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肉以外も食え!

 2005-07-04
さて、昨日、肉食推奨のようなことを書きましたが、別に菜食主義者すべてを批判するつもりはありません。色々な菜食主義の方がいらっしゃいますし。
ただね、欲求は否定したくない。

しかし、そうは言ってもやっぱり肉ばっかりじゃいけません。栄養バランスはとった方がいいです。野菜もとりましょう。


で、欲求と言うと、フランス語だとbesoin、生理的欲求です。欲望(desir)とは違う。フランス語で聞くと「欲求」の趣きがちょっとズレるような気がします。「必要」という意味がありますから。

生理的欲求、「食べたい」「眠りたい」「おしっこしたい」「セックスしたい」とかですね。こういうのって動物的活動に「必要」なので「欲求」が起こるのですね。生理的欲求が刺激となって動物は行動する。この欲求を満たすための活動は、動物の特徴のひとつ(植物的生命活動と比較して)ではないでしょうか。だから、この生理的欲求を否定することは、「人間は動物である」ことを大前提としている私にはどうも想像つかないです。
人間以外の動物は、本能にしたがってこういう生理的欲求を満たすべく行動する。よく知らないけども。その行動についての制約があるとしたら、それも本能に組み込まれているのだと思います。おしっこするのも、どこでもするのではなくてマーキングとかね。
しかし、人間の場合は社会的な制約がある。死にそうに空腹だからといって店先のパンを盗んで食べたらいけないし、おしっこしたいからといって道端でいきなりジョロジョロやってはいけない。色々と決められている事があるから欲求をそのまま満足させることができない(ことが多い)。この制約が厄介といえば厄介。古来からそう感じる人は後を絶たない。上の例は単純な例ですが、もっと回りくどいと、毎日お腹が空く→糧を得るためにはお金を稼がなければならない→お金を得るために労働しなければならない→労働は辛い→辛いことはしたくない→お腹が空かなければいいのに、ということだってある。

ところで、動物は生理的欲求によって行動すると書きましたが、この行動によって自分以外のものと直接関わるようになる、と私は考えています。もし自己充足していて、他に何も要らなければ、外界へ働きかける必要もない。(あ、コレ、フロイトさんだ。)だから、生理的欲求を否定するということは、外界との関係を否定することが含まれているように思えてならない。短絡的過ぎるかもしれませんが。

そして、生理的欲求を満足させるための障害となる社会的制約、これに対してムカつく~といっても、やっぱり人間が社会を形成しないと生活できない限り必要なわけで。しかし、この社会的制約、制度は、本能によって定められたものではない。時代や社会によってその制度に違いがあるのだし、個によって制度に対する意見がばらばらなのだから。これに不満があるのなら変えていくことだってできる。時間がかかるだろうけども。制度を変えることができないのなら、他の解決策を探すことだってできる。例えば、「毎日お腹が空く」から「お腹が空かなければいいのに」に着地する前に、「辛くない労働を探す」とか「辛いと感じないくらい強くなる」とか「他から援助してもらおう」とかいう選択肢があってもいいのではないか。「おしっこしたいけどトイレがない」(フランスの場合、切実ですね)から「排尿欲求がなくなればいいのに」となる前に、「カフェで飲みたくないけどコーヒー頼んでトイレを使わせてもらおう」とか「もっとトイレを作ってもらおう」とか考えないでしょうか。

こんなこと言えるのも、もしかしたらさほど困窮した生活を送っていないからかもしれない。生理的欲求やその他の欲望に苛まれて苦悩させられて悲観的になるほど困っていないからかもしれない。楽観的、オプティミストと言われるかもしれない。
それでもやっぱり、ネガティブであるよりは常にポジティブでありたいと思いながら暮らしています。
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