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今日は仕事納め。就業後、シャンパンを開けて遅くまで歓談。帰路、夜の地下鉄は空いていました。みんな、明日の年明けパーティーに備えているのかな?(ちなみにうちはひっそりと二人きりで鍋の予定です。)
本年は大変お世話になりました。 来年もよろしく。 皆様にとって2007年が幸多い年となりますように。 なお、先月、祖父が亡くなり、喪中につき新年のご挨拶は控えさせていただきます。 |
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年末も押し迫ってきました。
フランスはクリスマス休暇なので、パリの街中も旅行者や家族連れが多く感じます。なんとなく「ハッピー・ホリディ」な雰囲気です。 さて、来年、大統領選を控えたフランスでは、有権者リスト登録の締め切りが間近に迫り、滑り込みで手続きする人が増えているようです。 フランスでは、性別を問わず18歳以上の国民に選挙権がありますが、投票するためには有権者リストに登録しなければなりません。これは義務付けられていますが、自動的には行われない、つまり自発的に役所に出向いて手続きをしなければならない為、未登録者はかなりの数にのぼるそうです。その数は400万人近く、と言われています。そして、翌年の選挙に参加するためには、その年の12月31日までに登録手続きを済ませなければなりません。つまり、来年の大統領選の投票カードを得るためには、年内に登録しなければいけないことになります。今年は31日が日曜日なので、締め切りは30日。 昨年、暴動騒ぎの後、有名人たちがこの登録をするよう呼びかける運動を展開していました。実際に、車放火騒ぎや警察との衝突が起こった郊外地区では、登録者数が増加したそうです。そして、今年も、そういった地域での登録者数がアップ。 今日のル・フィガロで読んだ記事(残念ながらWEB版には載っていない様子)では、パリ郊外(サン・ドニ県だったと思います)で市役所に登録しに来た市民のインタビューが短くまとめられていましたが、「反サルコジとして投票する」「最もマシ、なるべく有害でない政治家を選ぶ」といった声が紹介されていました。しかし、だからといってセゴレンヌ・ロワイヤル、というわけではないようです。 有権者リスト登録を呼びかける運動を展開するのは、左派寄りの人が多いようですが、誰に投票するかまでは触れておらず、一種の「政治活動」であるけれど「大統領選のための選挙運動」ではありません。実質的投票権を得た人たちがどの候補者を支持しているかは、なかなかわからないところ。必ずしも左派に有利とは言えません。 さて、昨夜のTVニュースで見て驚いたのは、「Allez France!」というボランティア団体が、戸別訪問してこの登録を奨励しているということ。TVでレポートされていたのは、この団体のボランティアのマキシム君。なんと彼はまだ選挙権をもたない17歳の高校生。でも非常に熱心で、彼は簡易コピー機を持って戸別訪問し、登録していない有権者がいたら、必要な書類をコピーして署名をもらい、それを役所へ持って行って手続きを代行。新たに登録した有権者の方は、自宅へ郵送されてくる投票カードを待つだけ。マキシム君は、すでに60人以上の手続きを手伝ったそうです。 以前、某元首相は「選挙のとき、有権者は寝ていてくれた方がいい」と言ったそうですが、そういう国ってどうなっちゃってんだよ…と不安に思う今日この頃。 |
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日本はそろそろ早朝、という時間ですね。みなさんのところにサンタクロースは来ましたか?
こちらは、これからノエルのご馳走にありつく予定です。家族もいないので、別にフランス式ノエルというわけでもなく、ちょい真似程度。とりあえずフォワ・グラとビュッシュ・ド・ノエルを食べます。 では、楽しいクリスマスを! ![]() |
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21日の木曜、フランス共産党は投票を行い、書記長のマリー-ジョルジュ・ビュッフェが、反自由経済主義グループの候補者としてではなく、共産党の候補者として立候補することに大多数が同意。
先日もふれましたが、反自由経済主義グループは大統領選候補者選びでもめていました。マリー-ジョルジュ・ビュッフェがグループ内投票で過半数を得たものの、共産党の組織票が働いたとして不満が噴出していました。 共産党の方でも、彼女に党の候補者として出馬してほしいという声が大きかったようです。書記長の候補を維持するか、反自由経済主義グループのために党の候補を取り下げるかを、党内投票にかけたところ、81.05%が党としての候補維持に賛成。 共産党のこの決断によって、反自由経済主義グループによる統一候補選出は実現不可能に。 反自由経済主義グループのリーダー格たちは、このニュースに「悲しく苦い気持ちと怒り」を感じていると述べています。彼らは新しく別の候補者をたてるつもりはない、とのこと。そして、マリー-ジョルジュ・ビュッフェは「党のカラーだけで」出馬しなければならない、として、彼女が反自由経済主義グループの代表を名乗ることを拒否。 翌22日、金曜夜、マリー-ジョルジュ・ビュッフェは立候補と選挙運動開始を宣言。「反自由経済主義の人々の意に適う候補になるために」党の責任を負うポストを来年1月4日に辞職する、と発表しました。しかし、肝心なところがいまいち曖昧。彼女は共産党としての候補なのか、反自由経済主義の統一候補なのか?どちらにせよ、統一候補をたてることに失敗したことは、ビュッフェ女史自身にもあまり良い結果にならなかったよう。11月の共産党内投票では、ビュッフェ書記長が党候補として立候補することに96.43%が賛成していたのに、今回はその数字が下落。マリー-ジョルジュ・ビュッフェの立候補維持の仕方に疑問をもつ党員もいるようで、党内は多少分裂ムード。 LCRの候補者、オリヴィエ・ブザンスノは、反自由経済主義の統一候補が出せなかったことについて、「予想できたこと」とコメント。共産党は候補者が極左寄りになること、また社会党と断絶することを拒みつづけてきた、という見解。結局、「左の左」は、マリー-ジョルジュ・ビュッフェ、ドミニック・ヴォワネ(緑の党)、オリヴィエ・ブザンスノ、アルレット・ラグィエ(LO)と、「統一」から程遠い複数候補となる見込み。出馬に必要な市町村長500の署名が揃えば、の話ですが…。オリヴィエ・ブザンスノは今のところ、340集まったとのこと。 この「分裂」は、社会党のセゴレンヌ・ロワイヤルにとって、かなり有利になるだろうという見方が一般的。 参照: Yahoo Franceより「Les communistes confirment la candidature Buffet」 (AP) 「PCF: Buffet entre en campagne malgre la colere des antiliberaux」(AFP) 「LCR: Besancenot appelle les électeurs de la gauche radicale a voter pour lui」(AFP) |
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昨日に引き続き、路上生活者関連です。
「ドン・キホーテの子供たち」のような動きがある反面、テント撤去の問題も。 今週の月曜(18日)、朝7時に、パリ5区のオーステルリッツ駅近くにテントをはっていた約20名の路上生活者が、警察に場所を追われ、テントを没収されたとのこと。これは、Port Autonome de Parisという、河川の交通と貿易発展のための公的機関の要請によるもの。テント生活者のひとり、ジャン−ピエールさんは、以前からの立ち退き要求はなかったと断言しており、突然の強制退去に驚いているらしい。 これには多くの批判の声があがったようです。その中でも、社会事業と社会連帯に関する役割を担っている、パリ市長補佐官のジゼル・スティーヴナールは、この出来事を非難。「優先事項は、テントを撤去することではなく、新しい宿泊施設を開設すること」と話しています。パリ市はすでに一ヶ月前、更に収容人数を増やせるように新しい場所の提供を政府へ提案しているが、返事がないとのこと。「政府が、仮住まいに避難せざるを得ない人々の危機に対して措置をとらなかったことは明らか」として、内閣を批判しています。 翌日の火曜(19日)、社会統合担当大臣のカトリーヌ・ヴォートランは、「国家は住居のない人々のために、毎晩300万ユーロを費やしている」「国家が野宿を強いているというのは間違っている」と反論。しかも、この週末、パリの宿泊施設では450のベッドが空いていた主張。更に、オーステルリッツ駅近くでの強制退去については、「その周辺の河岸工事があり、テント生活者たちに危険が及ぶ可能性があるため、以前から準備されていたこと」「2ヶ月にわたって、関連団体や政府の代理人がテント生活者に会い、長期的な宿泊手段を提案したが、一部の人には断られた」と説明しています。 更に、カトリーヌ・ヴォートランは、「心が広いようにみえて、実際はごまかしでしかない行動」を非難。これはテント配布のことだと思われます。ごまかしの解決策ではなく、問題の根本を取り組まなければならない、と強調。特に「ドン・キホーテの子供たち」が主催する活動を「大統領選の前運動的なアジテーション」として糾弾しています。 ところで、ヴォートラン社会統合担当大臣の発言に遡ること月曜夜、ニコラ・サルコジは「もし私が大統領に選出されたら、2年以内に、誰も路上で寝なければならないとか寒さで死ぬようなことがないようにする」と宣言。とはいえ、具体的な案には触れず。 これに対し、社会党のフランソワ・オランド書記長は、サルコジ内相が「動揺したふり」をしていると非難しています。「5年近くも内閣にいて、今頃貧しい人たちがいることに気づいた」と嘆息。そのうえ、サルコジ氏の発言は、2002年にリオネル・ジョスパンが大統領選で公約した「SDFゼロ」の焼き直しに聞こえます。 また、問題を抱える市民の生活援助を行っている、ピエール神父を中心とした団体、エマウスのマルタン・イルシュは、ニコラ・サルコジの発言を受け、「SDF(ホームレス)ゼロに向けて、SDFのために、努力をしなければならないのは当然のこと」、「しかし、路上にいる人の30% が低所得労働者だという事実に取り組まなければ、何の解決にも到達できない」と述べています。 たしかに、この問題について考えるとき、最近の住宅問題が深刻な状況を考慮するべきでしょう。地価の高騰や住宅数の不足などで、賃貸契約のハードルは高くなる一方。 水曜(20日)、政府は、2007年の家賃上昇を抑えるよう、家主連盟と合意したと発表しました。 大統領選前という状況の中、SDF問題はにわかに再燃、社会問題の前面に浮上しています。 それにしても、具体案をあげずに早速、解決する約束を宣言するニコラ・サルコジは、ちょっと軽率なのでは。 社会統合担当大臣は「ドン・キホーテの子供たち」を非難していますが、「ドン・キホーテの子供たち」は特定の政治団体に属するものではありません。逆に、政治団体の側から公に彼らを支持しているのは、緑の党のみ。新しく書記長に就任したセシール・ドュフロは、他の代表者と共にサン・マルタン運河沿いに出向き、SDFと共に一夜を過ごしたとのこと。 また、セゴレンヌ・ロワイヤルは、「不言実行」とでもいう態度。「フランス国民は、やるべきことが為されてから発言されることを期待している」として、ニコラ・サルコジのような約束をすることを拒否。彼女にとって優先すべき問題は、「物価高と不安定さ」。SDF問題は自ずと視野に入っていると言いたいのでしょうか。参照: Yahoo Franceより 「La police evacue une vingtaine de SDF abrites dans des tentes a Paris」(AFP) 「Une vingtaine de SDF deloges a Paris par la police」(AP) 「L'Etat depense trois millions par nuit pour les SDF, rappelle Catherine Vautrin」(AP) 「Sarkozy souhaite que "plus personne ne dorme sur le trottoir" dans deux ans」(AP) 「Hollande: Sarkozy "fait semblant de s'emouvoir" du sort des SDF」(APF) 「Pour que personne ne dorme sur le trottoir, il faut s'occuper des travailleurs pauvres, affirme Martin Hirsch」(AP) 「Le gouvernement veut limiter l'augmentation des loyers a l'inflation en 2007」(APF) 「La situation des sans-abri surgit dans la campagne presidentielle」(APF) 「Segolene Royal ne veut pas faire de promesses sur les logements de SDF」(APF) |
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今日は冬至。冬の日ですね。一年で一番日の出ている時間が短く、夜が長い日。これから少しずつ日がのびてくると思うとちょっと嬉しい。今は、午後5時くらいから暗くなり、空が明るくなってくるのは朝8時半くらい。
さすがにフランスも、ここ数日でぐっと寒さが増してきました。今夜は、全国43県でレベル2の厳寒警戒警報が出ています。朝晩は気温零度を下回っているようです。 厳寒期になると問題になるのが路上生活者の凍死。夜中、駅からうちまでの帰り道を歩いているだけでも寒さが身にしみるのに、たしかに外で寝たら凍ってしまいそう。冬になると、ソーシャル・ワーカーが街を見回り、路上生活者たちを援助しています。 昨年12月、「世界の医師団(Medecins du Monde)」が行き場のない路上生活者たちにキャンプ用テントの配布を開始しました。このテントで、とりあえずの寒さはしのげるようです。しかし、路上生活者たちは一年を通してこのテントで暮らすようになり、解決策として疑問の声があがっています。「景観を損なう」という意見もあったらしい。警察によって撤去されたテントもあったようで、世界の医師団は「徴収されたテントはどうなったのか」と憤りを表しながらも、この冬、テント配布を続けています。 さて、先週末、土曜(16日)から日曜(17日)にかけて、パリ10区のサン・マルタン運河沿いにテントの行列が出現。これは、「ドン・キホーテの子供たち(Les Enfants de Don Quichotte)」という団体が主催した一種のデモ活動。姿が見えにくい路上生活者という存在を、テントによって街の人々の視野に入れ、市民にこの問題をもっと意識してもらおう、という目的。テントには、ホームレス(Sans domicile fixe)を意味する「SDF」という文字を大きくプリントした横断幕がつけられています。この団体のリーダー、オーギュスタンと、彼の友達パスカルは、12月の初めに国民議会前でテントを張る大掛かりなデモを企画しましたが、機動隊に退去させられてしまったとのこと。けれど、それから多くの人の共感を呼び、インターネットなどを通じて、今回の運河沿いのデモ活動が実現。呼びかけに応じて集まった「ちゃんとしたところに住んでいる人たち」が、SDFとの連帯を示すため、テントで夜を過ごしました。その数は、実際の路上生活者を含め約150人といわれています。この活動は現在も続行中のようです。参照: Yahoo Franceより 「Un camp de tentes pour sensibiliser au sort des SDF」(AP) Le Mondeより ↓インタビューを含めた短いルポルタージュ(動画)です。 |
先週、フランスの国民的ロック・スター、ジョニー・アリデーが、スイスへ移住すると発表。理由は「多くのフランス人と同じく、税金払わせられるのにうんざりしたから」。つまり、税金対策です。あれ?ベルギー国籍申請してなかったっけ?と思って調べたら、却下されて取得できなかったようです。で、今度はスイスに移住。 他にも税金対策でスイスに渡ったフランス人は少なくない。歌手のシャルル・アズナヴール、テニス選手のアメリー・モレスモ、元F1レーサーのアラン・プロストなど。また、企業家ではエリック・プジョー(車やさん)、アラン・アフルルー(眼鏡やさん)など。有名俳優、アラン・ドロンは、スイスに移住するのみならず、1995年にスイス国籍も取得したそうです。 ジョニーは、ニコラ・サルコジのお友だちで、大統領選を応援。夏の党大会では肩を並べて写った写真が、サルコジ氏の恰好の宣伝材料に。しかし、これだけ仲間としてアピールしていたジョニーが国外脱出となると、サルコジ氏にダメージがあるのでは? ジョニーの税金亡命に、サルコジ内相は「この国に問題があるということ」と述べています。 まあ、さすがにあれだけスターの後光にあずかろうとしたのだから、今更ジョニー批判もできないでしょうし、お友だちなら肩をもたないといけませんね。それとも、大統領選で、大金持ちへの税金徴収を軽くする公約を盛り込んじゃいますか? その他の政治家たちはサルコジ氏とは異なる意見。 ジャック・シラク大統領は「アーティストとして賞賛するが、市民の態度としてはちょっと残念に思う」とのこと。 また、ドミニク・ド・ヴィルパン首相は「支払う税金を少なくするためにフランスを去るというのは、わが国の税務状況からして、正当とは思えない」、「非常に残念に思う」。 左派からはやはり批判的な意見。社会党書記長のフランソワ・オランドは「自国の、共和国の観念があるなら、その国の税金を払いつづけるものだ」と述べています。 政治家以外では、女優のジャンヌ・モローのコメントもありました。 同じようにスイスへ移住するのでは、という噂もあったようですが、完全否定。税金亡命は「完全に私の倫理に反する」とのこと。「隠匿は大嫌い。私には市民としての権利があるし、ということは義務がある。それは全く当然なことだと思います」とキッパリ。彼女のお住まいはパリ(郊外のイヴリンヌだったような)。ジョニーと同じく税金対策で15年前からスイスに住居をかまえる元テニス選手、デヴィス・カップのフランス・チーム監督を務めるギィ・フォジェは、ジョニーの移住に理解を示しています。「住みたいところに住んで、やりたいことをやっていいと思うし、サッカー選手たちが、同じ税理的理由でスペインやイタリア、イギリスに行くのとかわらない」とコメント。しかし、「自分はフランスにも税金を払っている」、「別にスイスも税金面で楽園ではない」、「現役ではないから収入も以前ほどではないし、税金対策としてスイスに住む利益は実際、今はない」と強調。やっぱり、「自国に税金を払いたくないから国外へ行った」ってあまり威張って言える感じじゃないですよね。 ただし、ギィ・フォジェは、他の有名人や企業家だけでなく、いわゆる「優秀な頭脳」が国外へ流出していることも想起すべきで、フランス社会の内部システムに問題があると指摘。 この点は、すでに経団連会長のローランス・パリゾも触れています。 その辺の問題は、一緒くたにしていいのかどうか、ちょっと疑問ですが…。 参照: Le Mondeより Yahoo Franceより 「Jeanne Moreau: l'exil fiscal "completement a l'oppose de mon ethique"」(AFP) 「L'ancien tennisman Guy Forget comprend l'exil fiscal de Johnny et d'autres」(AFP) |
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(その1、その2、その3からの続き)
西ドイツでは、東ドイツとは違った様式で、ナチスの過去の抑圧と否認が進行した。東ドイツでは反ファシズムであったが、西ドイツでは反共産主義が前面に押し出されて、それが集団的心理防衛力を牽引した。そして、特に経済が重要な役目を果たした。 反共産主義は、実はナチスのイデオロギーの延長である。共産主義とユダヤ人は共にナチスの敵であり、ナチスはボルシェヴィキとユダヤ人を表裏一体とみなしていた。例えば、第一次世界大戦の大敗の責任があると糾弾されたローザ・ルクセンブルグとカール・リープクネヒトはユダヤ人であった。しかし、多くのドイツ人にとって、反共産主義は戦前の価値観のつながりを保つのに恰好であった。背景には冷戦もあり、反共産主義は連合国にとっても都合が良かった。 反共産主義はソ連への敵対心を煽り、ソ連と協調しているドイツ民主共和国との分裂を深めた。そして、ドイツ民主共和国と同じドイツであったことなど思い出したくもないといった傾向に導かれた。つまり、1945年以降、西と東のドイツは、地理的だけでなく時間的にも分裂した。こうして、西ドイツにとっては東ドイツが犯罪的な部分となり、反対に東ドイツにて西ドイツはナチス政体の続きであると宣伝された。強迫観念的な心理メカニズムによって、自己の罪悪感は否認され他者へ投射されたのである。 |
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(その1、その2からの続き)
ドイツ連邦共和国における喪の作業 連合軍(米・英・仏)の指導のもと、西ドイツでは東ドイツとは異なった政策がとられた。即ち、集団的罪悪感に訴える方針がとられた。 西ドイツにおける防衛反応は、目の前に突き出された現実の残酷さによって強化された。アメリカとイギリスが政治宣伝に使ったイメージ(映像・ポスター)は、現実の惨状をうつしたものであったが、あまりのむごさに国民は耐えられず目を背けようとした。この反応は連合軍が強制収容所を解放した際、その状況を目のあたりにした時の反応と同じであり、心理メカニズムの防衛反応として、おかしなことではない。 しかし、こうした反応は、イメージの残酷さだけに因るものではない。イメージに添えられた「あなたがたドイツ国民全体の責任だ」といった文章に想起される罪悪感を拒絶する反応でもある。 とはいえ、残酷なイメージを宣伝したことが悪いと言うわけではない。イメージのみが、知らなければいけない現実を教えうるであろう。1945年5月から、米英は週刊TVニュースを放映し始めた。これは月に2500万人のドイツ国民が視聴していた。映像を伴ったニュース番組は米英の教育の一環であった。 |
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今年は暖冬です。今日の日中予想最高気温は10℃でした。明日もそうです。この時期に10℃っていうのは、かなりあったかいのではないでしょうか。ところで、さっき、自分の昨年12月のブログを見直してビックリしました。去年は雪が降ったりしていたんだなあ。
そんなわけで、ノエルが近いという実感がいまいち湧いてきません。 といっても、私の無関心をよそに、街中はすっかりノエル商戦展開中なわけで、否が応でも「もうすぐノエル」と知らされるわけですが。 「あぁ、ノエルが近いんだなあ」と感じるのは、フォワ・グラ、スモーク・サーモン、牡蠣、香水のテレビCMが増えてきたとき(なんの情緒風情もねえ)。 それと、やっぱり街中の電飾ですね。イルミネーション。 で、毎年恒例のデパートのイルミネーション。お買い物ついでに写真を撮ってきました。(以下、写真はクリックすると拡大します。) 上はプランタン・デパート。 入り口に飾られた光の木が美しい。 今年は「mille et une nuit(千一夜)」というテーマのプランタン・デパート。ショー・ウィンドーも、中近東風のテイストを取り入れています。 下の写真はお菓子とポットのパーティー。 ポットがちょこまかと動いて可愛らしい。 それに甘くておいしそうなお菓子・・・。 動くものがあるショー・ウィンドーには足を止める見物人がいっぱい。人は動くものについ興味を抱いてしまうのだろうか。 お隣の静止ショー・ウィンドーの前はガラガラでしたが、こちらも夢のようなパーティー・テーブル。 こんな豪華なテーブルのディナーにお呼ばれされてみたい。 お隣のギャルリー・ラファイエットは、毎年恒例になりつつあるイルミネーション。ここ6、7年は同じですね。 こちらのショー・ウィンドーは、どちらかというとお子様向け。子供が近寄ってよく見られるように、ウィンドーの前に一段高い台がついています。 音楽もついているのですが・・・ これは「ンゴー、ンゴー」というイビキつきの眠り熊でした。 そして、チョコレート工場のクマさんたち。 なんだかよくわからないけど、シャキュートリー(ハム、ソーセージなどの豚肉加工品)に食いつくワンちゃんたち。 ・・・うーん、見事に写真撮ってる人の本性が出てしまったな。食べ物関連ばっかりじゃん(あと、眠ってるの)。他にもキレイなショー・ウィンドーはあったのに。 え〜っと・・・ じゃあ最後にお針子の国のアリス。 左のウサギさんの足元にはトランプが。実はマネキンさんもトランプを一枚指に挟んでいます。天井からは、針と糸を手にした腕がぶらさがっているのですが(と書くと、ホラーっぽいなあ)、写真には写りませんでした。残念。この「不思議の国のアリス」風ショー・ウィンドー、わりと気に入りました。 |
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(その1からの続き)
ドイツ民主共和国における喪の作業 ソビエト連邦の占領とそれに導かれた抑圧的な政策により、ドイツ民主共和国においては、国民の犠牲者意識が強まり、反面、罪悪感が軽減された。 ピエール-イヴ・ゴダールは、ある逸話を取り上げている。それは、ラーフェンスブリュック女性収容所があったフルステンベルグという街で起こった出来事である。1992年、旧強制収容所の敷地内、かつての囚人の手によって敷かれた石畳の上に、スーパーマーケットを建設する計画が進められた。これには世界中から抗議の声が上がり、結局、計画は中止を余儀なくされた。しかし、その街の多くの住民は、計画に反対する人々の怒りが理解できなかった。ソ連の支配下と40年にわたる社会主義による貧困を生き、博物館や記念碑訪問といった毎年の義務を長年果たしてきた後で、やっと普通の生活を送ることができるのは正当だと考えていたからである。スーパーの建設は、彼らにとって、時代の変化と不運からの脱出の徴であった。 この逸話に、東ドイツの人々が自分達を犠牲者と感じていたという面が現れているといえよう。 ところで、東ドイツでは、戦後すぐにナチスの罪と虐殺についての反省が現れた。それは特に、亡命から戻ってきたユダヤ系知識人によってなされた。「水晶の夜」の10周年追悼式が行われたのも、1948年、ソ連占領下においてであった。 しかしながら、次の追悼式は1988年まで待たなければならない。この40年の空白は、反ファシズムによる戦後再建の時代を意味している。 |
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最近、ニュースを見ていると、ミッシェル・アリオ-マリーがMAMと略されています。DSKと同じ感じですね。やっぱ名前が長いからかなあ。でも、ジャン-ピエール・ラファランでJPRって見たことなかった気がするけど・・・。
それにしても、MAMって、最初に目にしたときは「マム?お母さん?」と思ってしまいました。フランスの肝っ玉かあちゃんになるのは彼女か? あと、MAMってブランドの名前っぽいような。 で、ミッシェル・アリオ-マリーって長くて、いちいち書く(というかキーを打つ)のが面倒くさいから私もMAMって使おうと思います。 そのMAMですが、大統領選出馬の意向については、相変わらず秘密。年末か来年初めには、はっきりさせるそうです。そんなMAMも、UMPの大統領選候補選出前の討論会に参加。シラク派にちょっと譲歩してみせたニコラ・サルコジが、社会党の予備選挙前の討論が反響を呼んだのを見て、「UMPも党内で討論するのはいいと思う」なんて言っちゃって、集会を開いたわけです。が、MAMは先週末(土曜日)、パリで開かれた討論会の運びに不満を表明。曰く、「時間制限があったのを守ったのは私だけで、他の人たちは守らなかった」。つまり、「他の人たち」がMAMより多く話したわけで、彼女より目立ったことは間違いなし。この規則は「直前に変更された」とのこと。「すべての人に等しい規則と言われたのに、私だけが守らされたのでは不公平」ということでしょう。また、「討論というのは演説の連続ではない」、「テーマをきちんと定義し、各人が同じ質問に答えるべき」という考え。どうやら前回の討論会では、ひとつのテーマについて話すはずのところを、「他の人たち」はそれとは無関係のことにまで展開させたらしい。 ところで、UMPで大統領選に立候補する意思を宣言しているのはニコラ・サルコジのみ。討論でアリオ-マリー女史に不平を言わせた「他の人たち」の中心はサルコジ氏だったのでは、と推測されます。 ヴィルパン首相は討論に不参加。本当に全く大統領選に出馬する気なし。 このUMP討論会第2回目は、15日にリヨンで開かれる予定。MAMは「1回目と同じくらい退屈だったら参加しない」とのこと。 参照: Yahoo Franceより「L'UMP tient son premier forum de pre-campagne presidentielle a Paris」 (AFP) 「Michele Alliot-Marie demande que les regles des forums de l'UMP soient "les memes pour tout le monde"」(AP) 「Alliot-Marie ne veut pas a Lyon d'un debat UMP "aussi ennuyeux" que le 1er」(AFP) |
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この週末、反自由経済主義者たちの集会があり、統一候補選出を試みました。投票の結果、共産党書記長のマリー-ジョルジュ・ビュッフェが過半数を得ましたが、参加した多くの人は納得がいかない様子。
ル・モンドが伝えたところによると、共産党は多くの党員に呼びかけて投票させたということで、他の政治グループに所属するメンバーから非難の声があがっているようです。共産党内でも、党の手法と投票結果に疑問を感じる人もいるようで、ビュッフェ書記長の選挙運動に協力する人が減るのでは、という意見も。他方、LCRでは、ブザンスノ氏が統一候補選びに参加すべきだった、そうすれば事態はもっとまともに進んだのに、と批判する人もいました。 この反自由経済主義の集会は党単位の集会ではありませんでした。LCRはリーダーのオリヴィエ・ブザンスノが統一候補案を拒否、緑の党は自党候補を立てると宣言しています。この集会の参加者は、社会党、緑の党、LCRやLOなどに所属するアンチリベラルの人たち。そんな中、共産党が党ぐるみで書記長を推したことに不満が噴出。マリー-ジョルジュ・ビュッフェは、収拾のつかないまま終わった集会にやはり懸念があるようで、更に話し合いを続けていきましょうと呼びかけています。 2002年の大統領選で「左の左」から出馬した候補者が多く、票割れを招いたという反省、2005年のEU憲法国民投票で彼らの主張した「NON」が勝ったことから結束しようとした勢いは、結局どうなってしまったのでしょうか。(ま、EU憲法に対して「NON」で一致していたからといって、他の部分で一致しているとは思わないので、なんでそこで簡単に結束できると思ったのか個人的にはちょっと疑問なんですけど・・・。) まとまらなかった極左に比べ、左は徐々にまとまりつつある様子。この週末、ジャン−ピエール・シュヴェヌマンが社会党に「政治的合意」を表明し、候補を取り下げると宣言しました。そしてセゴレンヌ・ロワイヤルの後援につくと発表。 シュヴェヌマン氏は2002年の大統領一次選挙で5.33%を獲得しており、この無視できない票数を味方にできるなら、社会党にとって大きな利益。 参照: Yahoo Franceより 「Antiliberaux: pas de candidat commun, nouvelle consultation prevue」(AFP) 「Presidentielle: Chevenement annonce le retrait de sa candidature et son ralliement a Segolene Royal」(AP) Le Mondeより |
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昨日、ミクシィで、マイミクさんが「<仏スーパー>18歳未満入店禁止 暴行・万引き絶えず」っていうニュースについてコメントつけてたんですけど、それ読む直前、ちょうどル・モンドで見出しだけ見てたんですよね。そのときは、ふーん、って思って、別にフランス語の記事は読まなかったんですけど、後から日本で報道されてると知って、どういう内容!?と気になって、もういっかいル・モンドに戻って読みました。
正直言って、なんでわざわざこのニュースが日本に送られるのかわかんない。もっと他に流すべき情報があるだろう!この記事の書き方みると「暴動が起きるフランスの郊外って大変なんですよ!」って強調したいのかなって思う。結局さ、暴動が好きなんじゃないの?それで煽るのが好きなんじゃないの? で、フランス語の方はですね、もともとパリジャン紙が報道したらしいのですが、その元記事は読んでなくて、ル・モンドだけ読んだ限りですが、まあ内容よりも、記事の書き方の違いを如実に感じたわけです。日本の新聞で海外ニュースなんて字数がすごく制限されているだろうとは思うけれども、それでも「郊外」「暴力」「入店禁止措置」を短絡的につなげる展開しかないんですかね? ル・モンドを読むと、入店制限措置の問題は、暴力が頻発している郊外だから、ということよりも、子供たちに娯楽が少ない郊外という面が暗示されているわけです。勿論、この辺は記者の視点に因るところが大きいでしょうが。なんか日本の新聞の社会の見方って怖いなって時々感じてしまいます。 ル・モンドの記事はこちらです↓ |
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シンポジウムからはや一週間経ってしまいました。が、まだ書いておこうと思っているものがあるので、続き。
もうひとつURSS関連で、ベロモルカナルという、白海とバルト海をつなぐ運河の建設にまつわる本についての発表もあり、これも日本語サイトで検索してみたらあまり知られていない様子だったので、ちょっと書きたい・・・と思っていたら、同じシンポジウムに出席したchaosmosさんがまとめてくださったので、そちらに丸投げ。(TBもいただいておりますが。) さて、クラフチェンコ事件で、「国の自尊心に関わる」という点に着目してみたわけですが、これは同じシンポジウムで、フロイトの理論を援用しながら東西ドイツの戦後の違いを分析したピエール-イヴ・ゴダールの「RFA-RDA:des memoires en miroir」という発表が想起されます。ゴダール氏は「Le fardeau de la memoire」という本を1997年に出版しており、発表はその中の2章を要約した内容でした。シンポジウムの前に最初の数十ページを読んで予習したので、発表以外の部分も合わせ、かいつまんで(?)ご紹介したいと思います。専門の方にとっては新しいものは見当たらないと思いますが・・・。ただ、日本からいらしたドイツ専門の先生は、精神分析的視点を取り入れているところは面白いと仰っていました。もしかしてそれってフランスっぽいのでしょうか。でも、逆に、精神分析を専門にしてる人(特にラカンなどやっている人)にとっては「援用ってそれだけ?」って感じかも。なお、シンポジウムの栞によると、ピエール-イヴ・ゴダールはパリ第4大学の先生。ぐぐってみたら、パリ第5大学でも教えていたようです。専門は何なのかよくわかりませんでした(精神分析なのか社会学なのか・・・文化人類学という話もあったけど)。 ピエール-イヴ・ゴダールはその著書の中で、まずフロイトの「集団心理学と自我の分析」を想起しつつ、ヒトラーとドイツ国民の関係を分析している。フロイトはその論文で、軍隊と教会を例にとりながら、集団の心理がどのように形成されているか、理論展開を試みている。そこでは、まず集団を統率する者が各メンバーの自我理想となり、同じ自我理想を抱く同胞が互いに同一視することで結束する、と説明されている。ゴダール氏によれば、ナチス下のドイツも同様で、ヒトラーが国民の自我理想となっていた。ドイツ国民はこの自我理想に圧倒的に魅せられ、欲動(リビドー)は自我理想となった対象に大量に備給される。そうなると自我への欲動備給が少なくなり、自我は貧困になる。弱まった自我にとっては、自我理想的対象の指示に従うことが悦びとなり、無批判にそれを受け入れるようになる。そのような状態の集団がヒトラーを失うことは、それまでの多大な欲動備給の対象を失うことである。行き場のなくなった欲動を撤収しなければならないが、貧弱な自我にとってこの撤収作業は難しい。このような観点から、敗戦直後のドイツ国民に戸惑いがあったこと、喪の作業(フランス語でいうところのdeuil)が非常に困難であったことは、容易に想像しえる。 他方、ドイツ国民は戦後、自らの名のもとに恐ろしい行為が行われていたことを知らされ、あまりのことの重大さに罪悪感を背負いきれず、目を背けようとしたことも、心理メカニズムの面からみれば理解可能である。つまり、自我が罪の意識に押しつぶされないように防衛機能が働いた、と考えることができる。この過多な罪悪感は、自らの名によって殺された犠牲者に対する喪の作業を困難にした。 このように、ピエール-イヴ・ゴダールは、ドイツ国民にとって二つの点で喪の作業が困難であったことを指摘している。 ところで、戦後、ドイツは戦勝国によって二分された。ドイツ民主共和国とドイツ連邦共和国、すなわち東ドイツと西ドイツである。前者はソ連に、後者は連合国、米・英・仏の三国に、戦後処理を任せられた。二つの地域で、戦勝国による戦争責任の問われ方は異なった。ソ連は、ヒトラーとナチス政権に責任がありドイツ国民には罪がない、という姿勢で臨んだ。それに対して連合国側、特にアメリカは、ドイツ国民全体に対して「あなたたちの責任だ」とはっきりと非難を述べ、集団の罪悪感に訴えた。この戦後指導の方針の違いは、冷戦激化の中で、やがて二つのドイツの分裂を深めることへとつながっていく。 (続く) |
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(その1、その2からの続き)
ところで、クラフチェンコはなぜフランスで裁判を起こしたのだろうか?彼は、すでにアメリカ国内で、自分の書いた本に対する抗議を受けていた。 クラフチェンコはパリへ到着してからの記者会見で、「自由世界の国でこの裁判が行われることを望んだ」と答えている。更に、冷戦構造の中でフランスが微妙で重要な立場にあることを、彼は意識していたのではないか、ともいわれている。 また、フランスの共産主義者たちは、なぜ「Les lettres francaises」の記事に現れるような過剰なほどの反応を見せたのであろうか? 第二次世界大戦後、フランスの共産主義のイメージは戦時中のレジスタンス運動と結びついている。ドイツ軍占領下にあって、ナチス及び対独協力的なヴィシー政権への抵抗運動に参加した者の多くは、共産主義的な人々であった。ロンドンに亡命していたド・ゴール将軍が、解放された直後のパリへ急いで戻って国民の歓呼に応えたのも、共産主義者の国内レジスタンス派よりも自らの働きが大きかったと内外に印象付けるためだったといわれる。つまり、共産主義者がレジスタンスに果たした役割はそれだけ大きかったということである。戦後のフランスにおいて共産主義は好意的に受け取られていた。実際、当時の共産党は議会の3割弱を占めており、社会党、MRP(人民共和運動)と並んで重要な政党のひとつであった。その時代のフランスにあって共産主義を攻撃することは、レジスタンスを攻撃することに近かったのである。 ところで、レジスタンスはフランス国民にとって英雄であった。しかし、戦時中、対独協力した者は少なくないはずである。生命の危険に及ぶ状況では、意に反してそれを選択した者もいたであろうが。戦争が終わると、対独協力者の処罰が問題になった。抑圧からの解放により、ナチスに対する憎悪が爆発して、対独協力者に対するリンチめいた制裁も起こった。それは、フランス国民が戦時中に受けた傷の膿が出たものと言えるであろう。戦後、この傷を忘れるため、ひとたびヴィシー政権への懲罰措置がとられると、時代に区切りをつけ、「フランス国民は皆レジスタンスとして戦った」という神話に逃げ込むようになった。つまり、当時のフランス人にとって、レジスタンスはひとつの自尊心であった。レジスタンスが攻撃されるということが、当時の多くのフランス人にとって耐え難かったであろうことは、容易に想像されえるだろう。 そして何より、「Les lettres francaises」はレジスタンスのさなか、ドイツ軍に銃殺された高校教師によって創設され、戦後は共産主義者の中核をなす雑誌であったことは付言に価する。 また、フランスの共産主義者の多くはソ連のことを、理想を実現した国、パラダイスである、と信じたがっていた。クラフチェンコ以前にも、ソ連の実状を伝える手記はあったが、ほとんどが亡命者か右派思想の作家によるものであった。フランスの左派たちは、それを「証言」ではなく「対立派が書いたもの」として受け取っていた。しかし、クラフチェンコは、平凡な一般市民として、彼自身の日常的な経験について、家族のことや恋人たちのこと、監視のもとで飢えと不衛生に苦しんだ学生生活など、単純で親しみやすい筆致で綴った。これは、フランスの共産主義者たちのそれまでの態度を揺るがした。 さて、後回しになってしまったが、「Les lettres francaises」の記事の具体的内容について触れておこう。その記事はシム・トーマスというアメリカ人記者の署名がなされている。彼は、CIAの前身OSSに属するある人物からクラフチェンコに関する情報を得たという。クラフチェンコはアメリカのスパイで、反ソ連の政治宣伝的な本を書くよう司令を受けたというのだ。更に、クラフチェンコ自身についての逸話も挿入されていた。そこでは、クラフチェンコは「無学で酔っ払い、詐欺師、精神薄弱者、放蕩者であり、彼はボーナスをもらう為、URSSで偽の収益報告書をでっちあげ、借金返済のためにアメリカの諜報部にサインを売った」と言われている。 クラフチェンコはこの記事に非常に驚いた。彼はシム・トーマスなる記者のことは聞いたことがなかったし、アメリカでそんな記者のことを知る者は誰もいなかった。そこで、「Les lettres francaises」に、この記者について問い合わせたが、うまく逃げられてしまった。クラフチェンコがパリに到着して記者会見を開くと、フランスのこの雑誌も対抗して記者会見を開き、シム・トーマスは存在するしロシアに強制収容所などない、と言い張った。しかし、じつはシム・トーマスは架空の人物だった。30年後に出版された、「Les lettres francaises」のディレクターだったクロード・モルガンの回想録によれば、シム・トーマスの記事はアンドレ・ウルマンが持ってきたもので、彼こそが真の筆者だったのである。 つまり実際に、存在しない人物によってでっちあげられていたのは、クラフチェンコの本ではなく、「Les lettres francaises」の記事の方であった。 お粗末な事実のわりには裁判がこれだけ大きなものとなったのは、共産主義者たちの強烈な否認に因るといえるであろう。 しかし、この否認を、私たちは嘲笑したり、単純に無反省に非難したりすることはできない。先に述べたように、この否認は国民の自尊心に関わるものであった。愛国的自尊心を擁護することなしに自国の暗い過去の責任を語れない傾向が顕著になりつつあるのは、最近指摘されるところである。現在みとめられるこうした傾向と、クラフチェンコ事件にみられるような否認の間に、どれだけの距離があるであろうか。 これは、シンポジウムで発表された内容そのままではなく、発表中に紹介されたことを検索して確認し、自分なりの視点を盛り込んだものになっています。 ちなみに、シンポジウムではパリ第8大学の歴史・文学研究者、クロード・ムシャール(Claude MOUCHARD)名誉教授による「Retour sue l'affaire Kravchenko」という発表でした。 クラフチェンコ事件の詳しい内容について、主に参照したのは、Conscience politiqueサイト内、「Chapitre 3 : Kravchenko : "J'ai choisi la liberte !"」 戦後のフランスにおけるレジスタンスの状況は、渡邊啓貴著「フランス現代史」(中公新書)を参考にしました。 ※12月7日、訳の一部を修正 |
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(その1からの続き)
また、クラフチェンコ側証人として呼ばれたマルガレーテ・ブーバー-ノイマンの証言は非常に重要で、強い印象を人々に与えた。後の1949年、彼女はシベリアの強制収容所のことを綴った本(「Deportee en Siberie : Prisonniere de Staline et d'Hitler」)を出版するのであるが、フランスの多くの左派知識人はこれによって確信を揺るがされることとなる。シモーヌ・ド・ボーヴォワールはソ連強制収容所の存在を認めたが、他の多くの人々はこの事実をなかなか受け入れられなかった。 マルガレーテ・ブーバー-ノイマンは1901年ポツダム生まれ。ユダヤ教宗教哲学者マルティン・ブーバーの息子、ラファエル・ブーバーとの離婚の後、ハインツ・ノイマンと再婚(彼女の苗字は二人の夫の名を残している)。マルガレーテは1926年、25歳でドイツ共産党に入党。夫、ハインツは、ドイツ共産党の最高幹部の一人として、モスクワや中国で活躍していた。1937年、二人はナチスを逃れた先のモスクワでNKVDに逮捕された。その後、ハインツは消息不明で、裁判もされずに処刑されたのではないかと思われる。マルガレーテの方は、1938年に、シベリアのカザフスタン収容所で5年間の強制労働の刑という判決を受けた。後に独ソ不可侵条約が結ばれると、他のドイツ共産党員たちと共にゲシュタポに引き渡され、1940年、ラーフェンスブリュックの女性収容所へ送還。1945年の解放時、彼女は赤軍がやってくる前に収容所から脱出。その後、1989年11月6日に亡くなるまでフランクフルトで暮らした。ところで、マルガレーテ・ブーバー-ノイマンは、ラーフェンスブリュックの女性収容所で出会ったミレナ・イェンセスカーという女性のことを本にしている(「カフカの恋人 ミレナ」、「Milena」)。ミレナはカフカの恋人として知られており、カフカとの書簡が出版されている(「ミレナへの手紙」、「Lettres a Milena」)。 ミレナ・イェンセスカーは1896年8月10日、プラハに生まれた。翻訳家でありジャーナリスト。13歳で最愛の母を亡くし、22歳で父の反対を押し切って結婚。その後、父からの絶縁、ウィーンでの暗転した結婚生活、生活費を稼ぐ為のチェコ語の個人レッスンや駅での荷物運び、ジャーナリストとしての出発、カフカとの出会いと別れ、離婚、新しい恋人とのプラハへの帰郷、別れと出会い、再婚、出産と同時に闘病におけるモルヒネ中毒・・・と、波乱万丈の人生を送っている。1931年に共産党に入党するものの、矛盾を感じとり、5年後には脱退。1938年、ミュンヘン条約によってチェコスロバキアのズデーデン地方がドイツへ割譲された後、新聞に政治的な記事を書きつづけ、レジスタンスを呼びかけた。合法的手段にとどまらず、レジスタンスの秘密新聞に寄稿し、ナチスの支配下で虐げられる人々の逃亡計画を手助けした。1939年、ゲシュタポに逮捕され、パンクラーツの強制収容所へ送られる。そこからチェコのブルゼニ地方ベネショヴィツェ、次にドレスデンへと移送された後、証拠不十分で釈放されるはずであったが、ゲシュタポは彼女をラーフェンスブリュックの女性収容所へ送った。1944年5月、疲労困憊の末、健康状態が悪化し、収容所内で死亡。この二人の女性、マルガレーテ・ブーバー-ノイマンとミレナ・イェンセスカーは、状況に屈しない芯の強さが似ている。二人が心を通わせたのも頷けるような気がする。 二人とも、自国共産党の理想からかけ離れた、スターリン主義のソ連の現実を知っていた。マルガレーテはシベリアの収容所を体験したし、ミレナはソ連に足を踏み入れたことはないものの「ソ連に渡った数多くのチェコ共産党員たちはどうなったのか?彼らの多くは収容所に入れられていることがわかるときがくるのではないだろうか?」とモスクワ・ラジオの共産党員たちに呼びかける記事を書いている。 特にマルガレーテは、自分が経験したことを否定されるという局面に出会っても屈しなかった。ラーフェンスブリュックの収容所内で、他の共産党員たちに質問を浴びせられ、ソ連で受けた扱いについて隠すことなく語ったのであるが、誰にも信じてもらえず、逆に「裏切り者」のレッテルを貼られ、仲間はずれにされていた。それでも自分の真実を相手に譲ることはできなかった。(幸運にも、そのような状況の中でミレナに出会ったのであるが。)しかも、そうした否認に直面したのはラーフェンスブリュックの収容所だけではなかった。クラフチェンコ裁判の行われたフランスでも同じであった。 裁判中、マルガレーテ・ブーバー-ノイマンの証言に対して、「Les lettres francaises」側のノールマン弁護士は、ラーフェンスブリュック収容所の女性達を解放したのは赤軍であったことを述べ、形勢を立て直そうと試みた。彼は、ロシアやウクライナの農民たちの証言、強制収容所を体験した人々の証言が続く中、常に「それらはナチスのプロパガンダだ」と反論していた。すでに身体的な衰えが隠せなかったマルガレーテであるが、毅然としてノールマン弁護士に抗弁した。「幸運にも、私は彼らを待たなかったのです。逃亡しました。収容所の共産党員たちに、私はシベリアに送られるだろうと教えられたのです」と。 (続く) カフカと交流があったこともあり、ミレナ・イェンセスカーについては語られることが多いようだが、マルガレーテについてはインターネットで検索しても関連サイトは少ない。 「Litterature&Compagnies」のサイトで「Milena」の抜粋が読める(フランス語)→「Milena」 「Temoignages」のサイト内、ミレナ・イェンセスカーに詳しいページ(フランス語)→「1 - Milena Jesenska : un cœur ardent, un esprit lucide」 個人サイト内、ミレナ・イェンセスカーの生涯を綴ったページ(フランス語)→「Milena JESENSKA」 |
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先日のシンポジウムで取り上げられたテーマの中で、幾つか日本ではあまり知られていないらしいものがあったので、少し触れてみたいと思います。
その中の一つが、クラフチェンコ事件。これはフランスでは結構有名なようです。 クラフチェンコ事件は、元ソ連共産党員のヴィクトール・クラフチェンコが出版した暴露本に関連して起こった裁判が、当時のフランス社会を震撼させたもの。 以下、フランス語ウィキペディアのクラフチェンコ(Victor Kravtchenko)の項から。 ヴィクトール・クラフチェンコは1905年10月11日生まれ。エンジニアの資格取得後、ウクライナのドンバス地方で働く。1929年にソ連共産党に入党。第二次世界大戦中は赤軍で大尉を務め、その後ワシントンのソ連商工会議所に異動。1943年、アメリカ合衆国で政治亡命を申請した。この裏切り行為に、ソ連は彼の身柄引渡しを要求。しかし、アメリカは亡命を認め、クラフチェンコは追跡を逃れるため偽名を使って生活。その後、結婚し、二人の男の子をもうけたが、彼の過去のことは息子たちに知らされなかった。1946年、クラフチェンコは「I choose Freedom」という本を出版。この本の中で農業国有化の実態、ソ連の強制収容所の存在が暴露された。彼はスターリン政権下で行われた強制的な国有化の結果、ウクライナの農民たちが貧困を強いられている実状を目の当たりにしており、共産党に失望していたのである。この本はフランスでも翻訳され「J'ai choisi la liberte」というタイトルで出版され、物議をかもした。特に、当時勢力があったフランスの共産党の間からはクラフチェンコに対する多くの抗議が上がった。中でも共産党寄りの雑誌、「Les Lettres francaises」は、この本がアメリカ諜報部のでっち上げであると非難した。クラフチェンコはこの雑誌の記事に対して名誉毀損で訴えを起こした。1949年、「世紀の裁判」と言われたこの裁判は、100名以上の証人を集めた。ソ連はクラフチェンコの元同僚や前妻などを証言台に立たせた。一方、クラフチェンコ側はソ連強制収容所の生き残りを連れてきた。その中には、ドイツ共産党のリーダーだったハインツ・ノイマンの未亡人で、かつてグラクに送られた経験のあるマルガレーテ・ブーバー-ノイマンもいた。彼女の証言は、ソ連とナチスの近似性を告発する反共産主義を援護することとなった。1949年4月、クラフチェンコが勝訴。その後、彼はペルーに渡りエンジニアとして働いた。一財産を築いた後、アメリカ合衆国に戻ったが、彼の両親が強制収容所送りとなったことを知って酒浸りの生活を送った。1966年2月24日、アパートで死体が発見された。頭部に銃弾が撃ちこまれており、自殺とみなされた。しかしその死は謎であり、息子はKGBの仕業であると信じている。 このクラフチェンコ裁判は、非常にサスペンスと感情の盛り上がりが多い裁判であったという。これについて詳しく書かれたフランス語サイトより、以下、一部抜粋して要約。 この裁判に、ソ連が証人としてフランスへ送った前妻ジナイダは、クラフチェンコがアル中で暴力的であり、経済的援助を一切残さずに家族を捨てたのだ、と証言した。それに対し、クラフチェンコは、彼らの息子が人質になっている為にジナイダが自由に発言することができない、と反論した。そこで、クラフチェンコは彼女の父親がどこで亡くなったか、公のその場で言うように要求した。ジナイダはためらった後、1938年に肺炎で死んだと述べた。クラフチェンコは、それは嘘で、粛清のときに収容所に送られて死んだのだ、と叫んだ。クラフチェンコはジナイダに白状するよう繰り返し要求したが、前妻はそれ以上語ることを拒んだ。傍聴席はどよめき、共産党員たちはクラフチェンコを黙らせようとしたが無駄であった。ところで、ジナイダは常に小さな婦人に付き添われていた。ソ連はNKVD(内務人民委員部:ソ連の政治警察)メンバーの付き添い無しには市民を外国へ送らないのであって、それは「安全のため」と称した監視のためであった。その日の夕食の席で、ジナイダはついに泣き出し、フランス側のノールマン弁護士に「父親は収容所で死んだ」と打ち明けた。翌日、彼女は帰国させられた。 (続く) |
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PSに遅れをとり、世論調査でもセゴレンヌ・ロワイヤルにポイントを食われつつあるニコラ・サルコジ。先週半ば、予定していたより早く、もったいぶっていた立候補宣言をしました。ただし、UMPの中の候補者選びの候補になった段階。1月14日に党としての候補者を決定することになっています。ちなみに、日曜夜に国営放送France3で発表された世論調査の結果では、国民の46%がUMPの候補としてニコラ・サルコジを、33%がミッシェル・アリオ-マリーを望んでいるとのこと。首相のドミニク・ド・ヴィルパンはわずか3%。ただし、UMP支持者の中では、調査で二人を指名可能とした場合、ニコラ・サルコジが82%、ミッシェル・アリオ-マリーが34%、ドミニク・ド・ヴィルパンが23%を得ています。
また、2002年の大統領選に立候補した、UMP所属で社会共和主義フォーラム(FRS)のリーダー、クリスティーヌ・ブータンは、今回は立候補はせず、ニコラ・サルコジを後援すると発表。サルコジ氏の補佐に任命されたようです。ちなみに彼女は極右まで行かないけれど右の右といってもよい人。中道右派、UDFの党首、フランソワ・ベイルーも12月2日の土曜日、生まれ故郷のベアルヌ地方にて、やっと立候補を宣言。 統一候補を探している左の左は、結局各党から候補者が出るような気配。PCFは書記長マリー-ジョルジュ・ビュッフェを強く推しており、先々週、ジョゼ・ボヴェは立候補を諦めたと発表。PCF書記長の立候補取り下げを要求しつつ、極左LCRのオリヴィエ・ブザンスノを支持するようです。ビュッフェ女史は、何故自分が立候補を放棄しなければならないのか?一種の脅しではないのか?と非難。他方、ブザンスノ氏は、左派反自由経済主義の統一候補をたてる動きを拒み、自らの立候補の固い意志を表明。 統一候補議論から退いているVertsは、党内選挙でドミニック・ヴォワネが候補者に決まっていますが、 自然をレポートするTV番組で人気を博している環境保護派ニコラ・ユロを強く推す声もあり、曖昧な雰囲気になっていました。世論調査では、ヴォワネ女史よりもユロ氏の方がずっと支持率が高いようです。ユロ氏は、なるべくなら政治参加したくないと述べており、立候補に対してはやや消極的態度。が、先週末の党集会でヴォワネ女史が立候補維持を宣言しました。ニコラ・ユロが立候補するとしたら政党に関係なく出馬することになりそう。来年の始めに決断するとのこと。参照: Yahoo Franceより 「Sarkozy annonce sa candidature a la presidentielle et propose une "rupture tranquille"」(AFP) 「UMP: 46% des Français pour une candidature Sarkozy, 33% pour MAM」(AFP) 「UMP: Christine Boutin nommee conseiller politique de Nicolas Sarkozy」(AFP) 「Francois Bayrou se declare candidat dans son Bearn natal」(Reuters) 「Jose Bove renonce a l'investiture pour la gauche antiliberale」 (Reuters) 「Marie-George Buffet ne compte pas renoncer a sa candidature」(Reuters) 「Olivier Besancenot candidat a part entiere」(Reuters) 「Dominique Voynet réaffirme sa volonté d'aller au bout en 2007」(Reuters) 「Nicolas Hulot prefere rester en dehors des partis」(AFP) |
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「Denis historiques et travail de la memoire(歴史的否認と記憶の作用)」というシンポジウムが、昨日今日と二日間にわたって、パリ郊外のサン・ドニ県で行われました。今回、フランスの研究者だけではなく、日本と台湾、中国からも研究者が招かれ、ヨーロッパとアジアの様々な歴史の側面を紹介するシンポジウムとなりました。で、二日ともきっちり行ってきました(というかお手伝いを頼まれたので・・・)。
日本の歴史教科書についての話や、靖国問題、ヒロシマの話、フランスの植民地主義について、クラフチェンコ事件、文化革命に関する文学について、アルジェリアのフランス軍による暴力について、東ドイツと西ドイツの戦後状況の比較、などなど。 特に20世紀前半の世界大戦とその後に続く冷戦構造を軸として、アジアでもヨーロッパでも、植民地主義と戦争の記憶、その歴史の否定・否認などが指摘できる点で共通することが多いのは面白かったです。それと、歴史と地理に非常に弱いので、知らなかったことが色々とあり、単純に勉強になりました。 しかし、お手伝いとその準備でここ3日ほど死んでました。成果はあまり・・・? 東京大学からいらした先生方にちょっとお話をうかがうことができたりして、楽しかったです。うーん、しかし「何の研究をされているんですか?」とか聞かれるとまじでやばい。穴があったら入りたい心境。 今日はやっと終わって、ほっと肩の荷が降りたところですが、やっぱり連日の早起き(って普通の勤め人は起きている時間)は辛いっす。 |




























