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Le 10e anniversaire de la mort de Francois Mitterrand ~ミッテラン没後10年~

 2006-01-08
ミッテラン元大統領が亡くなって10年の今日、彼の生まれ故郷であり埋葬地であるジャルナックにて追悼式が行われました。
社会党の主要メンバー、特にミッテラン大統領時代に大臣を務めた政治家たちや、かつての同朋、ミッテラン氏の近親者らが集まりました。また、一般の人たちも多く訪れたようです。
20060108190930.jpg驟雨の中、出席した政治関係者は、リオネル・ジョスパン、ジャック・ラング、ローラン・ファビウス、エリザベット・ギグー、ユベール・ヴェドリンヌ、エディット・クレッソンなど。
UMPからはジャン=ピエール・ラファランが出席。彼はミッテラン氏と家族のおつきあいがあり、ポワトゥ・シャラント地方議会長だったときにミッテランの生家を博物館として開館するため尽力したそうです。また、ジャック・シラクの執務室から代表のミッシェル・ブランジが出席し、最初に献花。
mazarine.jpgしかし、なんといっても注目を浴びたのは、ミッテランの隠し子だった愛娘、マザリンヌだったのでは。

反対にその不在が目立ったのは、正妻のダニエル・ミッテランと今一番人気のセゴレンヌ・ロワイヤル。前者は「独りで静かに過ごしたい」とのこと。後者は前回記述しました通り、昨夜(7日)チリへ出発。


ところで、私はその頃日本にいたので、ミッテラン大統領時代のフランスを知りません。
ただ、ミッテランが亡くなったとき、当時通っていた日仏学院で先生(NHKフランス語講座にも出ていた若くて美人な先生でした)から聞いたことが記憶に残っています。それは、ミッテランが「Tonton」という愛称で呼ばれていたことと、シラク大統領が赤いバラを携えて追悼集会に出席したこと。
「Tonton」とは親しみをこめて「おじさん」という意味だとしか、そのときは理解しなかったのですが、レジスタンス時代のミッテランのコードネーム(の変形)だったのですね。
それから赤いバラは社会党の象徴であり、シラク大統領がそれを手にして公の場に現れたとういことは、非常に印象深いことであったと聞きました。

しかし、私がフランスに(というか「フランス語」に)興味を持ち始めたとき、ミッテランが大統領に在任中でした。
当初、フランスに対して特別な憧れや夢を抱いていたわけではなく、言葉を学ぶにつれフランスに興味をひかれ、初めてパリを旅行した後、フランス(というかパリ?)好きになってしまったのでした。
私がその頃もったフランスのイメージは「文化的なものを大切にする国」でした。芸術の精神が豊かで自由な雰囲気に特に惹かれました。それは、ミッテラン大統領が進めた文化事業に代表されているように思われました。ルーブルのピラミッドやバスティーユのオペラ座は、日本のフランス愛好者の間でも賛否両論だったようですが…。
今思えば、私がフランスを好きになったのは、ミッテランが大統領だった時代があったからかもしれません。

後に、TV(M6の「Secrets d'actulaite」)で見たミッテランの策士ぶりに驚き、彼が良くも悪くも強烈な人物であったことを知りました。没後10年、彼に関する本やドキュメンタリーがあまたありますが、フランソワ・ミッテランというひとはどうやら一筋縄では括れない人物のようです。
「実際に、私が最後の偉大な大統領となるだろうね。いや、私が言いたいのはド・ゴールの系譜でという意味だが。後には、そのような大統領が他にいなくなるだろう…ヨーロッパのせいで…グローバリゼーションのせいで…制度の必至の変化のせいで…、大統領は一種のスーパー首相になるだろう。その大統領は弱いだろうね。」とは、ミッテランがエリゼ宮を去るときに言った言葉だそうですが(1月5日付けLe Nouvel Observateur誌「MITTERRAND Quelle histoire!」より引用、元はGeorges-Marc Benamouの「Le Dernier Mitterrand」より抜粋)、共和国としてのフランスのあり方が問い直されている現在、ミッテランの先見の明もさることながら、痛いほどになかなか的を射た言葉として響きます。
彼のような人物はそうそういるものではないし、時代の変化もあるし、これかれのフランスには新しい大統領像が必要なのかもしれません。
20060108204328.jpg

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  • ミッテラン没後10年 10 ANS APRES LA MORT DE MITTERRAND【フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE】
    フランソワ・ミッテランが亡くなってから10年が経ったのを機に、Le Point が特集を組んでいる。彼のもう一つの家族の娘、マザリン・パンジョについて以前に触れたことがある(8 mai 2005)。特集では、彼に関係があった30人ほどのコメントが出ている。名前を知っている人は
【2006/01/13 14:00】
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