うなら、ヨーロッパに欠けているのは、政治的な真の議論の場である。
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コメント
翻訳おつかれさまです。まあまあバランスのとれた記事だと思いましたが、実は、今回の事件をきわだたせるために一部事実をちょっと誇張してますね
>「最後の晩餐」を使っている広告の差し止め許可を得た。
>一体どの新聞が表現の自由を擁護するために非難された広告を掲載したであろうか?

差し止め騒ぎが起きたのは、広告がすでに女性誌にも新聞にも出たあと。だいたいの新聞で事件の報道といっしょに写真が再掲され、いい宣伝になったと揶揄されていたと思います。私は近所のブティックでショーウィンドウ一面に掲げられているのに出くわし写真に取りました。差し止め判決のあと、なぜまだあるのか、撤去し忘れなのかと思いましたが、結局街頭広告もヌィイのやつだけだというのがオチでした。
【2006/02/14 02:01】 | fenestrae #S1xi4FKw | [edit]
最近、NHKで議会選挙後のイラク情勢に関するレポートをみました。いまイラクの議会はシーア派が多数を占め、政権は実質的にシーア派が支配している状態です。スンニ派のフセイン政権時代に抑圧されていたシーア派が積年の恨みをいまはらそうとして、スンニ派との軋轢が強まりつつあり、へたをすると内戦にもなりかねない状態のようです。この動きに拍車をかけているのが隣国のシーア派国家イランで、イランはさまざまな側面からイラクのシーア派政権を支えているようです。
フセイン政権が倒れ、議会選挙が行われてから、これまであまり問題にされることのなかった宗派が問題にされるようになり、一般の人々はうっかり外にも出られないというありさまです。
民主的な議会選挙さえ行われれば、親米的でより欧米の価値観にちかい政権が作られるというブッシュ政権のもくろみは逆の結果をもたらしつつあるようです。
ここでもアメリカはベトナムやカンボジアでのあやまちを繰り返そうというのでしょうか。
しかしベトナムやカンボジア以上にやっかいなのはここに宗教の問題がからんでいることでしょう。
もちろん国家が人々の信仰心を利用しているのはそのとおりなのですが、イランやイラクの民衆がイスラムの教えにもとづいた政権をもとめていることもまたたしかなことです。したがって両者は相互に依存しているのであって、この点では北朝鮮などとは明確に区別されるべきでしょう(アメリカは核開発の問題だけをとらえてイランと北朝鮮を同一視していますが)。
ここでは30年代のドイツにみられた民主主義の落とし穴が、宗教という枠組みにおいて再現されようとしているようにみえます。核開発を積極的に推進し「イスラエルは地図から抹殺されるべきだ」などと発言するイランの大統領はわれわれからみてもちょっとどうかとおもうのですが、それでも彼はイランの国民から合法的に選ばれた大統領なわけですから。
記事の筆者はヨーロッパのイスラム教徒を中東の影響から分離すべきことを主張していますが、しかしこれもイスラム教徒をかいかぶりすぎるとかえって危険なことになるかもしれません。「文明の衝突」というキャッチフレーズは問題を単純化するおそれがあり、乱用はひかえるべきなのかもしれませんが、ディコンストラクション風の議論はさらに無力なような気もします。欧米の政治家はもうそろそろ安易な外交政策が通じないことを悟って、イスラム専門の社会学者等の意見に耳を傾けるべきときなのかもしれません。
そいえばかつてフーコーも革命まもないイランからレポートを書いたことがありましたね。当事のフーコーはいまの状況をどこまで見通していたのでしょうか?
【2006/02/14 02:21】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
>fenestraeさん
補足、ありがとうございました。
例の広告、私は全然目にする機会がなく、インターネットで検索して見ました。

>pianomanさん
フランスの立場をちょっと擁護するなら、今回の件について、ヨーロッパの価値を中東におしつけているという批判を多く耳にしますが、それなら逆に共和国原則にのっとったフランスの内部で中東の価値をおしつけるべきではないと思います。実際、フランスで生まれたマグレブ系移民の第二世代は実践的なムスリムでないことも多く、先の郊外暴動で自分達がフランス国民であり、他のフランス国民と同じようにみて欲しいという主張が少なからずあったことを思い出せば、上記翻訳記事中に言及されているように移民母国が第二世代を抱え込もうとしていることは憂慮するべき問題だと思います。
また、フランスがイラク介入に参加しなかったのは、民主主義をおしつけるアメリカに対立したのと同時に、外部からの民主化がどれだけ難しい国であるかを知っていて、介入は占領で終わるのではなく長引くという結果をある程度見通していたためではないかと思います。

フーコーのイランからのレポートについてよく知らないのですが、イラン革命に賛同して本国フランスから厳しい批判を受けたのではなかったでしたっけ。
フーコーはイスラムの専門家ではないし、外交の専門家でもないし、強いて言えば権力構造の専門家?いまの状況を見通すことはなかったのではないかな…と思いますが…わかりません。
【2006/02/14 12:06】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
問題は人間がどこまで後天的に、つまり人種や先祖代代の宗教を超えて、それと相反する主義をうけいれることができるのかということなのでしょう。ヨーロッパの大半のイスラム教徒はおそらくフランスに移住したときはあまりそのことを深く考えなかったかもしれません。うけいれるヨーロッパの側も当初は労働力の問題など、宗教とは全然ちがう次元のところで彼らをうけいれていたのでしょう。そして彼らが後天的に自分たちの価値観をうけいれるだろうという見通しはかなり楽観的なものだったのではないでしょうか。
しかしじっさいのところはある国の国籍を取得したからといって、身も心もその国の人間になりきるというのはかなり難しいことであるようにおもいます。つまり移民というのはある分裂状態におかれているわけで、そういう人達を多くうけいれるということはそれなりのリスクがともなうわけです。
むかしから外国人とのつきあいがへたくそな日本人が積極的に移民政策をとらないことは、ある意味ではおのれをわきまえているということもできるかもしれません。
だから移民にたいする同化政策に自信がもてないのであれば、積極的に移民政策を推し進めるべきではない、というのは厳しすぎる見方でしょうか?
あともうひとつの問題は戦後のヨーロッパ思想界が宗教の問題をおきざりにしてきたツケがいままわってきているということでしょうか。
もちろんレヴィナスのようなひともいるにはいるのですが、サルトルやフーコーにくらべるとその影響力は限られているといえるでしょう。
戦後に大きな影響力をもった思想家であるサルトルやフーコーのようなひとたちだけをみているとなにか宗教の問題というのはもはや過去のもののようにもおもわれるのですが、それは宗教を乗り越えたというよりもじつは抑圧してきただけなのかもしれません、そして抑圧されたものはある一定の周期で回帰してくるわけです。
ウェーバーの研究者がどこかで書いていましたが、ヨーロッパではあまりウェーバーが読まれていないらしく、ことにフランスではその傾向が強いらしいです。ウェーバーは宗教という「内面の問題」をザッハリッヒに、学問の対象としてあつかったという意味でいまだに他の追随をゆらさない存在といえるでしょう。ウェーバーがもっと長生きしていたらナチスの擡頭がなかったかもしれない、とすらいわれています。こういった研究成果が受け継がれていかないところにも危機感を感ずるわけです。
【2006/02/15 02:19】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
最後の晩餐女性版、あれネブロでアップしてます。案外スキなんすよ、あれ。
http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2005/04/post_6c1c.html
【2006/02/15 02:23】 | 猫屋 #- | [edit]
またも横スレなり、
他のドイツ哲学の大物がフランスで継承されたように、ウェーバーを読んで社会学に行った人は多いと思いますがどうでしょうか。プロテスタントのエティックと資本主義の精神、2003年に新訳が出ました。持ってるけど(まだ)読んでないんですが。
【2006/02/15 02:36】 | 猫屋 #- | [edit]
なるほどフランスでもプロ倫は読まれているのですね。すこし安心しました。フランスにはデュルケームというビッグ・ネームがありますし、こういった人々は哲学とか文学の垣根をこえてもっと読まれていってほしいとおもいます。
【2006/02/15 03:23】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
それと労働力の問題で思ったのですが、いずれ日本でもおきる問題なのでしょうが、少子高齢化によって労働力不足に悩まされ、多くの移民を受け入れた結果、移民の方が多数派を形成する可能性は大いにありうるのではないでしょうか。
そのときでもフランスでは過去のフランス人の価値観が優位を占めなければならないのでしょうか?
もし日本で朝鮮人や中国人の移民が多数派を占めて、議会においても帰化した外国人の議員が増え、結果として象徴天皇制が廃止されたとしてもわたしはやむをえないことだとおもいます。それは坂口安吾がいうところの「必要なもの」でなくなったということなのでしょうから。
【2006/02/15 06:22】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
>pianomanさん
うーん、やっぱりちょっと言葉が足らなかったですね。そんな気はしていましたが。「フランスの内部で中東の価値をおしつけるべきでない」と言ったのは、(続く文章を読んでいただければおわかりいただけるかと勝手に期待したのですが)、イスラム系諸国からフランス内部のイスラム系共同体を後ろから糸で引いているということに関してです。
たしかに高度成長期に旧植民地から移民を積極的に呼び寄せたとき、フランスは彼らがずっとフランスで暮らすことになるとは思わなかったようです。更に言えば、移民側も、ずっといるつもりはなかった人が多いようです。引退してモロッコとかアルジェリアに帰る人もずいぶんいるみたいですし。
同化政策と移民の文化的アイデンティティについては、郊外暴動のときに自分の考えを既に書いた(つもり)です。

pianomanさん、フランスは改宗したんですよ。フランス国教は「無宗教」です(ゲラ
無宗教は宗教の抑圧と別の位置にあると思いますが、わかりません。もしかしたら抑圧かもしれません。無宗教については思想界に限らず、いたるところでずっと議論されていると思います。
ちなみにウェーバーが読まれていないようだ、読まれていたら…というのは結果論的な仮定ですよね。フランスは古典を読むのが当たり前(読めなくなっている学生も多いらしいですが)ですから、ウェーバーが読まれていなくても他のものが読まれているんじゃないでしょうか。思想の流れは常にワールドワイドとは限らないと思います。日本はいろんな国から入ってきますが、フランスは固有の思想の流れがあります。それは日本の哲学が伝統的に「西洋哲学」なのに対し、フランスの哲学は「フランスの哲学」だからではないでしょうか。例えばフッサール現象学だってサルトルが熱をあげるまでフランスでマイナーだったし、フロイトも、ラカンですら1950年代までろくに読んでいないのです。
日本にいると俯瞰的に思想界を眺められるかもしれませんが、それがどこの国でも主流というわけではないと思います。そしてもし思想や文学が社会と結びついているなら、思想や文学は社会を反映してその流れを形成しているのではないでしょうか。要は、主流にならなかったのなら、フランスはそのときそれを「選ばなかった」のではないかと思います。結局、面白いと思われなければマイナーで終わるんですから。(思い切り話がそれましたが。)
どちらにしても、しばらくは、宗教の問題は無宗教の問題としてしか回帰してこないと思います。

移民が多数派を形成する可能性は、なくはないと思いますが、統計的にみてその上昇率を計算して予測したら一体いつになるでしょうか。かなり先の話だと思いますが(統計もってないからわかんないけど)。
社会の価値は常に流動的ではないですか?時代によって変わる、社会構成員によって変わるものだと思います。フランスの昔からの価値観なんて、「祖先からの」フランス人のいまの若い子だって違和感を覚えると思いますよ。
【2006/02/15 22:34】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
イスラムの共同体がうしろで手をひいているのはその通りなのでしょうが、それにのせられる人もやはり単なるあやつり人形というわけではなく、それなりに自分の考えもあって運動にのかっているのだとおもうのですが。
それとよくわからないのは、無宗教というのは無神論とイコールということでいいのでしょうか?いずれにせよ信仰のない、もしくは信仰というものが理解できない人が、信仰をもつ人たちとつきあっていくうえで、彼らを理解する手段としてウェーバーの切り開いた宗教社会学はとても有効だとおもわれます(ウェーバー自身が自分は信仰音痴であるといっているくらいですから)。
だからもしフランスの思想界にそういった緩衝材になる部分があるのであれば、べつにウェーバーでなくてもいいとはおもうのですが。
しかしいずれにせよ宗教の問題が無宗教に帰結するという結論をだすのはまだはやすぎるのではないでしょうか?そしてフランス人がそのはやすぎる結論のうえにあぐらをかくのであれば、わたしにはたんなる知的怠惰にしかうつらないのですが。
そしてこれもわたしの見解なのですが、無宗教という立場はかならずしも宗教にたいして優位にたっているかというとかならずしもそうとはいえないのではないでしょうか。どうも今回の諷刺画などをみていると、無宗教のひとびとが宗教をもつ人々に対してなにかうえからものを見下ろしているようにみえてならないのですが。そしてひょっとするとそれは人種的偏見以上に深刻なことなのかもしれません。
【2006/02/16 02:27】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
後ろから引っ張ろうとしていること自体が、私の言っている「おしつけようとしている」ことです。それにのるかのらないかは別の話だと思います。フランスでイスラム原理教に改宗してイラクに自爆しに行ってしまった移民系二世の若者がいましたが、勿論、彼が改宗したのはただ中東からの介入だけでなく他の要因もあり、それは多分、主にフランス社会内の問題(差別など)だと思います。だからこそ、フランス社会はマイノリティーについて考えるべきだと思っています。

いやいやいや~だから無宗教はひとつの信仰なんですよ~。
無宗教とはライシテのことです。ライシテは政教分離の意味ですが、同時に非宗教性・無宗教のことであり、フランスにおいては他国よりもこのライシテがすごく大事なんです。ちょうど郊外のことで世間がざわめいていたときに、なんかの新聞(ル・モンド・ディプロマティークだったか)の一面の見出しが「ライシテはフランスの宗教」と書いてあって笑いましたが。
だから無宗教は他の宗教より優位に立っているというよりは、対置していると思います。先週のNouvel Obsに載っていたある人のインタビューで「私たちがモスクに入るときは裸足になるのだから、公立学校に入るときはスカーフをとってくださいとムスリムに頼むことができる。二つとも聖なる場所なのだから」というのがありました。

それから、宗教の問題が無宗教に帰結するとは、私は書いてないですよん。
まあ、最初からライシテと書かなかったのがいけなかったのでしょうが。先の段落の意味で「しばらくは、宗教の問題は無宗教の問題としてしか回帰してこないと思います」と述べました。

それから、ご存知の通りフランスはカトリックの歴史の国ですから、すでにそれだけでウェーバーを受け入れる土壌でなかったでしょうし、ウェーバー以前にコントが社会学をやっていて、まあ読んだことないんであんまりヘタなことを言えませんが、そのへんにライシテ思想へ発展する出発点があるんじゃないかと思いますが。そしてその後、デュルケームもいますが、その甥っ子モースなんかはどうでしょうか。モースは宗教についてやってなかったっけかな…魔術とか、文化人類学にいっちゃうんでしたっけ。
だから、無宗教(ライシテ)は、フランスの思想の流れの中で「知的怠惰」として生じたものでは決してありません。

ひとつの価値観が他の価値観に高慢な態度をみせることは、植民地主義の歴史の上にある西欧が世界の他の国々に対する態度のなかだけでなく、敗戦後占領の経験がある日本が自分達は被害者であるためにその権利があると考えているかのように西欧を高慢だと非難する態度のなかにもあるように思います。
【2006/02/17 01:24】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
たしかに背後で手引きすることはおしつけなのでしょう。しかし戦争状態というのはもう国境もなにもなくなってしまい、テロを含めたありとあらゆる手段が使われるものです。そしていまヨーロッパはほんの些細なことですぐにそういった状況がおきるのだということをリアルに認識しなければならないのではないでしょうか。そういった戦争状態をさけるためにはたとえ自国内で法的にゆるされているとしても相手を挑発するような言動は慎むべきだとおもうのですが(イギリスの穏健なイスラム教徒もわれわれを挑発するようなことをしてくれるなと集会で呼びかけていました)。
それと無宗教が宗教であるといえるのかどうかは難しいところですね。おそらくイスラム教徒は無神論ととらえるでしょう。厳格なイスラム教徒にとって無神論者はわるい言い方をすれば野蛮人のようなものですから、無宗教が宗教であることをうまく説得できないとフランス人のエートスがなかなか理解されないかもしれないですね。
わたしはむしろ日本は戦争の加害者だとおもっています、ですからそういった自戒の意味も含めて西欧人の態度に敏感になるのでしょう。
【2006/02/17 02:03】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
戦争状態とまでいってしまうのはちょっと慎重さに欠ける気がしますが、ヨーロッパが挑発的にみえるような態度に留意すべきだということは同意しますし、私もすでに他エントリー内で言ったつもりです。

それでも、ひとつ確認しておきたいのは、ヨーロッパ対イスラムという構図を描いて話すとき、イスラムに対立するヨーロッパが即「国家としてのヨーロッパ」でないことです。わたしたちは、文化的レベルと国家的レベルをたやすく混同して話していますが、出発点としてそれは別のものであることは頭の片隅においておくべきだと思います。
ヨーロッパの民主主義世界において、言論界は政治的権力に支配されてはいけない(原則的には、または表面だけでも)のであり、フランスの新聞が問題の諷刺画を掲載したのとは別に、大統領は「挑発的な言動は避けるように」と促しています。また、それは2、3日おいてからでした。つまり、即時の介入はしなかった。それは、言論界に政府や国家元首が干渉することは民主主義においてデリケートな問題だという認識があるからだと思います。その点で、問題が国際化する以前、わりと初期の話ですが、デンマークの首相が「メディアの問題だから」と言ってイスラム系指導者達との会見を拒否したことは間違っていなかったと思います。

イスラムとライシテという対立については、フランス国内でのムスリムの反応をみるとそれほど構図的なものではないように思います。フランスの穏健派のムスリムたちは、フランス社会の原理・原則と衝突せずに暮らしています。

また、ライシテが宗教かどうかについては、広義の意味で「宗教」という言葉を使ったものの、厳密な定義に沿うかどうかはあまり自信がありません。しかしそれが「信仰」であるということは言えると思います。

イスラム教にとってライシテが野蛮かもしれないという話は、それにのると、じゃあライシテにとってイスラム教は野蛮でないと思われているか、という野蛮な話になるのでやめておきます。
それとは別に、理解できないものを野蛮だと言うことこそ野蛮だと思います。それは、古代ギリシア・ローマ人が外国人をbarbareと呼んだのと同じです。
それに、イスラムと一口に言っても、ご存知のように多様であり、すべてのイスラムがフランスのライシテを無神論で野蛮だとみなすとは思えません。

pianomanさんがそうだというわけではありませんが、西欧に近い加害者的な存在と感じて西欧批判の立場に立つにしても、イスラムと同じ犠牲者と感じて同情的にイスラム擁護の立場に立つにしても、なぜそのような西欧またはイスラムとの同一化が起こるのか、非常に不可解です。日本は西欧でもイスラムでもなく、どちらとも大きな差異がある。それを見落とした同一化は単純で極端で、論理を粗雑にとどめてしまいます。そして、そうした同一化は自分の価値観を他の人や国や文化(それはそれで固有の価値観をもったもの)に単純にあてはめることになるし、それによってなされる非難や自己批判は高慢に思えます。
【2006/02/18 17:53】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
政治がメディアに介入すべきでないのはまったくそのとおりだとおもいますが、メディアも人間がうみだしたものであるかぎり絶対ではありません。だから基本的にはメディアにたずさわる人々の判断の問題になるわけですが、その判断にあやまりがあったときにメディアに自分自身をチェックする能力があるのかどうかが問われることになるでしょう。

これも勝手な想像ですが、おそらくイスラム教徒が無神論者を「野蛮人」とみなすのはおおかたバルバロイの意味に近いのかもしれません。

たしかに日本と西欧、あるいはイスラムは同一化できるものではありませんが、ある国と国、民族と民族との対立をみたとき、それを自国の問題に置き換えて想像することは可能なのではないでしょうか。
まさかこういうことを自国でやったらどういうことになるかという実験をするわけにもいかないですし。

だからそういう想像のもとに、日本であれば、一般の雑誌でこういう諷刺画によって在日朝鮮人が扱われることはちょっと考えられないし、それが「言論の自由」のもとにまかりとおってしまうこともちょっと信じられないわけです。
またこういう西欧の出来事をみているとひょっとすると、われわれも気づかないうちに些細なことで在日の人を傷つけたりしているのかもしれない、と想像してみることは無駄なこととはおもわれません。
しかし外国からみて、ある想像のもとに西欧を批判することが高慢であると受けとられるのであれば、それはいたしかたのないことです。
【2006/02/20 12:24】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
メディアのことを出したのは、イスラム系諸国の反応がヨーロッパ国家に対してなされているけれども、そこで混同が起こっているということ、そしてそこに、イスラム系諸国の政治的意図があるということを確認したかったからです。

もちろん、自国の問題に置き換えて想像することは可能ですし、大事なことです。が、問題はその想像がどのようになされるかということです。
同一化するとき、何に同一化しているのか、そしてその同一化がどこまで正当であるかということも振り返りながら考えを進めるべきではないかと思います。

日本で、この件に関してどのような議論が展開されているのか存じませんが、在日朝鮮人に対する諷刺画だったらどうかという想像が、まず不可解です。フランスのムスリムの立場を在日朝鮮人の立場に単純に同一視することがわかりません。日本在住の方は日本と在日朝鮮人の関係の歴史を実感として知っていますが、フランスと在仏ムスリムの関係の歴史とその現状を考察せずに想像しているだけのような印象を受けるからです。
それから、在日朝鮮人をムスリムに同一視するなら、ユダヤ人に同一視することはできないのでしょうか。これは今回の件でさんざんムスリムたちが不満をもらしていることでもありますが、フランスだって反ユダヤ主義的な風刺はしません。日本が在日朝鮮人に対する風刺をしないのと同じようにです。
だから、私はフランス国内のムスリム差別について議論がなされるべきだと考えていることは、何度も強調しました。

自国の問題に置き換えるのなら、フランスの表現の自由の行使うんぬんから振り返って、日本の表現の自由の制限、そして日本社会の中の差別について考えればよいのであって、ヨーロッパがなぜ表現の自由をあれほど固持しようとするのか理解しようとしないこと、それぬきにただ非難することが高慢に感じられるということです。
【2006/02/20 14:47】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
うーん、なんか説明不足なところと、後からのリフレクションがあったので付け足します。

「在日朝鮮人に対する諷刺画だったらどうかという想像が、まず不可解です。フランスのムスリムの立場を在日朝鮮人の立場に単純に同一視することがわかりません」と書いたことについて付け足しますと、私の感覚としては、現在の日本社会でそんなことありえないでしょーというのが前提なわけです。(えっ、もしかしてありえるの?)
対して、現在のフランス社会で、イスラムに対する悪趣味な風刺が通用しないとは言えないわけです。(ただ、どこまでを悪趣味ととるかが問題ですが。すでに他エントリで述べたように、また、フランス在住のムスリムの方たちのうち何人かがインタビューで言っているように、私はデンマークの諷刺画のすべてが悪趣味で反イスラム的だったとは思いません。)

それから、日本在住の方がフランス社会の現状がわからないのは仕方のないことで、それは日本の報道のされ方などにもよるのでしょうね。日本の既存メディアとちがったかたちで、フランス在住者のブログがフランス社会の中からのひとつの視点を提供していければ、と思います。
【2006/02/20 16:12】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]












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【2006/02/15 07:02】
  • 中東【共通テーマ】
    紛争が続くイラン、イラク、パレスチナ、レバノン・・・中東の政治、経済、社会、文化について語ってください。
【2006/02/15 18:35】
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