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フィンケルクロートのインタビューに思うこと

 2005-12-01
さて、のびのびになっているフィンケルクロートのインタビューについての感想です。

ル・フィガロに掲載されたのが11月15日、訳してアップしたのが22日ですが、その後、fenestraeさんがご紹介くださったラジオ番組でのインタビュー、イスラエルの新聞に載ったインタビュー、それから猫屋さんがコメント欄でリンクを貼ってくださったル・モンドのインタビューなどに目を通すなり耳にするなりしましたので、それらの感想も合わせて述べていきたいと思います。

まず、「ユダヤ人としての立場」が一番に感じられました。
フィンケルクロートはユダヤ人で、お父さんはポーランド出身、強制収容所に入れられた経験があります。
また、彼はレヴィナスに関する論文で有名になりましたが、当のレヴィナスとはユダヤ人会議で顔見知りだったそうです。ちなみにレヴィナスは、ユダヤ教の聖典と見なされている「タルムード」の研究もした哲学者。
その辺りの背景と共に、彼が「ポグロム(pogrom)」という用語を使ったことに注意をひかれました。文中では「虐殺」と訳しましたが、この「ポグロム」とはもともとロシア語で、ユダヤ人虐殺を意味する語です。広義でユダヤ人に限らない「虐殺」にも用いられますが、私が参照した事典(HACHETTE Dictionnaire Encyclopedique Illustre)では「人種差別的動機による虐殺」となっています。だから、例えフィンケルクロートが「反共和国主義による」と付言したにしても、彼がこの言葉を使用したことがひっかかりました。
また、レヴィナスは倫理について語っていたし、ユダヤ教では「tu dois」という命令が強くあると聞いたことがあるので、フィンケルクロートが「権利」より「義務」を重視するような意見、「道徳の建て直し」を推奨するような意見を言っているところにユダヤ的なものがあるような気がしました。
以上が最初のぼんやりとした感想でした。

ところが、ル・フィガロのインタビューでは私にはあまりはっきりわからなかったことですが(まさか名の知れた知識人が差別的発言をしたりしないだろう、という疑いの気持ちもあり、また私の鈍感さもあり)、他のインタビューを参照することで形になってきたことがあります。それはイスラムに対する批判です。
ル・フィガロのインタビュー冒頭で、フィンケルクロートが暴動の兆候として挙げている例がそれを示唆しています。彼はキリスト教に反対する学生、イスラム至上主義思想の学生たちのことを批判的に仄めかしています。また、「フィヨン法に反対するデモで高校生達の暴力があった」という部分ですが、今年3月、高校生たちのデモの中で、あるグループが暴力を振るったりカツアゲしたり盗みを働いたりしたことを指しています。この問題グループはパリ北部または郊外の黒人・アラブ人で、嫉妬や憎悪を晴らすために紛れ込み、白人ばかり狙ったのだ、と言う人たちがいました。そして最初に挙げられているサッカーの試合については、フランス国歌斉唱の際にアルジェリアのサポーター側からブーイングや罵声があがり、国を侮辱するものとして問題になったのでした。
他方、移民や黒人・アラブ人一般については、「〔…〕私自身、移民の二次世代で、〔…〕全ての黒人やアラブ人学生たちに確固たる連帯感をもっています」と述べています。つまり、彼は肌の色で差別しているわけではないことを表明しています。
では、彼は人種差別的な考えを持っていないということなのでしょうか?
fenestraeさんがリンクを貼ってくださったRCJ (La Radio de la Communaute Juive)11月6日の放送(即ちル・フィガロ発行より先)を聞くと、フィンケルクロートははっきりと「この暴動は社会的な反抗ではない、民族-宗教的な反抗だ。暴徒達はムスリムのアラブ人と黒人たちだ、一般のアラブ人や黒人ではない。その辺りを一緒くたにして考えてはいけない」と言っています。
そしてル・フィガロ掲載のすぐ後、イスラエルのハアーレツという新聞に掲載されたインタビューで、「フランスには中国やベトナムからの移民もいるが彼らは大人しく、問題を起こすのはムスリムの黒人、アラブ人の移民だ」というようなことを述べています。これをMRAP(Mouvement contre le Racisme et pour l’Amitie entre les Peuples)は「人種憎悪への煽情(incitation a la haine raciale)」の発言として訴えました。フィンケルクロートはラジオ(Europe1)で謝罪を表明、MRAPは訴えを取り下げたことは、fenestraeさんがコメント欄で教えてくださいました。
さらにその後、コメント欄にて猫屋さんがリンクしてくださったル・モンドでの問答では、「あなたにとって郊外の暴動の鍵は、不確定な『若者たち』ではなく、ムスリムの黒人やアラブ人なのですか?」という質問に対し、全くこれに答えておらず、質問の側面をすべっています。つまり暗に肯定の答えを返しているということ。また、「誰も宗教的な要求を確認していません。あなたはどこから『民族-宗教的』反抗だと主張されるのですか?」という内容の質問にも、それを否定するでなく「ええそうです、宗教は宗教として現れてはいません。ですが、アイデンティティの規準として現れています」と述べています。つまり前のインタビューでの発言の殆どすべてを肯定しているわけです。

ところで、フィンケルクロートはル・フィガロの中で暴徒達を「反共和国主義」、共和国に反対するものとして糾弾しています。しかし、短いインタビューでは反共和国主義がいかなるものなのか、私にはピンときませんでした。それが共和国に憎悪・敵対心を抱いて反抗するイスラム教徒たちを意味しているということが、後から分かった次第です。
更に、植民地化運動についての教育に言及していますが、これも「共和国モデルの破綻」という話の中に何故急にでてくるのかよく理解できませんでした。が、フィンケルクロートが話している「植民地化」とはヨーロッパによるイスラム圏の植民地化のことらしい。これを「人道的罪」と非難するのはイスラムの者たちであるという図式が彼の頭の中にできているようです。

こうした流れの中で、中野真紀子さんのサイトで丸山真幸さんのエチエンヌ・バリバール「新たな反セム主義?」についての寄稿を読んだことを思い出しました。その中で、フィンケルクロートがパレスチナ問題に触れたバリバールへの反論として発表した文章(「Le Debat」2004年9-10月号掲載)について、「フィンケルクロートは、ユダヤ人を陥れる陰謀をアラブとその支持者の側に見出して、満足(あるいは不満を表明)しているだけである。」と丸山さんは述べられています。この解釈が的確なものだとしたら、今回の連続したインタビュー読解にヒントを与えてくれていると思います。つまり、フィンケルクロートの発言にはユダヤ人的憎悪(特にパレスチナに対するようなイスラエル的敵対心)があるのではないか、と。

だとしたら、ル・フィガロのインタビュー・タイトル、「憎悪の不当性(L’illegitimite de la haine)」によって、フィンケルクロートは彼が想定する暴徒像の憎悪とその不当性を告発しようとしているのですが、彼自身の憎悪がそこに透かして見えるという、鏡像のような、裏返しの結果になっているように思われます。

しかし、実際にそう断定するには早いかもしれません。私はフィンケルクロートの著作を知らないので。
ただ、フィンケルクロートをシオニストと知らずにル・フィガロ掲載のインタビューを読まれた場合どう感じるのかわかりませんが、彼が一応「哲学者」という冠をその名にのせている限りは、あくまでも彼独自の思想的立場から発言しているという点はおさえておくべきだと思います。例え彼の思想内容をはっきり知らないにしても。

(多分、続く。)
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コメント
TB 拝領。フィンケルクロートの発言に関してはコミュノタリズムとの関連がどうしてもはずせないと思いますが、こうした発言の哲学的平面の含意については、グリュックスマンのそれも含めて、今訳しているリベの座談会の訳了部分とのからみもあるのでちょっと考えみたいと思っています。
【2005/12/02 03:12】 | fenestrae #S1xi4FKw | [edit]
ハンナ・アレントのような人でさえ、シオニズムの影が見え隠れするので、ユダヤ人の思想家についてこれは仕方のないことなのかもしません。
それにつけても最近思うのは何故イスラムはキリスト教社会に溶け込むことができないのか? という問題です。アメリカの黒人運動でも先鋭化したのはブラック・パンサーだったし。
【2005/12/02 09:49】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
きのう出たヌーヴェオプスでフィンケル氏、NEO REACになってます。表紙まで、、さすがブリュックナーと主筆ジョン・ダニエルは部分的擁護論書いてたけど、どうも全体としてフランスの急激な方向転換の時点で、ある意味“的”になっちゃったトコもあるか。

アラン(哲学人)とフィンケル(怒れる飲み屋のおっさん)の二重人格論もあったりするわけですが、確かに911を境にコロッと意見が変わった人々が多いのも事実です。アレクサンドル・アドレーなど。
【2005/12/02 21:58】 | 猫屋 #- | [edit]
Matsudo さん、

>ユダヤ人の思想家についてこれは仕方のないことなのかも
フィンケルクロートなんかと今度の件で対極に立っているエドガール・モランやエマニュエル・トッドも出自にユダヤ系があるということを考えれば、「ユダヤ人思想家」の傾向とひとくくりにするのは難しいと思います。晩年に自分のユダヤ的ルーツをかなり意識していたデリダがどううい態度をとったろうかと想像してみても。やはり個々人の政治的選択の問題ではないでしょうか。

>何故イスラムはキリスト教社会に溶け込むことができないのか?
フランスで言うと、本格的な人口混入の時間の短かさからいうと、十分に溶け込んでいると思います。大部分のイスラム圏出身の人々は、昔からいる「カトリック系」のフランス人と同じように、適当に世俗化していて、子供にクリスマスプレゼントを買ったりする。宗教的実践をしている人たちも、週一回モスクに行くのは、田舎のキリスト教徒がやはり週1回教会に行くのとたいして感覚は変わらない。逆に、ユダヤ教徒でも、安息日に電気製品を触らないような原理主義的な人たちは、固まって住み、絶対に他宗教の人々と交わらない。
今、問題なく同化しているように見えるユダヤ人コミュニティですが、200年ちょっと前までは都市の城壁内に住むことさえできなかった。こうしたスパンで考えると、フランスのイスラム系住民の同化は極めて速いと思います。この辺の私の見方はトッド説に近いですが。溶け込めないというイメージができてきたのは、この15年くらい、原理主義が台頭しはじめ、特に中東問題がこじれ、そして9.11があって、目立つところの摩擦が激しくなって以降のことではないでしょうか。フランス社会から見て1960年代のイスラム系住民の溶け込めなさの感じは、1900年ごろのイタリア系住民の溶け込めなさの感じよりも大きくなかったろうと思います。ただ、ブラック・パンサーなんかにも見られるように、先鋭化したドクトリンを与えることのできるイデオロギー的資源がイスラム教の体系にあることはたしかでしょうが。キリスト教、ユダヤ教含め一神教の特徴とはいえます。


はじめましてなのに、のっけから正面きった反論ばかりで申し訳ありません。これからもよろしく。
【2005/12/02 23:24】 | fenestrae #S1xi4FKw | [edit]
こんなのもありました。
Nicolas Sarkozy juge qu'Alain Finkielkraut "fait honneur à l'intelligence française"
ニコラ・サルコジ“フィンケルクロートはフランス知性の名誉である”と判断。
http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3224,36-717361@51-714632,0.html

おまけに、火が付きそうな記事の読者コメント欄なくなってますな。なにおかいわんや、、、
【2005/12/04 22:06】 | 猫屋 #- | [edit]
fenestraeさん

たしかに表面的には個々人の政治的選択の問題なのだとはおもいますが、デリダが晩年にそのことを意識せざるをえなかったことでもわかるように、どのような思想家にもその出自からくる逃れがたい制約(民族的、宗教的)のようなものがどこかにあるのではないでしょうか? そしてそれはしばしば忘れたころに自分のもとに現れてくるものであるような気がします。だからむしろそれがあるということを前提にして考えていないとかえって危険なばあいもあるのではないでしょうか? 戦前の日本の左翼はこの意識が薄く(マルクス主義を奉じるほどの者は天皇制のような前近代的イデオロギーからは免れているという思い込みが強かったのかもしれません)結果として大量の転向者をだすことになりました。
つまりもしデリダが長生きし晩年に突然「自分はシオニストである」と宣言したとしても驚くにはあたらないということです。むしろデリダのような人に限ってそんなことはありえないという思い込みのほうが危険なのではないでしょうか?

わたしも年をとり日本の現状をみるにつけ、だんだんと意地悪なものの見方をするようになってきているのでそのへんはご勘弁ください。

イスラムの問題ですが、日本にいると先鋭的部分だけが派手に報じられて、そうでない日常的な部分がなかなか伝わってこないので、実はイスラムがかなりの程度に同化しているというお話は貴重な情報でした。
そこでまたわたしなりに考えてみたのですが、彼らがある政治的局面に置かれたときに先鋭化してしまう原因のひとつに彼らの宗教に由来する部分もあるのでしょうが、その一方で日本人も含めた欧米人のイスラムに対する無理解ということもあるのではないでしょうか? フランスではどうなのか知りませんが、日本におけるイスラムのイメージというと昔ならアラビアン・ナイトの世界、いまでは石油、テロリズムといったところが一般的なもので、そもそもイスラムがどういう宗教なのかを多少なりとも理解している人はきわめて稀であるというのが実情でしょう。哲学を学ぶ日本の学生でも「聖書」を開いたことはあっても「コーラン」を読んだことのある人は少ないのではないでしょうか? かくいうわたしも「コーラン」は読んだ事がありません。
つまりヨーロッパの文物のように、ある文化を超えて議論の共通の土台となるような部分が、欧米とイスラムの間に欠けているのではないでしょうか。
だからわれわれは彼らの行為を非難するだけでなく同時にもっと彼らの文化を理解する努力が必要なのかもしれません。
【2005/12/05 11:53】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
インターネット接続ができなくて管理者不在だったのですが、その方が全体的知的レベルが上がったような。あは。

>fenestraeさん
細かい検証なし、ただメディア(+インターネット)で見聞したものだけを参考にしているので、結論を急ぎすぎだなと自分でも思っていて、ちょっと疑問が残っています。
今回のは、フィンケルクロートのインタビューの経過に沿った感想でしたが、また違った視点の意見を聞かせていただきたく思います。

>pianomanさん
自分の出自に無意識で制約される、というのはたしかにあると思います。(岸田秀も言ってましたっけ。)
で、実際、ユダヤ系の場合には歴史的・社会的背景があるため自分の出自について他の人たちより考察するでしょうし、その影響が思想の中に目立つというのはあるでしょうね。
しかし今回のフィンケルクロートの一連の発言の中には、「ユダヤ人だから仕方ない」で済まされえない問題が含まれていると思います。彼はフランス人ですし、彼の発言は、ただ「ユダヤ人として」ではなく「ユダヤ人の観点に立つフランス人として」または「フランス人であるユダヤ人として」であることが問題なのです。本文中に明確に書いていませんが、彼は共和国を盾にしてユダヤ的立場をその背後におきイスラムを非難していると私には感じられます。

>猫屋さん
Nouvel Obs買いました。金曜日の朝にメトロ内キオスクで買ったのですが、横に並んだExpresseに比べてだいぶ売れていたみたいでした。
ジョン・ダニエル社説には納得できず、「親愛なる友人」ブリュックナーに到っては侮蔑的憤慨。
【2005/12/05 16:42】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
>shibaさん、
各プロバイダー、週末にメンテするようです。うちは今のところ落ち着いてるけど、スパムもあるしウェブ界はゲリラ戦の場、だよね。商業ゲリラに思想ゲリラ、ファッショ・ゲリラ。サルコジ・スパムってのもあるらしいけど、しっかり選挙権ない移民のところには配られてない。

>その方が全体的知的レベルが上がったような。
レベル上がりすぎると猫屋が来辛くなります。あまり上がらないように努力してください>管理者殿

>ジョン・ダニエル社説には納得できず、、、
若手ジャーナリストLaurent Joffenが走り過ぎないように、カウンター・バランス取ってるところもあると思う。ダニエルはイスラエル問題でもイスラエル系知識人との“橋”を切らないように配慮してる。微妙な政治位置なんだよね。has been哲学者というより、今となっては普通の人ブリュックナーは過去の戦友擁護かとも思う。あと、日刊紙と週刊誌のタイムラグもあるでしょう、、話がどんどん展開するから、ポジション取り難い状態でしょう。
【2005/12/05 19:17】 | #- | [edit]
↑名前入れ忘れました。猫屋です。
【2005/12/05 19:18】 | 猫屋 #- | [edit]
どうも話は続くようですねえ。
今日のル・モンドから
“哲学者の下品な言葉、Robert Solée”
http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3232,36-717155,0.html
【2005/12/05 19:32】 | 猫屋 #- | [edit]
うーん、バランスっていうのは、そうなのかなと思いながら読んだのですが、それなら雑誌全体でバランスをとるという意味で特集記事の中でやってほしかったな、と。ジャン・ダニエルのは「社説」だし…。でも、フィンケルクロートだけを擁護しているのが、なんか個人的な事情が絡んでいそうだなーと思ったのですが、そういう立場の人なのですね。
ブリュックネールは、「私は23年前にこういうことを言っていた、アランはやっと私に追いついたのだ」っていう態度がイヤでした。個人的に。あと、なんか視野の狭そうな人だな、と。それから、ブリュックネールはハアーツ紙のインタビューに「人種的憎悪への煽動を全く認めなかった」と言っているので…。
特集記事の全部を読んだとき、大体どこら辺まで資料として参照されているのかはなるべく注意しました。ジャン・ダニエルがル・モンドの「J'assume」に触れていましたが、他はその前までかもしれませんね。

ル・モンドのリンク先、まっちろ…。
サイトの正面入り口から入って辿ったけどやっぱり何も出ませんでした。なんでだろ??
【2005/12/05 22:38】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
補足。
そういえば、ヌーヴェル・オプスのブリュックネール記事タイトルは「フィンケルクロート、知識人界のサルコジ」でしたね。サルコジとフィンケルクロート、どっちもどっちというか…。
【2005/12/05 23:48】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
これはヌーベオプスの“歴史”に絡んでくるんだけれど、この古い雑誌内部でもいろいろ流れがあるらしくて、一年ほど前tv番組もあった。創立以来の古株論客と新しい読者にあった中堅ジャーナリストの間の“政権交代”がこれからのこの雑誌の課題だ、と言ってたのはJダニエル自身だったと記憶してます。
で、ローラン・ジョフランは該当記事を書いてる(40台か)の記者で、私はファンなんだが、この人が特集組んだと思う。で、Jダニエル大御所はエディトリアルでバランス取ろうとした。この時点ではブリュックナーの小記事には眼を通してなかったし、ル・モンドでの展開はまだそんなに盛り上がってる段階じゃなかったとすると、案外変じゃないかも、、以上は単に猫屋の推理なわけだし、5日つけエントリにくっつけるべきだったかも、、、。

>ル・モンドのリンク先、まっちろ…
やってみたけど、OKだったんだけど、何故だろう?

【2005/12/06 00:30】 | 猫屋 #- | [edit]
フィンケルとサルコ、キフキフ説は猫屋も同意。てか、大体フィンケル記事ソフト版はフィガロが拾ってきたわけでしょう。fenestraeさんの扱ったラジオ版の話が出てきてないのも香る訳だが、サルコとしてはもともと自分の思想サイドの弱み良く分かってるわけで、フィンケルを御用達化したかったんじゃないかと私は邪推。ほら、Fフクヤマとブッシュの関係とかさ、当初の、、今は見事に離婚成立してるけど、、。今のところはトッド・ルモンド・ヌーヴェロプスが対サルコ組なわけだが、、これからどうなるのかねえ、ワカラネ。
あと“私はエリート主義者じゃないけど(ニュアンス)”シヨンス・ポ入ってディプロム取ってないサルコジのパターンはねえ。ジャーナリズムとか、権力とかに大して変な位置関係持ちやすいだろうな、と思うですよ。
【2005/12/06 00:41】 | 猫屋 #- | [edit]
なるほど「フランスのユダヤ人」という問題はこちらからはみえませんでしたね。となるとやはりフランス人の錦の御旗である「共和国の理念」が疑問に付されなければならないのかもしれません。
【2005/12/06 02:03】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
いやいや、その“共和国の理念”をどうやったら守れるかで今ゴタゴタやってるわけです。ちなみにサルコジも1/4はユダヤの人だし、、かなり“共和”的に混ざりこんでるのがフランスの現状かと。
【2005/12/06 08:45】 | 猫屋 #- | [edit]
>猫屋さん
ふーむ、雑誌の中の人も色々とあるわけですね。
5日のエントリは猫屋さんからヌーベルオプスに関するコメントを頂いた後でしたし、流れとしてこちらでOKではないでしょうか。
「キフキフ説」…ちょっと笑ってしまいました。サルコジに「フランスの知性」と褒め称えられてフィンケルクロートもイヤではなさそう…。推測ですが。

>pianomanさん
「共和国の理念」を覆そうとかではなくて、それが目指すものは何かを見直す・それを守るためにどう考えていかなければいかないのかを議論する、という意味で、疑問に付すというか問題提起がされているようです。
【2005/12/06 14:57】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
つまり「多文化」化したフランスにおいて、「共和国の理念」がどこまで普遍的なのかを吟味するということでしょうか。
【2005/12/07 02:24】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
ん~~~「普遍的」という前提ではないんじゃないか…と思いますが…。だって「普遍的」だと思っているのなら「頑張って守る」必要がないような。
今回、アファーマティブ・アクションのことで引き合いに出されたのが、アングロ・サクソン系の国でした。フランスの共和国理念がダメなら、彼らのような国家内少数派の異文化を積極的に認めてアファーマティブ・アクションをとるほうがいいのか、というとそうでもなくて、彼らも社会的な問題が色々と出てきているわけで、結局どちらのモデルも破綻傾向にある、と。それなら、フランスのモデル・共和国理念を捨てるべきではないし、それを保持して問題を解決するように推し進めていくべきではないか、などどル・フィガロには書かれていた記憶があります。(読み違いの可能性がある…情けないが…。)
【2005/12/08 22:49】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
pianoman さん(Matsudo さんではなかったですねごめんなさい)、随分間があいてのお返事になってしまいました。デリダついて、もちろん人はいつ何時でも変わるというのは一般的確率としてはありますが、不法滞在移民に対する彼のポジションとか、亡くなる直前のシャロン批判を勘案にいれての判断であのように書いたというのはご理解ください。
>戦前の日本の左翼はこの意識が薄く(...)結果として大量の転向者をだすことになりました。
戦後の新左翼についても私はそれを痛感しています。

>All

共和国の理念、これはやはり19,20世紀を通じて作られたフランスそのものであるわけで(なにせ国名がまず本質的に「共和国」でありフランスは形容詞で偶有的についているくらいですから)、そう簡単に見直すといっても、服を着替えるようにはいかないでしょう。

議論はその理念がなぜ現実に機能していないのかという点で進んでいると思います。その中でユダヤ人が問題になることはもはやなく、イスラム主義に関しては、それが価値のヒエラルキーにおいて「共和国の理念」より上のものあるいは同じ資格のものとなろうとしている点が問題になっているはず。

アファーマティブ・アクションをめぐる議論はかなり技術的なところで、共和国の理念と衝突しない範囲で解決していく可能性もあります。が、問題はサルコジ氏という人物において、アファーマティヴアクションの思いつき的提唱といい、コミュノタリズムの傾向が促進されることへの無神経さといい、1905年の非宗教法への見直しといい、共和国理念の原則との兼ね合いの問題にルーズだということだと私は思っています。
【2005/12/09 02:10】 | fenestrae #S1xi4FKw | [edit]












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【2005/12/02 09:42】
【2005/12/05 06:58】
  • どこまで続くサルコジ砲【fenestrae】
    今日(日曜)の晩にニュースとしてはいってきたサルコジ発言の一部。もうこの名前の人のことはあまりとりあげないようにと思っていたばかりだが、書いておく必要がある。 「フィンケルクロートはフランスの知性の名誉」 Nicolas Sarkozy juge qu’Alain Finkielkraut ”
【2005/12/05 09:38】
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