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L'etymologie de "racaille" ~「ごろつき/社会の屑」の語源~

 2005-11-15
前記事に引き続き、k. shimozawaさんのブログ参照のうえ「racaille(ごろつき/社会の屑)」という言葉についてちょっと付け足したいと思います。

先日、友人とご飯を食べに行った折、最近の一連の出来事の話になり、彼女(日本人)に「racailleって実際どういう風に使われる言葉なんだろう?」と聞かれ、そう言われるとまともに答えられないな~と戸惑いつつもちょっと知ったかぶりしてしまった。

で、k. shimozawaさんによると「その語源はラテン語の動詞、《radere》まで遡るらしい。すなわち、「削る」「そり落とす」の意味である。これは今日の仏語の動詞、《racler》《gratter》の意味とほぼ重なり合っている。」とのこと。
また、久々に更新されたfenestraeさんのエントリ(相変わらずキレ味が良いというか何というか。読みやすくわかりやすくスマート。今回の郊外の出来事に興味のある方は読んでみてください。)の中で紹介されていた「Arret sur images」という番組の録画を見ていたら、「racaille」についての解説がありました。7分30秒の辺りから約2分半間です。(fenestraeさんは別の主旨でリンクされていたのですが。)
それによると、やはり「racaille」は語源的に「racler(削り取る/ひっかく)」であり、削り取られたカス・屑が「raclure」とのこと。ちなみに、私の仏和辞書(三省堂クラウン)でも仏仏辞書(Le Robert micro)でも「raclure」は「dechet(屑/廃物)」と同義であるとされています。
そして、郊外の住人たちは、このサルコジ内相が意味するところは彼らが「salete(汚物)」であるということだ、と解釈しています。
更にこの解説の中で言われたことには、「私が不良たちを片付けましょう」というサルコジ内相の発言の中で用いられた「debarasser(片付ける/取り除く)」という語は、「物」に対して使う言葉であって「人」に対して使うのは不適切である。ひっくり返せばサルコジ内相は「racaille」を人として扱っていないということ。
ところで、サルコジ内相が「racaille」という語を使ったことに関して、彼を擁護する立場の人は「親近感を狙って大衆的な言葉を使おうとしたのだ」と説明したりしていますが、オランド社会党書記長は「内相は皆と同じ言葉遣いで話をすることはできない」と批判。
最後に、これはフランス語習得経験のある方でないとわかりにくいかと思いますが、サルコジ内相は単数定冠詞を用いて「la racaille」と発言、すなわち一般性(generalite)の意味合いがあり、各個人は「お前達は皆同じだ」「皆一緒に同じごみ袋へ入れる」と言われているものと受け取る、と指摘されています。

この「racaille」という言葉、私は今までにフランスで数回しか聞いたことがないと思うのですが、フランス語初心者の方でもすっかり覚えてしまったことでしょう。あまり覚えるべき言葉ではないような気がしますが…。

思い切り余談ですが「racler」で「raclette」を連想。(さすが食いしん坊。)
うちにはラクレットの器械があります。
(ラクレットとは、本来はチーズの塊を熱して、溶けたところを削って食べるサヴォワ地方の料理。でも家庭用の器具では、予めチーズを適当な大きさに切ってから電熱器の下に入れて溶かす。)
今年、なんともう2回もやっちゃいましたー。
ラクレット食べたい方は遊びにきたらいいよ。うふ。
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コメント
サルコジ内相については今回の事件のおかげで最近日本のテレビでも露出が
増え、フランスの石原都知事というイメージがわたしのなかで定着しつつあるのですが、今回の問題について保守派知識人(どういう人がいるのか知りませんが)はどんなことを言っているのでしょうか?
【2005/11/16 12:34】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
うあっ痛ぁっ!
知識人のお言葉などチェックしてなかったとです~。
ミーハーなだけな私。
というわけでお答えできましぇん。ごめん。

誰か~~~~。
【2005/11/16 23:00】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
歴史家、統計学者エマニュエル・トッドのインタヴューを天神茄子さんが日本語訳してくれました。
http://d.hatena.ne.jp/temjinus/20051115
あと猫屋のネブロで映画監督、俳優のカソヴィッツの言を一部アップしました。

ル・モンドでは社会学者とかいろいろな人が書いているようです。
【2005/11/17 01:46】 | 猫屋 #- | [edit]
記事のご紹介ありがとうございます。とくに興味深かったのはつぎの部分です。

ただ私は事件そのものの中に移民子弟とその他のフランス社会を根本的に分離するものを全く見ない。私は全く逆の理解をしている。この事件を私は孤立化への拒否と解釈している。こうした全ての事件はこの移民子弟がフランス社会の基本的な価値を自己のものとしなかったならば起こらなかっただろう。フランス社会の価値とは、例えば自由・平等の対概念だ。別の側、この事件への介入者、政府に指導される警察、地方自治体、非移民市民の側に、おそらく激しい苛立ちはあったが、丸ごと拒否してしまうという態度はなかった。

以上の分析によれば今回の暴動が9.11などとまったく性格を異にしているのがみてとれます。となると皮肉な話ですが、今回の暴動は「同化政策」が成功している証拠といえるのかもしれませんね。
【2005/11/17 11:32】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
>猫屋師匠
フォローありがとうございます。
実はエマニュエル・トッドが何者か知りませんでした。で、保守派なのかどうかもわからなかったので敢えてあげなかったのですが。
カソヴィッツ、militantって感じのお言葉ですね。

>pianoman師匠
一連の暴動にフランスの理念である「平等」への要求が現れているという解釈を前提にして(というのは、暴動を起こしている彼らからの明言的要求はなされていないので)、それが「同化政策」の成功の現れ、と、PSのジャック・ラング氏も言っていました。
しかし、「同化政策」が「ある面で」成功している証拠かもしれませんが、郊外の若者たち(必ずしも車に火をつけるなどの行為を働いているのではない若者達)の不満の声を聞く限り、もし全面的に成功していたのなら今回のような事態にはならなかったと思います。
【2005/11/17 23:08】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
あれ、猫屋に師匠はいりまへん。単なる寅八です。師匠はカニコロッケ作るような人には似合いません。
哲学・社会学界の大物が次々に消えて、それでもアンガージュマンの伝統は消えてないな、とトッドとカソヴィッツのそれぞれの文の“熱さを感じて思いました。とくにラングも含めた社会党巨像メンバーの言葉に重さが感じられないまでに社会党不信が広まった。

ドラノエは何か言ってたっけ?ちょっと気になります。自分は真性サヨなんだろうな、たぶん。学習できてないというべきかと小一時間、、
【2005/11/18 01:39】 | 猫屋 #- | [edit]
「フランス人になる」ということは自らが生まれながらにして与えられているはずの「自由・平等」という権利が不当に侵されていると感じた場合、街頭にでて権力との闘争をも辞さない、ということが含まれているのかもしれません。
となると今回の暴動は小規模ではありますが大革命以来フランス人に蓄積されてきた無意識の過程が再現されたものなのかもしれません。ですからわたしのみるところでは、社会の破滅にまで至らないのであれば、やはり今回の暴動も「同化政策」の成功の表れとみていいようにおもわれます。
【2005/11/18 01:54】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
>猫屋さん
「先生」より「師匠」かなと思うのですが…じゃ他の人と平等に「さん」づけにしときます…。

ドラノエ市長はパリ市の都市計画に関して何か言っていたような気がしますが…よく覚えてません。
PSの党大会やってますが、どういう様子なんでしょうか?ここ数日、ニュースみてません。これからネット徘徊しようと思ってます。

>pianomanさん
トッドのインタビューでは、たしかにそう言われているようですね。
しかし、知識人はそう言うことができるけれども、あくまでも政府はそれを言っちゃならんと思うし、政府管轄以外の人間でも「ある意味で」という一語を忘れるべきではない思います。というのも、「同化」とは移民側からの努力だけではなく、社会の側からの受け入れの努力も必要なわけで、それは単に制度の問題だけではないということを、政府や社会がなおざりにしてきたのが「同化政策の失敗」だと思うからです。
【2005/11/20 13:54】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
なるほどそういう視点も必要なのかもしれません。ところで日本の雑誌の吊り広告をみていたら、今回の暴動について「移民たちの五月革命」という記事のタイトルが目にとまりました。その広告を眺めながらぼんやりと思ったのは、文学者や哲学者が問うべきなのはそもそも「移民とは誰なのか?」という問いなのかもしれない、ということでした。
【2005/11/21 05:19】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]












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    ね式さんから。http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2005/11/post_d069.html エマニュエル・トッドの原文とシラク演説冒頭部分フラッシュ見れます。 Shiba さんより。UMP のインターネット大作戦 http://hibinoawa.blog10.fc2.com/blog-entry-204.html こんなことや
【2005/11/16 08:36】
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