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すっかりご無沙汰してしまいました。
身のまわり・・・というか自分自身に色々と変化があり、動き回っていて、しばらくネットができない環境にいたので、久々の更新です。 何もかもが一変してしまって、これから自分の何をどれだけ維持できるのか、維持すべきなのか、まだわかりません。すべてについて、手探りしながら構築していく途上にあります。このブログの今後もどうなっていくか、自分でもわかりません。内容がだいぶ変わっていくかもしれないし、更新されなくなるかもしれません。でも、何よりまず、なかなか会えない友人たちに日常を伝えることもこのブログの目的のひとつにあるので、細々と続けたいと思っています。 そんな感じですが、これからもよろしくお願いします。 ついでに私信:町田康の文庫本はちゃんと手元に届きました。ありがとうございました! |
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カリフォルニアワインを世界的な地位に高めたロバート・モンダヴィがとうとう世を去られたそうで。5月16日午前9時に死去、享年94歳。
ロバート・モンダヴィは、フランスのボルドーの超有名シャトー、ムートン・ロットチルドと共同開発し、その成果である「Opus One」で世界に名を馳せました。 といっても、正直、ボルドーにはあまり興味がなく(だってグラン・クリュなんて買えないし)、ひたすらナチュラル・ワインに傾倒する身としては、この「Opus One」なるものの存在も別世界のもの(見たことない)なのですが。さすがにムートン・ロットチルドは知っているけど、「Opus One」ってそんなに有名なんですか? いや、「Opus One」の名前は知っていましたけどね。というのも、ジョナサン・ノシターのドキュメンタリー映画「モンドヴィーノ」の中で、モンダヴィにかなりの部分が割かれているので。 その「モンドヴィーノ」で焦点の一つになっているのが、モンダヴィ対エメ・ギベール。言い換えば、アメリカ合衆国カリフォルニアの「winemaker(ワイン生産者)」対フランスラングドック地方の「vigneron(ワイン生産者)」。この対立は、モンダヴィがラングドックに葡萄畑を開拓したいという計画から始まったもの。モンダヴィは、ラングドックに足を踏み入れることで、フランスのワイン生産技術を学べると同時に、現地に経済的援助をもたらすことができると考え、当時の市長の合意を得てその計画が進められました。しかし、モンダヴィが森を伐採するつもりであるということがわかって、現地生産者が猛反対、その末にローカルな政治的権力関係も絡まって、結局はこの計画がオジャンになったという経緯があるのです。「モンドヴィーノ」では、こうした生産者の異なる姿勢を軸に、ワイン市場にまつわる問題(グローバリゼーションや、単純に投機の対象となるワイン、いわゆる「テロワール(地方色)」など)について展開されていきます。 ところで、ロバート・モンダヴィ死去のニュースを知ったのはRue89の記事。これはブログ形式で書かれたものがRue89の一面にアップされていた記事でした。書いた人は、元ジャーナリストで、現在はワイン生産に携わるカトリーヌ・ベルナール。彼女はテロワールの擁護者であるようで、彼女が英語とフランスの「ワイン生産者」の違いについて説明しているところが面白い。 (一部フランス語訳をとばしました。あと、意訳が多いですが悪しからず。) これぞ翻訳の難しい言語分析なのですが、言語の中では意味論的な解釈というのは重要だし、面白いものだと思います。 こうした考察の源泉に、フランスのワイン生産者(全体とは言えないけれど)における確固とした信念を感じます。それは、必ずしもビオディナミとか完全有機栽培までいかなくとも(リュット・レゾネでも)、商業的な成功としての数字だけを頼りにした自由経済主義的なものさしではない、物事の計り方をする人々が少なからずいることを表してもいると思います。 ロバート・モンダヴィは、たしかにカリフォルニア・ワインの知名度向上に貢献した人物であり、努力した人だったと思います。合掌。 それでも、私はやっぱりテロワールを擁護するワイン生産者たちを応援したいです。 いやあ〜〜〜ナチュラル・ワインってほんとに美味しいですよ〜〜!!(←酔っ払い) (ちなみに今飲んでいるのはグラムノンのコート・ド・ローヌ、ロゼ。) |
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ここ数日、メディアの一部をにぎわせているのが、結婚の取り消し判決。ある男性が、新妻が処女でなかったために結婚の取り消しを申し立て、リールの裁判所がこれを受け入れたもの。この判決は4月1日に出たものですが、5月22日に司法関係の雑誌の中でこの判例が取り上げられ、それをリベラシオン紙が5月29日に記事にし、それから全国的な話題になりました。
裁判所は、民法180条が定める「本質的な資質に問題があった場合、結婚の無効を求めることができる」という条項に基づいて、結婚の取り消しを認めました。 当事者であるカップルは、二人ともムスリム。彼らにとって花嫁の処女性は大事な問題でしょう。まあ、ムスリムでなくとも、処女性にこだわる人たちはいるのでしょうが(厳格なキリスト教徒とかどうなんだろう)。最近、この話題から派生して、処女膜再生手術の現象(実は新しいものではないのですが)なども取り上げられていたりするらしいです。 この判例に対する批判的な反応としては、大まかに分けて、ライシテ(政教分離)に関する点とフェミニズム的な点の二つがあるようです。 まず、カップルがムスリムであったことから、宗教的な価値観に基づいて結婚の無効性を主張し、裁判所がそれを受け入れたのは、ライシテの精神に反するのではないか、ということ。「この判決はコーランの法に従ったものだ」と言う声まで出ています。 また、この判決が処女性を「本質的な資質」と見なしたとして、女性蔑視、男女平等の理念に反するという批判も。「同様に男性が童貞でなかったからといって結婚の無効が認められるのか?処女性だけがこうした訴えの原因になりうる」との意見が上がっています。 まあ、男性の場合、童貞かどうか分からないだろうしなあ…とも思うのですが…。しかし、男性が性的不能だったために結婚の取り消しを許可された判例はあるそうです。処女性と性的不能は別もの(対にならないもの)ですけどね。 しかし、なんだか物議が一人歩きしてしまっている感じ。というのは、女性側の弁護士によると、「二人とも結婚の取り消しに合意しています。私の依頼人は、この辛い経験を早く忘れたいと思っているのです」とのこと。 この女性にとっても、結婚が無効になったことで離婚歴にならなかったのは良かったのかもしれませんし、なんともいえないなあと思います。 っつーか、私だったら「処女でなかったから結婚を無効にしろ」というような男なんか、こっちから願い下げだけどなー。 |
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