スポンサーサイト

 --------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)

キリ番

 2005-12-18
もうすぐカウンターが10000になりそう…。
こんなちらしの裏のメモ的ブログに訪れてくださった方々に感謝。
基本的にキリ番とかどうでもいいんですが、「10000ってすごいなあ~」(自分自身が一番カウンター回してると思うけど)と感じ入ってしまったので記念になんかしようかな~どうしようかな~…と思案中。(←気分屋で優柔不断)
10000ゲットした人から申告があったら考えます。
ということで、ヨロ。
スポンサーサイト
コメント
カウンター、凄い勢いだ。8000からそんな経ってないのに、、。必死で自己クリックのネブロも追いつかないよお。
【2005/12/18 21:51】 | 猫屋 #- | [edit]
と、やはり猫屋がゲットみたい。ヨロ、ルンルン。
【2005/12/18 21:52】 | 猫屋 #- | [edit]
あっ、そういえば猫屋さんは8000もゲットしていただいたのでしたね。ありがとうございます。

え~~と…何にしよう…。実はまだ何も考えてなかった(笑)。

もうちょっと考えます。
【2005/12/19 00:12】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
>猫屋さん
とりあえずこのブログ用メールアドレスを作ったのでご連絡ください。
lecumedesjours-shiba@hotmail.com
えーと、賞品はシャンパン(頂きものだけど)…で、すき焼き大会に持参しようかなっと。(でももし自分も飲んでしまったらあんまり賞品の意味ないかな。)
【2005/12/19 14:52】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
メアド、了解。すき焼き大会も了解。シャンパンは一人で飲む酒じゃないからいいんじゃない?

松岡セイゴーさんとこからURL。勉強になるんだけど、原本読まずにわかった気になっちゃうのがセイゴー氏の文章の難点ですが、、
「絶対矛盾的自己同一」>西田幾太郎
ドゥルーズ=ガタリにしてみれば、コンプレックス(観念のつながりぐあい)は、「器官なき身体」がもたらす情動の霰走りであるはずなのだ。
 それはアルトーの溢れるような発想になっていくはずのものであって、それをどこかで中断させたり、資本主義的な欲望にすり替えようとすれば(資本主義的な欲望なんてキリないものだから、そこにも必ず中断があるのだが)、病名としては分裂症というふうになってしまうだけなのである。>セイゴー氏のドゥールーズ・ガタリ読み(セイゴー氏はドゥ・ガタ読みのオチは読者がつけるんだよー、と言ってる風であります。


http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1082.html
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1086.html
【2005/12/19 19:58】 | 猫屋 #- | [edit]
上のURL分しかまだ読んでいませんが、妖怪アンテナならぬ元フロイト読みアンテナがピンと立った点をひとつ。
アルトーからヒントを得たように、ニセの主体、ニセの精神分析を加えなければ「分裂症的な衝動(すなわち欲望)こそが思索の本来を貫くもの」であるという点。これはフロイトがすでに「現代(19世紀末~20世紀初め当時)の西洋社会は神経症的である」と言っていて、中井久夫も「分裂症を治すということは、神経症へ矯正すること」だからかなり無理がある、と言っています。フロイトは社会と精神病の関係をちゃんと見ていて、超自我は社会の規範を取り込んだ「定言命法」的審級でした。すなわち欲望を抑制するのは社会的命令。「病気にならないためには抑圧する自我を強化すればよい」という方向へ流れていったのは娘のアンナ・フロイト(自我の防衛機能を研究した)、またアメリカの自我心理学(ラカンが強烈に批判することになる)だと思います。ただ、フロイトには「資本主義社会」というものが見えていなかったのでは…とは思いますが。
中井久夫については柄谷行人が「探求」の中で引用していますが、柄谷は更に、ドゥルーズ=ガタリも基本的にはフロイト的な強迫神経症と分裂症のカテゴリー分けに沿って語っている、と指摘しています。
柄谷行人の指摘を別にしても、ドゥルーズ=ガタリの精神分析批判もフロイトと理論の根本的出発点はそれほど遠くないような直感。といって、この本、読んでないのでなんとも言えませんが…。
ドゥルーズ&ガタリが「分裂症」という言葉を強調したため、「神経症」的な世界に対立するものとして間違って捉えられがちなのかもしれません。という直感も。

ちなみに、中井久夫氏が神経症的な社会として例を挙げているのがヴェトナム、反対に分裂症的な社会としてエチオピア。いつの話かわかりませんが、後者においては科学的な測定器が意味をなさない、何故なら測定条件を無視するから(無菌状態にするとかそういうこと)、フォークやお皿の並びも真直ぐでないし、とにかく色んなところが私たちの目から見たら「いい加減」なんだそうで、そういう社会に行って「病気」になる日本人がいるそうです。

以上、全然キャッチボールになっていないコメント返しでした(苦笑)。
【2005/12/20 00:00】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
うっわあ!なんとなくふーんでurlアップしたらドーンとキターーーー!!!
いえね、猫屋はもう読書20年の不在浦島型だからなんとも言えない。ただそれでも、フロイトをフロイトの生きた時代に還元して読むことは必要だろうと思います。同時にドゥルーズ・ガタリが(フーコーもそうなんだけど)今と言う時点で緊急重要性を持っているというのもある。といってフロイト読みに関して、まあこれからもしないだろう私が何かいうことは出来ないだろうが、とくにこの30年ぐらいの期間、フロイトを“テコ”にして世界を読もうというテクニックが使われてると考えています。その一例がCapitalisme et schizophrénieなんじゃないか、と。

あと、アジア人に対してもそれまでの分析なりのやり方は有効じゃない、とかどっかで読んだけどあれは合衆国でベトナム難民を受け入れた頃の話なんで、今はまたかなり変わってきてるはずです。なんかそんなことを考えると、「絶対矛盾的自己同一」かしらんとか思ってしまうわけです。セイゴー先生も大病して、このごろの空気もあって最近の文章を書いてる気もします。

ところでホットメールの使い方がわからなくて猫屋は苦労してます、はい。
【2005/12/20 00:38】 | 猫屋 #- | [edit]
あぁ、すみません、「ドーン」はアンテナのせい…。
いや、神経症と分裂症という対比への興味もあって以前フロイトを読んだのですが、松岡さんの文章を読んでそういう対比の構図がもう古いような気がしてしまいました。
といってドゥルーズ&ガタリの言っていることが古いというのじゃなく、多分当時はそういう構図が一番有効だったから「分裂症」という言葉をもってきたのであって、今ならそういう構図から脱してドゥルーズ&ガタリを読むべきなんだろうな…という予感です。

絶対自己矛盾的同一性・西田幾多郎のほう、まだ読んでません。これから読みます。

え、ホットメールで苦労?私のアドレスがヘン(メールが届かない)…ってこと…じゃないですよね??
【2005/12/20 01:42】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://hibinoawa.blog10.fc2.com/tb.php/234-17aa9644
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。