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移民という分類

 2005-11-17
ずいぶん(10日ほど)前の話になりますが、内田樹さんのブログで、パリ郊外における暴動に関する記事を読み、なんだかとても納得させられたのでした。
今回の「出来事」が始まって間もなく、情報や分析が錯綜している中、内田さんのような方が明晰に説明してくださり、私は共感する部分が多く、なんとなくほっとしたのでした。
この内田さんのエントリを紹介してくださった猫屋さんのところにも、そのような旨のコメントを残しました。
しかしその後、猫屋さんはフランスの「階層社会」について言及され、違和感を示されていて、再び色々と考えさせられました。

階級社会というときの「階級」とは、家柄のことだと一般に考えられているような気がします。(実際、内田さんは「家柄」のことに触れています。)
「一億総中産階級」と言われた時代を経験した日本からの視点では、フランスにおける家柄の階級が残っていることが強く印象的かもしれません。(少なくとも中産階級の環境に浸って育った私にはそうです。)
ところで、ENAやScience PoといったGrandes Ecoles(高等専門学校)には、家柄の良い子供・金持ちの子供しか入れない、というのは、今では現実に当てはまらない伝説だそうです。

他方、ずいぶん前に、高等専門学校が郊外の優秀な子を入学させる特別枠を設けるというニュースをTVで見たとき、私は正直、驚きました。(この驚きは何に由来したのか、と、今思い返してみて色々とそれに言葉を与えようと思うのですが、どうもどれもしっくりこない。)そしてインタビューに答えていた先生の話を聞いた限りでは、そうした枠で入学した子と一般入学の子とでは、学んできたことのレベルや生活習慣に差があることは否めないようでした。
また、実際、移民系家族の子供の入学数が非常に少ないということを、リールのl'Ecole superieure de journalisme(ジャーナリズム高等専門学校)の校長先生が言っていました。(但し、移民系家族をどのように定義するのかはわかりません。親が移民だとういことなのか?入学時に親の国籍まで調べるのか?2代前が移民の場合はどうなのか?この校長先生が、おそらく何の気なしに使った「issu de l'immigration『移民の出』」という言葉に、何か暗示されるものがあるような気もします。)

機会は平等に与えられている。
しかしそれ以前に特別枠がなければ高等専門学校に入学できない人たちがいるのは事実です。実際の「差」が存在する。
この「差」はどこからくるのか?
これが「階級」の差だと信じている人は少なからずいると思います。私自身なんとなくそう思っていましたし、このことについてあまり深く考えたことがありませんでした。

私は、現代でも「階級」なるものはわずかでも残っていると言えるのではないか、と思います。ただし、「階級」は家柄を意味するものではなく。
この「階級(classe)」が何を指標に分類・評価されている(classe')ものか(経済的指標なのか「文化資本」なのか…それともその総合なのか…どれかが下部構造で他を決定しているものなのか…etc.)私にはわかりませんが、社会事象を語るときに、こうしたある一定の「分類」を行っているのは確かだと思います。「階級」という語には「ヒエラルキー」の意味合いが付随し、「分類されたもの」の相互に上下関係が存在すれば「階級」と言い換えられるのではないかな…と。

個人的観点から言うと、現在のフランスの社会には「移民」という大きな一つの階級があることは完全に否定できないのではないかと思います。今回の「出来事」で「移民」の問題が議論にのぼるということは、「移民」という分類の仕方が存在しているということだと思います。
そして、それを差異化する「フランス人」よりも社会内で下に位置する、と見なされている。

ところで、前に「今回の暴動を『移民の暴動』と呼ぶことにちょっと反感を覚えます」と書きました。そこのところが自分自身、明確ではありませんでした。
猫屋さんがエマニュエル・トッドのインタビューを引用して「今回の騒動が示すのは“marginalisation/アウトサイダー化 への拒否だ”」と指摘されていますが、そこでちょっと謎が解けたような気がしました。(なお、エマニュエル・トッドのインタビューは天神茄子さんが訳してくださいました。)
彼らを「移民」という名のもとに分類するべきではなく、「社会の外へ追いやられた者」という名を与えた方が幾分しっくりくるのではないか、と。
そして、その「社会の外へ追いやられた者」が、フランスの理念である「平等」を要求している出来事なのだと解釈する人もあり(エマニュエル・トッド、またジャック・ラング)、フランスの規範は「ある意味で成功している」と言えるかもしれません。

それでいて、今回の「出来事」を語るとき、どうしても「移民」という概念を抜いてしまうことはできない気がしてなりません。
たしかに、今読み返してみると、内田さんの書かれたことは平等を要求する「移民の出」のフランス人には当てはまらないようです。
そうは言っても、彼らがカメラの前で不満を表明するとき、アイデンティティ・カードをわざわざ出してみせてまで主張しなければならないこととは「フランス人であること」であり、それは「移民」「移民の子」またはそれ以外の言葉で言い表わされるような差別を感じているためなのではないでしょうか。

そういった差別を感じ、「同化」できない気持ちになったとき、反動的に彼らが「エスニック・アイデンティティ」を探すのは十分ありえることだと思います。
社会から与えられる分類を自ら受け入れつつ、また、故国の文化を大切に維持している移民家族という環境・そういう家族が集まった地域の中で育ったためフランスの伝統的文化よりも馴染みやすいものがある場合、差異化によってアイデンティティを確立することもあるのではないか。もともとイスラム教ではない若者達が改宗を説得させられやすいのは、その辺りに要因があるのではないかと思うのです。そして彼らが平等の機会を要求するということは、そうして確立されたアイデンティティを認めてもらうことも要求しているのではないか。

今日、Le Figaroにニコル・バシャランというアメリカ合衆国専門の歴史・政治学者の記事が載っていました。「アファーマティヴ・アクション」について、で、これはフランス語だとニコラ・サルコジが「discrimination positive(肯定的区別・分離)」という語を使っていますが、バシャラン女史によるとこれは正しくない、何故なら「discrimination」は既にネガティブな意味を含んでいるから、と。だからフランス語でも「action affirmative」と言うべきだそうです。そしてアメリカでのその効果を述べているのですが、その中で「民族によって市民を識別することは衝撃的に聞こえるかもしれません。しかし、それは現実の中で市民達が既にそう識別されていることを忘れているのであり、彼らが既に分離された共同体の中にいること、またその結果として共同体の中へ閉じこもってしまうことを忘れているのです。」という部分に考えさせられました。

フランスはアメリカを参考としてアファーマティヴ・アクションを取り入れるべきなのか?私は長らくそれに「oui」というべきなのかもしれないと考えてきました。しかし同時に「non」と言いたい気持ちもあります。フランスは民族という識別を拒んできた(と思う)のであるし、民族という定義があまりに曖昧です。

ところで、純粋に個人的な経験や社会的なイデオロギーによって獲得された参照基準を他人と共通なものと信じていて、自分が無意識のうちに行う再認識・分類・判断が間違っているかどうかということは、日常、ひとがあまり考えないことではないかと思います。
ただし、この判断・認識を反省し修正を試みることも、人間にはできるのではないか。
そして、無意識に下しているこの認識や判断が揺るがされる事件、それが「evenement(出来事)」なのではないかと思います。
今回の「出来事」でフランス社会の「分類」が問い直されることを期待します。
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コメント
ちょうど昨日のエントリにコメント書き終わったらshibaさんのコメントがねブロのほうに入ってました。ちょっとポリガミ論争が気になってなんか書こうと思ったんですが、これ私には複雑すぎ。たぶんfenestrae師匠がサパっと料理しそうな気もするので(と言ってメンドイ問題はすぐ振るわけですが)shibaさんのお題、ちょっと直感猫屋がこれからフォローしてみようかな、なんて思ってます。
【2005/11/18 01:51】 | 猫屋 #- | [edit]
一応出来ました、ご報告まで。
【2005/11/18 04:14】 | 猫屋 #- | [edit]
猫屋さん、素早いフォロー、ありがとうございました。
なのにこちらはお返事が遅くなってしまってごめんなさい。

そちらにもコメントさせていただきましたが、猫屋さんのエントリへの「反論」のつもりはありません。念のため。

Nouvel Obs今週号のAime Cesaireの本の抜粋に「問題は、人間を信じるか、また、人権を信じるか、だ。自由・平等・博愛に、私はいつもアイデンティティと付け加える。」という一節があり、自分がずっと気になってきた問題は「アイデンティティ」の問題に深く関係があるのだな、と思いました。

ところで、一昨日・昨日とティエリー・アルディッソン系のTV番組で「L'ascenseur social est en panne…:j'ai pris l'escalier!」という本を書いた Aziz Senniという人の話、面白かったです。モロッコから移住してきた家族の一員で、郊外の状況から脱するために努力した人のようです。

パリは急に寒くなりましたねー。そのせいかわかりませんが、私はちょっと体調崩しました。
猫屋さんもお気をつけて。
【2005/11/20 14:27】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
“念のため”了解です。

アルディソンの番組、昨日久しぶりに見ました。
総スカン食ってたファッショのおっさんがいたでしょ、ペレグレニとか言うドッグ・フードな人。
なんだか、アサヒが持ち上げてます。これなんかせなあかん。と思います。
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20051113/K2005111301170.html?fr=rk
【2005/11/20 14:38】 | 猫屋 #- | [edit]
追記
アドミン戦争はいったん専門家に預けることにしたので、幾分気が楽になりました。

ホント急に寒くなりました。ブログはほおって、まずは休んでください。(ヴィタミンC取って、とアスピリン飲んで寝ちゃうのがいいっす)。ペリグリ攻撃、って本買う気はないけど、今夜にでもちょっと書いてみる、かも。
【2005/11/20 14:45】 | 猫屋 #- | [edit]
「念のため」とか、くどくてすみませんでした。猫屋さんが「フォロー」と言ってくださったので、悪くとられたことはないだろうと思ったのですが、ネット上では猜疑心が強くなりますです…。
あと、一応他の方への予防線です。

土曜夜のアルディッソン番組は、M6のトリロジーのお気に入りのシリーズ(同居人に呆れられるくらい好き)見終わって、チャンネルを替えたらたまたまアジズ・センニが出てました。この人、金曜夕方のアルディッソン・プロデュース、ローラン・ルキエ司会のトーク番組にも出ていました。
二つの番組とも、たまたまそこしか見ていません。
ギニョールの人が出てきて、見たかったけど、疲れて撃沈。

ボジョレー・ヌーボー飲みすぎか?睡眠不足の貧血か?と思ったのですが、もしかしたらガストロかも?胃腸の調子が悪いです。でも風邪かもしれない。
お気遣い、ありがとうございます。
【2005/11/20 23:28】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]












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【2005/11/18 11:43】
  • [本日の気になる記事]【SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS】
    猫屋さん今回はほんと精力的で(失礼)、海の彼方の人間としてはありがたいっす。http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2005/11/post_a56e.html TBはまだ無理みたいですね。残念。 あとこちらも。http://hibinoawa.blog10.fc2.com/blog-date-20051117.html
【2005/11/19 01:43】
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