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Couvre-feu ~戒厳令~

 2005-11-07
どうも事態は沈静化するどころか悪化してきているようです。
夜間にヘリコプターやパトカーのサイレンの音が気になる今日この頃。
とはいえ、うちの周辺は平常通り。
日本の報道で「暴動がフランス全土に広がった」と伝えられているようですが、それは間違ってはいないがちょっと誤解を招く。集中して暴動が起こっているのは局地的。

TF1.jpgド・ヴィルパン首相はTF1の夜のニュースに出演、戒厳令発令の構えを見せました。火曜日(明日)の朝、シラク大統領が閣僚を集め討議する予定。

この戒厳令発令は「1955年法」と言われ、内閣にその権限があります。この法律が制定されたのは、アルジェリア戦争中、緊急事態に対処するためだったとか。
現在までで実際に発令されたのは二度。一度はミッテラン大統領在任時、1985年、ニューカレドニアで起きた暴動を沈静化するため。あと一度は、溯って1961年、ド・ゴール政権下、アルジェリア人の暴動が起きて警官が殺害された時。このときはアルジェリア人に対してだけ発令されたのでした。これに反抗して、アルジェリア人たちが静かにデモを行った際、警察が参加者たちを痛めつけたり逮捕したりして多数の死者が出ました。実際の死者数は不明ですが、200人から300人だろうと言われています。

さて、この過去の戒厳令と今回のそれとに奇妙な符合を感じてしまったのは、そういう考えが自分の頭の隅にあるせいでしょうが、全く筋違いというわけでもないと思うのです。
「そういう考え」とは、以下のようなことです。今回、暴動が起きているのは移民が多く集まっている地区であり、誰がそう言わずとも、暴動を起こしているのは移民家族の子供たちであろうと、誰もが想像しているのではないかと思います。その背景にあるは、高度経済成長期における旧植民地からの労働者の「輸入」。外国からの労働者達の給料は安く、当時はまだ発展していなかった郊外にしか住めなかったそうです。その後、移民は増え続け、彼らはやはり住宅費が安い郊外に居を構える傾向がありました。その他にも要因はあると思いますが、その辺りから「移民の地区」が形成していったのではないかと思います。フランスは彼らを社会に「同化(integrer)」させようとして失敗してきたのであり、それが社会問題となって浮上していると思います。前回の大統領選でFNが大躍進したことや、公的な場所での非宗教性の原則についての討論や、移民家族出身の若者がイスラム原理教組織にたやすく「洗脳」されているということや、今回の暴動など。
先日、植民地主義を再考するポスト・コロニアリズムの学者さんがラジオに出ていました(目覚まし用につけていたので、内容は頭の中から殆ど露と消えた)が、やはり移民を「同化」させることの失敗を指摘していました。
戒厳令がアルジェリア独立戦争の最中に布告され、アルジェリア人に対して施行され、ニューカレドニアという海外県で、それも独立運動の機運による混乱を鎮めるために発令され、そして今回の「移民」の暴動に適用されようとしている。

個人的には、今回の暴動を「移民の暴動」と呼ぶことにちょっと反感を覚えます。
たしかに、移民の集中する地区で起こっているし、ほぼ移民の子供たちであろうとは思いますが、すべての若者がそうだとも断言できない。また、「同化」政策の失敗という点では彼らは「移民」であり続けるわけですが、彼らを「移民」というカテゴリーに最初から入れて語ってしまっては、彼らを外部の者と決めてしまうことにならないでしょうか。
先のポスト・コロニアリズムの人は「同化させようということ自体を問うべき」と言ってました。全く同感なのです。

ところで、車を焼いたり商店を壊したりするだけにとどまらず、とうとう死亡者がでてしまった今回の暴動。親の代の住民が努力して築き上げてきた街を破壊し、人命に関わるほどの犯罪になってきました。
これだけ度を越したら、ただ移民問題に端を発したとは言えなくなってきたようです。

先日、上海在住という日本人の方と少しお話しする機会があったのですが、反日デモのことについて尋ねたら、「意味もわからないでやっている若いやつが多いんですよ。反日って言いながら思いっきり日本製品を身につけてますからね。それがまた流行ってるし。」と言っていました。
フランスのデモも、どこからともなく「破壊者(casseur)」が現れ、混乱に乗じて暴れますが、今回もそういった面があるように思います。そして、「意味もわからないでやっている」子どもが多いかも。彼らにとっては「遊び」のように感じられるのかもしれません。(それはそれで問題なのだが。)
また、メディアで取り上げられ、それを「祭り」のように感じる少年たちがいてもおかしくないと思います。「俺達もやろうぜ!」「俺達も反抗精神のあるところをみせようぜ」という具合に地方に伝播したのではないか…と勝手な想像。

ド・ヴィルパン首相が戒厳令について発表する前に、直接関係していない地区からそれを要請していたのがマリー・ル・ペン女史やド・ヴィリエ氏といった極右メンバー。なんだかなあ…。しかし、PSの市長で(どこのだか忘れたけれど)も軍隊を要請したいと言っていたし(「PSとしてはそれは完全な失敗だが」と付け加えていましたが)、これだけの混乱となってしまってはやはり戒厳令も仕方ないのかなーと思います…。
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コメント
とうとう戒厳令まで発動されましたか。ポス・コロの破産とまでいうのはまだ早計かもしれませんが。保守的な人々はポス・コロがこういう暴徒を助長しているのだという発想に向かうのは目にみえてますね。
昔から言ってることの変わんない柄谷氏がジジェクの近著に書評を書いていてこんなことを言ってます。

「たとえば、多文化主義者は、「超越論的主体」に対抗して、女性という主体、ゲイという主体、民族という主体などの主体の多様化を歓迎する。
 だが、多文化とは、グローバル資本主義による均質化の結果にすぎない。多文化主義は、資本主義的現実を政治経済的な視点から考えることを放棄させる。それこそ、「デカルト的主体」の放棄にほかならない。」

柄谷氏の言ってることがあたっているのかどうかわたしにはなんとも言えないのですが、このような批評が人々に浸透しないのはたしかなようです。ワイマール共和国の新カント派がファシズムの増大に無力であったことを思い起こすべきでしょう。
【2005/11/08 02:03】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
名前を出しておいてアレなんですが、ポスト・コロニアリズムについて殆ど知りません。あは。
しかし、自分が見聞きしたとても狭い限定された範囲で申しますと、フランスではポスト・コロニアリズムの考えは非常にマイノリティであり、フランスにおける保守派が名前を挙げて糾弾するほど知られていないんじゃないか、と。
他の国、特にアメリカの人はそう批判するかもしれませんね。

アメリカとフランスは、国の「理念」が非常に異なっており、対立すらする点があります。例えば、アメリカは多文化主義ですが、フランスはそれを「共同体主義(communautarisme)」として嫌っています。公の場での非宗教性を重要視する人たちは、その点を特に強調していました。

また、柄谷氏の引用ですが、私の頭では理解できませんー。(特に「多文化とは、グローバル資本主義による均質化の結果にすぎない。」というところ。)しかし、それはアメリカの状況を念頭においての話のような気がします。アメリカの推進するグローバリゼーションに対し、フランスは自国文化を擁護するため抵抗しました。現在でもその傾向が強いです。

多文化主義を嫌う点、自国文化を保護しようとする点、これらを合わせて考えると、フランスが移民を「同一化」させようという方向に向かったのが頷けます。

引用文中のグローバル資本主義と多文化主義という2タームですが、どちらに対しても拒否態勢を示す傾向があるフランスにおいては、議論の中でこれらがほぼ抜け落ちていると思われます。
(この辺りは三浦信孝さんの講演会で聞いたことなのですが、もし興味がおありでしたら「現代フランスを読む-共和国・多文化主義・クレオール」という本に詳しいかと思います。)
【2005/11/08 23:01】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
わたしなりに柄谷氏の言葉を解釈するとおそらくこういうことではないでしょうか。
たとえば芸術作品ないし芸術家というものは作品が商品として流通する結果自立して存在しているかのようにみえるのであって、その逆ではない。
同様に「女性」とか「民族」という主体も女性が資本主義社会で労働力として見込まれた結果、あるいはかつて植民地として搾取されてきた国々が資本主義のシステムに組み込まれた結果、自立した「主体」のようにみえるのであって、その逆ではないのだ、と。
となるとこういうバックボーンのもとにいくら「フェミニズム」やら「ポスト・コロニアリズム」やらを叫んでみても資本主義のお化けのようなシステムを撃つことはできないのではないか?と。およそこういうことなのではないかとおもわれます。
わたしもスピヴァックの大著を読んでいないので、ポスト・コロニアリズムについてなにかあれこれ言う資格はないのですが、おそらくフランスにおいては現代思想というよりも文学の方面でポスト・コロニアリズムが受け入れられているのではないでしょうか?
シャモワゾーに代表されるようなクレオールの作家がもてはやされるのは現存する生粋のフランス人作家にみるべきものがないというだけのことなのかもしれませんが。
【2005/11/09 02:51】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
ふ~む、そうですか。
しかし、ゲイの場合などを考えてみれば、労働力としての主体というよりは、消費の対象として見込まれたのではないかという気がしなくもないです。
まあどちらにせよ、理解しようと思ったら、それが書評である限り、ジジェクのその本を読むべきなのかもしれませんね。

政治経済を学んだ知人にちょいと聞いてみたところ、フランスでのポスト・コロニアリズムは思想の中で主流とならないで、アルターモンディアリズムかコミュニズムに組み込まれたとの見解をいただきました。植民地主義を敢えて弁護しようという人はほとんどいないのであって、ということは、植民地主義自体について語ることがほとんどないのだ、と。フランスはそれをもう過去のことだと思いたいようです。

文学では、たしかにクレオール文学という一つの潮流が確立されていると思います。しかし、私は文学に全く疎いですが、クレオール主義が「もてはやされ」ていますかね??文学賞の時期になると新刊が続出しますが、ちらと見た限りではあまりそう感じません。最も一般市場での話ではありますが。
たしかに最近アルジェリア出身の女性作家がアカデミー・フランセ-ズに入ったり、10年くらい前ならアゴタ・クリストフや、もっと前ならミラン・クンデラなどの異国出身亡命作家が高く評価されるなど、フランスで生まれ育った「生粋のフランス人」以外の作家が認められる土壌があるとは思います。しかしだからといってそれが「文学」の全てではないと思いますし、フランスの文学を紡いでいる「生粋のフランス人」作家はまだまだいると思います。多分。
まあ、「文学」の定義によっては話が違ってくるのでしょうけれども。
【2005/11/10 01:21】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]
労働力であれ、消費であれ、いずれにせよ資本主義という「場」で発生する現象なのであるから、その結果である「ゲイ」の主体にしても「女性」の主体にしても、けっしてラディカルなものではないのに、それをラディカルなものだと錯覚してしまうことに問題があるのだ、というのが論点であるようにおもわれます。

文学に関しては、極東の島国に最近伝わってくるのがフランス語で書くフランス人(生粋の)じゃない作家の名前が多い、という程度のことにすぎませんので。
【2005/11/10 05:27】 | pianoman in Matsudo #- | [edit]
昨日は日本のサラリーマンよろしく、仕事の後で一杯…のつもりが三杯くらいになり、上司の愚痴を聞いたりして、ちょいへろへろでした。
なもんで(言い訳とは見苦しいですが)、つい「アルターモンディアリスト」と書いちゃいました。「反グローバル主義」のことですね。お分かりかと思いますが、一応。
余談ですが、「アンチ」ではなく「アルター」なんですけど、これ、日本ではどう訳してるのでしょうか?やっぱり「反」しかないのかな?
【2005/11/11 02:07】 | shiba #h/1ZVhMA | [edit]












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【2005/11/11 01:17】
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