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"Racaille" et "delinquant" ~「ごろつき/社会の屑」と「少年犯罪者」~

 2005-11-10
木曜日、France2ではゴールデン・タイムに「Envoye special」というルポルタージュ番組をやるのですが、今日はそれが後回し(時間繰り下げ)になり「A vous de juger」という討論番組をやっていました。テーマは「Banlieues : comment s'en sortir ? (郊外:どうやって切り抜けるか?)」。つまりは、フランス社会にとって非常事態である、連夜の郊外の暴動についての緊急討論会でした。

私は途中で見るのをやめてしまったのですが、最初にサルコジ内相が出てきて長いこと喋っていました。
20051111012637.jpgその中で、司会のアルレット・シャボ女史が「あなたのごろつき(racaille)という語の使用について批判があがり、サッカー選手のチュラムが『自分に向かって言われているようだ』と言っていましたが?」というような質問をしました。(これについて弁明する機会をサルコジ内相に与えようということで用意された質問なのだろうな~…なんて思ってしまいましたが。)サルコジ内相は「チュラム選手は私も好きです。彼は郊外を出てからだいぶ経っているし、素晴らしい成功もしている。何故自分のことと受け取るのかわかりません。」と答え、「すべての『若者(jeune)』が暴動に加わっているわけではない。そうやって一緒くたにするべきではない。車やバスに放火し、商店を壊し、人に危害を加える、それは『若者』がやることではない。『少年犯罪者(delinquant)』です。私は彼らを指して『ごろつき(racaille)』『不良(voyou)』と言ったのです。」という主旨で弁明。

もっともだと思う点はあります。暴徒たちは「郊外の若者」ではあるが、すべての郊外の若者が暴徒なのではない。サルコジ内相はちょっと前に「あのような暴徒たちを『不良(voyou)』と呼ばなくて何と呼ぶのか」と発言したことがあり、そのときは、まあたしかに…と納得したりもしました。おとなしくしている若者たちまで暴徒と一緒にされたのではあんまりだよなあ~と。
それにしても、それ以前に用いられた「racaille」という言葉は感情を逆撫でするのに十分なように思えました。日本のメディアでは「ごろつき」と訳されて報道されていますが(うーん、でも日本語でも「ごろつき」なんて最近言わないよねえ??)、「社会の屑」という意味もあります。要は語感なのか?とちょっと考えていました。(きっと言語学か何かの専門用語がちゃんとあるのでしょうが、知らないので「語感」と言ってしまいます。)
私は今回の暴動を「郊外の若者の不満や怒りが爆発した」と捉える観点を支持します(だからと言って許される行為では勿論ありません)が、暴徒を「社会の屑」と名指し「寛容ゼロ(tolerance zero)」で取り締まると言うとき、そう発言する人は彼らが「社会の屑」扱いされているが故にこういう行動に出たのだ、とは考えないのだろうなあと思ってしまいます。

しかし、今夜のTV討論で気付いたのは、語感の問題だけではないということ。
サルコジ内相は「ごろつき/社会の屑(racaille)」「不良(voyou)」と「少年犯罪者(delinquant)」を一緒のものとして話しています。
連日連夜、街で車や建物に火をつけたり、市民を襲ったりする若者たちは「少年犯罪者」です。異論なし。
でも何故それだけじゃダメなのか?単に「少年犯罪者」とか「犯罪者(criminel)」と呼ぶだけではダメなのか?
「ごろつき/社会の屑」や「不良」という言葉は法的な用語というよりは、社会的価値観を含んだ言葉ではないでしょうか。
サルコジ内相のディスクールは社会的価値観と法律を混同しているのではないでしょうか。

かつて狂人と同性愛者と窃盗犯や殺人犯、売春婦らは、犯罪者としてまとめて収容所に入れられていたという話をふと思い出してしまいました。
ついでに。
2002年の大統領選で極右政党FNが一次選で勝ったのは、市民の不安につけこんだ保守派の選挙演説が大きな影響を与えたため、とも言われています。
サルコジ内相はよく「勤勉で善良な市民」という言葉を使います。
それを聞くたび思うのは、犯罪者は「怠慢で悪いやつ」であり「勤勉で善良な市民」の私は絶対に犯罪などおかさない、という前提があるんだな、ということ。
つまり人間の善悪ははっきり分かれている。わかりやすくていいですね。

冗談以外で「自分は完全に善良な人間です」と自ら断言する人を、私は信用したくありません。
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コメント
こんばんは、
昼は対アドミ戦争、夜は“パリは燃えてないってば”キャンペーンですっかり疲れた猫屋です。
この番組、気になってたんですがそんなわけでパス。番組解説ありがたいです。サルコはド・ヴィリエ、ル・ペンと支持層が重なるんですよね。
対する社会党はご存知のようにヘタレたままなんで、気がもめるばかり。おまけにド・ヴィルパンは経済観念ゼロの人だしなあ。

なにはともあれ、火付け大会が収まりつつあるようなんでほっとしました。

この三連荘ウィークエンドは天気もよさそうです。あしたは休戦日なのでパリ散歩の予定。Shibaさんも良い週末を。
【2005/11/11 02:05】 | 猫屋 #UkTYPFGQ | [edit]
猫屋さん、戦争お疲れさまです。
私も今日はアドミ耐久レースでした。はあ。

いやあ、そう言われると、全然解説になってなくて申し訳ないです。
フランスの討論番組って、どうもみんなお喋りなもんだから司会進行が遮るのに一生懸命になったりして、こっちが気を揉んでしまいます。同時に喋られると聞き取れないし…。で、未だ集中して最後まで見るということができません。
個人的にはシャボ女史よりマズロール氏の方が好きです。

今日、サルコジ氏はル・ペン支持層を獲得しようとしていないか?と問われ、「私はル・ペン氏とは全く反対の主張をしている」と言っていました。3つ4つその具体例を挙げていましたが、忘れてしまった…。
そういう表面的な問題じゃないだろーとTVにつっこんでしまった。

>Shibaさんも良い週末を。
ありがとうございます。
お天気が良いといいですね。
Bon (long) week-end!
【2005/11/11 02:25】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
お久しぶりです。連日報道ネタになっている今回の暴動ですが、夜間外出禁止令が出されたことも、ちょっとショックでした。フランスでそんなものが発令されるなんて・・・。
【2005/11/11 13:38】 | ムフテリフ #- | [edit]
ムフテリフさん、どーも!
夜間外出禁止令は地域別で、その市長の判断によります。私の住んでいる地域一帯は、暴動もなく外出禁止令もなく、相変わらず遅くまでカフェの周辺に若者やおじさんがたむろってます。
(って、外出禁止令は未成年に適用されているから関係ないか。)
平和なもんだ。

とりあえず全般的に事態は沈静化に向かってきている様子。フランスメディアもあまり騒ぎ立てると煽動するということで控えめになってきているようです。

hinakiukさんのブログ
http://d.hatena.ne.jp/hinakiuk/20051111/p6
↑自国は平等社会だと信じてきたことに疑問をつきつけることとなったというご意見、なるほどなーと思いました。
【2005/11/12 00:33】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
日本でも暴動の背景にある「同化政策」が紹介されていましたが、ひどいですね。イスラム教徒の女子が着る民族衣装が学校で禁止されたり。戦中の日本が台湾や東南アジアでしてきたことを思い起こさせます。渡辺一夫的「寛容の精神」は遠い昔の話なのでしょうか。
【2005/11/14 01:50】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
「同化政策」という言葉、どうにも好きになれないんですね、私も。「integration」だから、単なる「同化」とは違うとよく聞きますが、言い方を変えて「社会に溶け込む」という意味だとしても、何かしっくりこないものを感じてしまいます。

しかし、スカーフ禁止法に関しては、フランスの共和国理念からすると、政教分離を徹底させた「公共の場所での非宗教性」に相反する事象は、法で律されるのが正当だということです。
少し前のコメントでも触れましたが、これは多文化主義のアメリカと決定的に異なる点です。
そしてスカーフ禁止法についての議論の中で、多文化主義的な考え方で「discrimination positive(アファーマティブ・アクション)」を主張したのがサルコジ内相でした。そしてそれは「communautarisme(共同体主義)」を助長するものとして批判を受けました。

パリは、色々な国の文化に触れることができ、各国料理が食べられ、多文化的な都市、とよく言われます。私も以前はそう思っていましたが、スカーフ禁止法論争のとき、共和国理念云々を聞いて以来そう思わなくなりました。

この辺りも含めて新しい記事を書こうかな~と足掻いているのですが、なかなかまとまりません。多分お蔵入り…。
【2005/11/14 23:08】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
「公共の場所での非宗教性」は、個人がもつ信仰までをも否定するつもりはないのでしょう。だからこの法律からすると意識に内面化された宗教、たとえばキリスト教のような宗教の信者が公共の場に立ち入ったとしてもなにも信教の自由を侵害されるわけではないとおもわれます。
ところがイスラムという宗教、とりわけスンニー派は信仰と生活様式が分離不可能な宗教なわけで、そういう宗教の信者に向かって「スカーフをとりなさい」ということは信仰の自由までも侵害することになるのではないでしょうか。
逆にいえば「公共の場所での非宗教性」という法律自体がキリスト教信者に都合よく作られているアン・フェアな法律といえるのかもしれません。
こうしてみるといまフランスで起きていることはフランス人が普遍的だと信じている「共和国の理念」(アメリカ人でいえば「民主主義」)という名のローカルな理念ともう一方の宗教的・民族的理念との対立のようにみえてくるのですが。
【2005/11/15 04:48】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
スカーフ論争のとき、ほぼ同じことを考えました。
カトリックの祝祭日がそのまま国民の祝日となっている国で、「公共の場での非宗教性」を強調されてもな~~、と、かなり疑問に思ったのですが、やはり共和国理念がカトリックを下敷きにしてたてられている以上、問題にされないことってあるんですよね。

しかしながら先だって起こったロンドン地下鉄テロの犯人が英国籍をもつ移民の子供だったことで、異文化をそのまま留保させることへの懸念を指摘する人もいるようです。
フランスでも、スカーフ問題のとき、郊外のイスラム・コミュニティにおける布教活動、イスラムの教えに基づいた市民活動などをレポートしたTV番組を見たのですが、30年来の「移民の同化政策の失敗」とその「結果」、そしてそれがフランスにとって脅威となりつつあるということを感じずにはいられませんでした。

多分、ですが、フランスで「共和国の理念」に対して真っ向から異議を唱えると憎悪の批判を浴びそうな予感(笑)。
フランスが、それだけその理念に支えられているということですな。
それが疑問に付されているのが現在の状況なわけですが。
【2005/11/15 18:52】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]












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  • [本日の気になる記事]【SCHOLASTICUS LUGDUNENSIS】
    フランス暴動:サルコ評。http://hibinoawa.blog10.fc2.com/blog-date-20051110.html 上野千鶴子。http://blog.goo.ne.jp/midorinet002/e/ef4e728ecffcdf0eaa64df3c8e075903 から。 最後の段落がミソ。 いつもの如く、http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20051111/p1 さん
【2005/11/11 16:13】
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