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Un article ecrit par Andre Glucksmann, paru dans Le Monde ~ル・モンド掲載のアンドレ・グリュックスマンによる論説~

 2005-11-27
遅くなりましたが、11月21日のル・モンドに掲載された哲学者アンドレ・グリュックスマンの論説を翻訳してみました。
正直、ちょっと理解できない部分があったため誤訳もあるかもしれませんが、整合性はあると思います。

原文はこちら↓
Les feux de la haine, par Andre Glucksmann

特に怪しい部分として、「tache d'huile」という語があります。原文では「tache」の「a」の上にシルコンフレックス「^」がついています。が、これがついていると「義務」という意味、ついていなければ「しみ・汚れ」という意味で、文脈から考えると「^」がついていない語の方が正しいようです。多分ル・モンドの単なる校正ミスだと思いますが。
()は原文通り、〔〕は原語を表記、または注釈。




憎悪の火

空っぽの車を燃やすのは軽犯罪である。満員のバスに火をつけること、乗客の下にガソリンをぶちまけマッチを擦ることは重犯罪である。物に対する暴力と人に対するテロ行為を区別するのに哲学者でならなければならないだろうか?境界線は越えられた。これはニヒリズムの時代の到来だ。自分勝手な「みんなやっちまえ!〔Nique tout !〕」というスローガンまでを真面目にとる時代だ。

残酷な罪は蜂起した人々の間にどんな恐怖心も嫌悪感も呼び覚まさなかった。感電した二人の若者の境遇を正当に嘆く彼らは、自分達が生み出した犠牲者や死者への言葉や眼差しをひとつも持たない。まるで、人間的尊重の限界を一度越えてしまったら死への戦いがルールとなってしまうかのように。

ニヒリスト的火災は放火者たちを容赦しない。彼らが燃やすのは自分達の街であり、彼らが荒らすのは自分達の隣人や親戚の車であり、自分達の弟妹たちの学校や幼稚園である。彼らは生活を向上させるもの、娯楽、仕事を探したり見つけたりするのを可能ならしめるものを一掃した。放火魔たちが自分自身に対してやっていると気付いていないなどと、ひとは信じるだろうか?ただの不注意から、既に困難な生活状況を地獄へと変えることに熱中したりするものだろうか?放火者たちが人間爆弾でないのであれば(彼らは自分たちの身体の安全には気を使っている)、彼らは既に社会的に、また実存的に自殺傾向があり、廃墟の未来を築いているのだ。「ノー・フューチャー」。

自分自身への憎悪、他人への憎悪、世界への憎悪が一緒に航行している。周囲の人たちを火炎瓶によって怯えさせ、ガス管を燭台へと変形させ、全体的な破壊へと働きかけながら(クリシー・スー・ボワは「今夜、バグダッドとなるだろう」)、自分自身を肯定する。「我燃やす、故に我在り。」暴力的な異議申し立ての全ての動きがテロへの誘惑に捕えられている。しかし憎悪が指揮をとるとき、そして放火者たちが害を与える能力のみによって彼らの「力〔force〕」を定義づけるとき、この誘惑が勝利をおさめる。彼らは、自分たちが生まれた場所を飲み込む炎の中に自分たちの力を透かし見て、雄々しさの昇天を祝っている。

これら放火者たる若者たちや少年たちをどのように描写すればよいだろうか?10歳の子供が家族の車を洗う。父の日である。彼は流弾に倒れる。犯罪の現場では、内相が「ケルヒャーで」掃除することを提案する。アルジャントゥイユで別の悲劇、彼は「社会の屑racaille〕」のことを話す。彼は何を言わなかったのか!反対勢力は怒り狂ったのだが、それは当然のことだ。報道機関もほとんど同じだ。悪を正面から見据えるのを避けるため、意味論を行ったのである。つまり、大臣は郊外を集合的に侮蔑したのだろう!と言うのだ。暴動が勃発したとき、政府は黒い羊〔異端者〕を混沌の責任者にしておくことに不満をみせず、くどくどと説明した。とても巧みな支配の陰謀には触れないでおこう。

「社会の屑」という用語、そして同じくらい軽蔑的な他の冷やかしを使うことができるだろうか?無実の人々が対象とされたと感じるかもしれないという口実のもとに、放火者たちを激しく批判することを慎まなければならないのだろうか?「政治的同一視」を引き起こさないようにという神聖にして犯すべからざる配慮が、まさに政治的同一視を生むのだ。善玉と悪玉を分離すること、つまり集合から少数を区別することが不可能であると前提されている。思いやりのある美しい魂は猫を猫と名づけることを禁じ、乗客のいる車を放火する者を潜在的殺人者と名づけることを禁ずる。放火する者たちとそれを拒絶する者たちを混同している。一部を取り上げて全てと見なしている。

トリソタン的説教家たちは放火者たちの気分を害したくなかったので、事件の残忍さを迂回するために言葉についての滑稽な戦いに手をつけたのである。「社会の屑」を非難する人々は更に先を行くような文章を書いている。つまり、野蛮人〔barbares〕」「粗野な人々〔sauvages〕」または「不良〔voyous〕」。政治家は「差別する」用語を遺憾に思い、同質の語彙の中へ逃げ込む。すなわち「少年犯罪者」。無実の推定にとってはお気の毒なことだ。こうして裁判にかけられる前に罪ある暴徒にされる。中立的な語彙の中で混乱が頂点に達している。それで、「若者たち」が放火している、「若者たち」が実弾を撃った、となるのである。そして若者たちは怒っている。放火者たちは若者たちの中で(括弧なしで)若者である、他の全ての若者たちと同じように若者である。政治的同一視を避けるために、政治的同一視を白熱させるのか?個々人はその行為で判断されるべきであって、世代や民族的出自で判断されるべきではない。若かろうが老いていようが、ひとを怯えさせる不良は不良である。不名誉な差別をするものは年齢や住居地の階層と犯罪行為を混同することを拒む。決定的な言葉は有名なラッパー、ディジズ・ラ・ペストにある。「障害者にガソリンをまくのは、居心地が悪かったり仕事がないから?いや、お前はただのくだらない奴、それだけさ!」

違反行為をなぜ婉曲的に表現するのか?それは彼らの中にわたしたち自身を少し認めてしまうことを恐れているからだろうか?あらゆる領域で診断が下される。統合の失敗。しかしもし全く逆だとしたら?第一世代の移民たちは自分達のみすぼらしい貧民街に火をつけなかった。彼らの子供たちはフランス人であり、簡単に火がつくマッチを持っているときも含めて、他の「祖先からの」フランス人たちと一緒に、フランス式に行動している。彼らは、同情的な人種差別が彼らに信じ込ませているように地上の地獄に落ちた者などではない。郊外の動乱は達成した一つの統合の徴候である。すべてはどのように、何へ同化するかに拠るのである。

鑑定人たちがフランスやアメリカの「規範」の「失敗」に聴診器をあてるとき、どこにも生じていない統合の理想を尺度として厳しい現実を判断している。調和していて平穏な一つの国家的共同体の中に外部の要素を弱めながら、それを吸収してしまうことを夢見ている。それは一度も起こらなかった事態である。フランスを分裂させた衝突が彼らのものとなったとき、移民たちは苦しみと悲劇の中で同化した。移住者たちはひとつにまとまった楽園のような集合住宅地に入っていったのではなく、集合住宅地は常に分裂していた。彼らは、「外国人」としてののしられる危険を冒して、他方へ対抗するひとつの陣営の味方となり、完全な権利を有するフランス人として出現したのである。

合衆国と同じようにフランスでは、統合は異議を唱えるものであり闘争的なものである。手段の暴力について躊躇せずに自分たちの意志を主張する百姓たちの「フランス的性格」を、もし誰も疑わないのであれば、郊外の火炎瓶によってまさしくフランス的な美徳を認めなければならない。

ニヒリスト的放火者たちが、強いこととは損害を与えることだと学ぶのはフランスにおいてである。壊せば壊すほど、自分の重要度が増す。フランスは、右も左も、煽動者たちが差し出す鏡の中に自分の姿をじっと眺めることによって良くなっていくかもしれない。

ロシアの支配者から解放された国々へ、彼らにはただ一つの権利しかない、それは黙る権利だ、と宣言するのを覚悟の上で、全く少数派なのにヨーロッパを統治するつもりでいるのは誰か? 55%がヨーロッパへ反対する投票をし、その票を人種差別主義者や極端な思想をもつ者たちに付け加えたのは誰か?50年の努力を解体する危険を冒したのは誰か?OMC〔Organisation Mondiale du commerce、世界貿易機関〕を転覆させる用意ができていると考え、百姓の我らが2%の名においてアフリカの膨大な窮乏を嘲笑しているのは誰か?フランスの外交は国際関係の中で、有害性の単なる関係が問題であるかのような態度をとっている。昨日、フランスの外交はサダムと最善の関係にあり、今日、プーチンと最も仲が良い。機会があればバグダッドの首切り殺害者たちを「レジスタンス派」として扱うのだ。

同じニヒリストの選択が内部の被害を繰り広げる。強請の例は豊富にある。下層フランスと同じく上層フランスの中に、権利のない地帯がじわじわと浸透する油のしみを形成する。私たちの郊外は完全にフランス的である。外国人を批判するのは容易過ぎる。放火者たちは間違いなく私たちの処に属している。彼らは憎悪の風が吹く国の市民なのだ。
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コメント
この人はいつの間に翻訳してるんだろうか?不思議のshibaサンであります。>掃除で一日が終わってしまった猫屋。
【2005/11/28 03:18】 | 猫屋 #- | [edit]
グリュックスマンの思想的立場をよく知らないので的外れな感想かもしれませんが、この記事にはフランスの知識人のジレンマのようなものが感じられます。
つまりこういった「暴徒」を許すことはできないが、じゃあ「五月」のときのフランスの若者は暴徒ではなかったのか?
フランス人が抗議運動をすれば「革命」になり、移民が抗議運動をすれば「暴徒」とよばれるのか?
グリュックスマンの論議にはこの差別すれすれのところを綱渡りしなければならない苛立ちのようなものが感じられます。
【2005/11/28 09:58】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
追伸

今月の岩波文庫にレヴィナスの「全体性と無限」が入りました。フランス現代思想の人では、はじめての岩波文庫入りかと思われます。レヴィナスもとうとう「古典」になったということでしょうか。
【2005/11/28 10:25】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
今夜はフィンケル・グリュックス批判とフランス教育事情についてネブロで書きたいと思ったんですが、時間切れでした。またこんど、です。
【2005/11/29 02:59】 | 猫屋 #- | [edit]
>猫屋さん
実は…この翻訳にほぼ一日費やしました…。翻訳って殆どやったことないですし、ちょっとした語でも日本語が出てこなかったりして、えらい時間がかかってしまいました。

>pianomanさん
なんかこの論説、訳す価値があったのかなあ…と後からちょっと疑問に思ってしまいました。
どうですかね?
【2005/11/29 15:28】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
自分たちの思惑を外れる(だからこそ他者なのですが)「他者」=「移民」に真の意味で遭遇したときのフランスの知識人の最初の反応という意味では価値があるのではないでしょうか?
【2005/11/30 06:35】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
横スレでごめんなさい。
読むべきは、“共産圏”の消滅に伴って、元来反体制(この体制自体曲者ですが)の社会党なり“伝統的知識人=左翼”というカテゴリーのクレディヴィリテ/信謬性がなくなってしまった。結果ここで話題になっているかつての“知識人”がコミュノタリズム(フィンケルクロート)、反対主義(チェチェン問題を軸に欧州各政府を批判、結果として米国のイラク侵略支持)、あるいは知識人のタレント化(ベルナール・アンリー・レヴィ)とか、なにやら彼らは現実との乖離のモデルといった風情を見せています。

その点、マルクス思想とは一線を引く統計社会学者のトッドや社会学者たちが、実際の現実社会を対象に深い考察を示しているのが印象的です。
これはfenestraeさんが指摘してるトコと重なると思います。

時代が変わっても、かつての“知識人”達は旧時代の分析に取り掛かる代わりに、旧時代のままの語彙と世界観でもって現在を語っている。ここに彼らの問題点があると思えます。

【2005/11/30 14:11】 | 猫屋 #- | [edit]
>マルクス思想とは一線を引く統計社会学者のトッドや社会学者たちが、

正確には
マルクス主義とは一線を引く統計社会学者トッドや、(具体的社会を対象に論議する)社会学者たちが、
ですね。ごめんなさい。
【2005/11/30 14:14】 | 猫屋 #- | [edit]
>pianomanさん、猫屋さん
なんかね、やっぱり訳す価値なかったかなあ…って思ってるんですけどね。

Les anciens "nouveaux philosophes"(って立派なoxymoreになってますね 笑)のダメっぷりを紹介するにはいいかと思ったんですが、そういうネガティブな動機だけではつまらないですね。何かリアクションを…と思ったのですが、なんせフィンケルクロートのコメントもまだなもので、できるかどうかわかりません。
猫屋さんがブログで仰っていた通り、なんだか現状がめまぐるしくて、新聞を読むのすら追いつけません…。とほ。

あ、猫屋さん、解説をありがとうございました。

あまり哲学者を知らないのですが、私が名前(あくまで名前…)を知っている人たちの中では、ここらでジャック・ランシエールあたりに何か言って欲しいのですが…。
アラン・バディウが2週間ほど前、ル・モンドに寄稿していたことをつい昨日知ったのですが、哲学者というよりは、「怒れるパパ」といった大筋でした。ぐぐったら転載しているサイトがいっぱいありました。こことか↓
http://www.legrandsoir.info/article.php3?id_article=2895
【2005/11/30 22:02】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
あ、バディウの文、ル・モンド投稿欄で読みました。16歳の息子(ブラックの養子)が学校がポリスに提出した“ブラック”リストに載っていることを知って憤慨する、、といった個人的話だったですが、こういった生活感が、お父さん哲学者の思想に反映されることを願いたい気持ちを持ちました。(フィンケルクロートやグリュックスマンの発する何かに対する“怨念”といった形ではなく。

バディウの文章に戻って言えば、実際エコル・ノルマルの先生が住むようなカルティエでさえそうなんだから、シテでノルマルの先生を父親に持てない子供達が、どう扱われているのか、、、これが日常の暴力であり、こういった日常を内在化しない限り“時代”は読めないだろうと思います。
該当文のル・モンド版は以下、読者の反応も読めるようです。
http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0,36-710389,0.html
【2005/12/01 00:24】 | 猫屋 #- | [edit]
なんとなく猫屋さんの解説で記事の趣旨がわかったような気がしました。要するにいま起きている状況に対して左翼の側がそれをうまく捉える言葉を見出すことができないでいるということなのでしょうか。わたしはまだ読んでないのですが、ネグリとハートによる共著『帝国』なんてのは、フランスの左翼に影響はないのでしょうか?
【2005/12/01 02:50】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
私は単なる哲学傍観者なんで、気安く何でもいえちゃうんですが(笑
ネグリと、その傾向を引き継いだかと思えたオルター・グロバリ派は欧州憲法ディベイトの際に、“差異化(うまい言葉が見つかりませんが)”したように感じます。
オルター派が極左の流れを汲む点で、“一般人”に愛想をつかされた感もある。もっと直に言えば“左翼”なるもの自体が“解体”されてしまったと言えるのか。。私自身こちらの40から50歳の“元”社会党支持者たちと似通った視点を持っていると思うんですが、今の学生たちがどう感じているかはまた別の話です。これはshibaさんの方が分かってるかも。

別コメントであげたネグリの文章も、もう一度“眺めて”みます。
【2005/12/01 17:08】 | 猫屋 #- | [edit]
>猫屋さん
バディウ氏の記事解説とネグリ-オルターグローバリストの解説、ありがとうございます。
猫屋さんに助けられてばかりです。ブログ本体よりコメント欄の方が充実してるなあ。

バディウ氏の記事で、きっと「自分の子供くらいしっかり見とけよ」って言う人とかいるんだろうなあ…と思っていたら本当にいっぱいいて、予想していたこととはいえ、なんかそういう懐疑的なリアクションばかりだと気持ちがくさくさしてきます。全部は読んでないのですが。「自転車20ユーロっつったら盗難車に決まってるだろ」とか、そんなの15・16歳の世間知らずの素直な子供だったらわからないかもしれないと思うのですが。バディウ氏の記事には、彼が言いたい事が非常にすっきりと現れていたと思いますが、それ以上に読者のコメントの方にフランスの現状が映し出されていたような気がします。すなわち非寛容性が目に付いてきたという。ってちょっと皮肉っぽい気持ちにもなってしまう今日この頃。

>pianomanさん
ネグリとハートねえ…。私、その「帝国」本は日本で知りました。いや、日系インターネットでかな?
フランスでは日本におけるほどもちあげられなかったのでは…という気がしますが。
トニー・ネグリは2003年の社会フォーラムにも来ていました。当時、保守派UMPもオルター・グローバリズムを支持し、それが左派のものだけではないと宣伝していましたが…信じた人は少なかったような。
と、あまり答えになってなくてすみません。正直、わからん。
【2005/12/01 22:20】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
>再び猫屋さん
2002年の大統領選後の総選挙で社会党が大敗したのは、中道化した社会党に失望した人が多かった結果と聞いたのですが、そういうことなのでしょうか。
私はあんまり友達いないので…若くもないし…他の学生たちがどう考えているかちょっとわかりませんねえ。
私の周りには極左傾向の若者が多いような気がするのですが(類友か? 笑)。真性サヨの若年層は社会党よりも緑の党とかLCR支持ですかね。
【2005/12/01 22:36】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
ども、です。ここのブログ・コメント欄って無責任に書けるんで居心地がいい、と言うか。私が暇なだけっつーか、はっはは。

真正サヨ若年層にとってはソシアル・デモクラット化の傾向が強い社会党に魅力はない、というところでしょう。
だいたいそこが仏社会党のアイデンティティ問題なんで、現行グロバリ世界内で政権取って経済安定も、、とするとデモクラット化せざるを得ないし(リアリズム)そうすると今までの支持層(労働者・若年者)が逃げるというジレンマだと思います。

社会党に投票し続ける友人もいるけど、単に保守には投票したくない、、ということのようです。

ネグリ・ハートの“帝国”買ったけど積読棚にあるですよ。面白いんだけどね、なんとも長い。

フランスではアルチュセールという大物がいたんですが、後継者は誰なんですかね。
【2005/12/02 00:02】 | 猫屋 #- | [edit]
さっき、書き忘れたけどなんだかこのごろのル・モンド読者コメント欄もきな臭い印象がするんだが、これは単なる私の思い込みなのだろうか。確認のしようは無いわけですが、、あそこは一応登録制だけども。
【2005/12/02 00:41】 | 猫屋 #- | [edit]
居心地がいいとは、嬉しい事です。
無責任にどんどん書いてください(笑)。
ああ、私もコメント欄はかなり無責任でーす。

正直、働いた経験のない学生の考えは甘かったり無責任だったり理想を追っていたりして、それはそれで魅力的なのですが、年齢的にはいい加減すっかり大人になった私としては「それじゃ破綻するよ」と言いたくなることがあったり。そういう人が極左を自認するのを尻目に、私はリアリズム社会党の方へ傾いてしまいます。
ヨーロッパ憲法国民投票前の議論の中で、あまりよくわからないながらも見聞きしていて、DSKが一番現実的で説得力あるなあと思っていたのですが。

アルチュセール、一昔前に大学の授業で「読んだことある人~」と先生が聞いたら3人くらいしかいなくて、それもドイツ人だったかなあ、外国人学生ばかりでした。先生が「フランスではもう読む人がほとんどいなくなった」と言っていた記憶があります。
順当に弟子といったらエチエンヌ・バリバールですけれどねえ…。>後継者
ってそういう問題じゃないですね(笑)。
【2005/12/02 01:04】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
はあ、まったり。

DSKねえ。あの時は一番冴えてましたが。対サルコだとコーン・バンディットをぶつけてみたい気がします。本気のおじさん。たぶん国外追放受けてるからダメだろうけど。あのぐらい元気がある人いないわけで、、。
なんだか2007年はサルコ勝利で、首脳会談とかで各国元首が並んだの見てフランス国民は自分達のバッド・チョイスに気づくんではないかと、、思わないことも無いです。サパテロ・ブレア・ブッシュにサルコ、、絵にならないよお。
なんていっても投票権のない移民にはなんも出来ないわけですがね。
遅れましたが、さっきアップのフィンケル批判乙です。論理的構築がちゃんと出来てると思う。
【2005/12/02 02:07】 | 猫屋 #- | [edit]
ここが今一番ホットかつサンパティックな寄り合い場でしょうか。今日はずっと、コメントモードで、簡単に1記事だけアップしようと思っているのですが、疲れたので一服。上で展開されている数々のビッグイシューはさておいて
>ル・モンド読者コメント欄もきな臭い
ル・モンドのネット投票の世論調査がまたきな臭いです。私はこれ、どんなテーマであれ投票する前に結果予測をいつも立てていて、自慢ではないがこれまでほとんど予想を外したことがないのに最近、結果が予想以上にサルコよりでずれまくりです。1.運動員操作説と2.「世論に置いていかれたわたし」説の間を揺れているのですが、どちらにせよ不気味なのは、自分のスタンスがル・モンド社説の一致している場合でも、ポールになるとかなりずれていること。これを1か2のどちらで解釈すべきか。今度記事にまとめようと思っています。
【2005/12/02 02:53】 | fenestrae #S1xi4FKw | [edit]
なんか、夜遊び組が多いような、、、ワイン片手に。
まあ、ネット使った党員確保を“問題の”ル・モンド乗っ取りに使ってるんでしょう。20年来のル・モンド読みとしては、そうとしか考えられない。母国と同じじゃん、と思います。あるいはジェントルマン・アコードが出来上がってるのか、、これも調べようはないですが、米国であったことはどこでも起きるわけでしょう。
【2005/12/02 03:54】 | 猫屋 #- | [edit]
そうですか。「帝国」がもちあげられてるのは極東の島国だけなのですね。最近「マルチチュード」というのも翻訳がでました。昔からどうもスピノザとネグリの関係がよくわからない。スピノザ的マルクシズムは日本ではしばしばとりあげられますが(今村仁が梃入れしたおかげ?)、アルチュセーリアンの絶滅したフランスでは流行らないようですね。
【2005/12/02 06:20】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
ネグリ、英語圏では案外読まれているようです。ハートのインタヴューを英ガーディアンが載せたりしてました。

いかんせん、今のフランス青少年は文字離れが激しく、超マンガファンが多いんですよ。仏思想界というか文壇・出版傾向が外国物を受け入れない傾向にあるのも一要因でしょう。逆に若年層はマイケル・ムーア大好きだったりします。ハリーポッターも売れっぱなしで、あれがガリマール社の貯金箱です。
【2005/12/02 10:11】 | 猫屋 #- | [edit]
ハリーポッターがガリマールのドル箱とは……(絶句)。ブランショの全集など、わたしが生きているうちには無理な話ですね。
【2005/12/05 14:36】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
出版関係の友人に言わせると、ハリーポッターと星の王子のおかげで、ガリマールは純哲ものもまだ発行できてる、そうです。今ポンピドゥーで展覧会やっているChristian Bourgois もトルキエンの指輪物語が当たってこれが財源でしょう。
http://www.christianbourgois-editeur.fr/
ドクターの勉強でこっちに来ている人と、日本での岩波も研究者がいるんでまだ健在なのかも、ってな話をしたけれど、そうかも知れないです。フランスもそうなりつつあるのか、、どうか、ですね。
【2005/12/05 15:18】 | 猫屋 #- | [edit]
なるほど。よくよく考えてみればハリー・ポッターで儲けて、売れない哲学書をだす、というガリマールのほうがしたたかなのかもしれませんね。
その点でいうと岩波は考えが甘いのかもしれません。むかし安原顕が「いずれ岩波は潰れるよ。原価計算ができてないんだもん」といってました(もっとも彼の場合、岩波文化人に対する私私怨も多分に混じっているようですが)。
かつて宮沢りえの写真集で大儲けして「エピステーメー」を出していた朝日出版社のように、岩波ももっとしたたかにならないと今後生き残れないかもしれません。
【2005/12/06 02:42】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]












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【2005/12/02 17:46】
  • 仏暴動について 3 (ランシエール・平等)【Air du Temps】
     デモクラシーという名のもとで正当化されている数々の行為、それによって明らかになる多くの矛盾。現代人が置かれている困難な状況を、文学的にさらにドラマティックに書くことはで
【2005/12/11 08:42】
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