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昨年の暴動と今年のバス放火

 2006-10-28
先月からパリ市郊外で警察官が襲われる事件が起こっています。
警官が暴行を受けた最初の事件では、サルコジ内相は「待ち伏せ(geut-apens)」による計画的犯行であるという見方を提示。しかし、実際は、ピザを食べるなどしてたまたまそこに集まっていた数人の若者たちが警察の車をみて投石を始め、最後には警察官に危害を加えるに到った、ということのようです。それに対して、その後の2件目3件目は、匿名の偽の通報で駆けつけた警察官が襲われており、こちらは罠だった可能性が高い。

また、ここ数日、郊外でバスへの放火事件が続いています。2人または複数の覆面をした男性が、乗客と運転手を脅して降車させ、バスが無人になるがはやいか火をつける、というもの。幸い障害のある乗客はおらず、全員すみやかに無事脱出することができたようです。この放火事件は、覆面しているということ、また時には野球バットなどで武装していること、複数名であることから、計画的な犯行であると考えられています。

これらを受けて、一部では「郊外の暴動、再燃か?」と言われているようですが、私自身は昨年の暴動と本質が異なると感じています。
昨年の一連の騒ぎと最近の事件は、「警察への暴力」「放火」という面で共通点があるように見受けられます。が、昨年はどちらかというと「警察との衝突」であったし、公共交通手段として機能中の客を乗せているバスではなく路上駐車してある自家用車への放火でした(昨年、運行中のバスへの放火事件もなかったわけではありませんが)。
昨年の暴動の広がりは、その中に一般の若者も多く巻き込んだため可能であったし、そのため社会的な現象ともいえるものになり、一部には「民衆蜂起」と呼んだ人たちもいました。つまり、「今までの社会的背景があって、自然と持ち上がった反応」と見る人が多かったわけです。
しかし、今年の複数の事件は、そういった視点ですんなり理解できない点があります。というのは、どうも「自然と持ち上がった反応」というか「理性より感情が先立った行動」という、昨年の暴動で解釈されたような面が、警官に罠を仕組んだり覆面をしてバスを襲うグループにあるように思えないからです。今年の事件にはそれ以上の悪意を感じてしまいます。こうした行為の犯人を、昨年のような「一般の若者(犯罪歴もなく特に警察にマークされていない若者)」というカテゴリーで括るのには無理を感じます。

他方、郊外に住む人々の生活の困難さや不満は、昨年からあまり変わっていないのではないかという感じです。例えば、相変わらず職業安定所(ANPE)や家族手当てセンター(CAF)がなかったり、相変わらず交通の便もあまりよくないため、距離の割にはパリまでやたら時間(特に通勤時間)がかかる、など。勿論、一朝一夕で改善できるわけではないでしょうけれど。

つまり、私が感じているのは次の二点。
まず、昨年の暴動と今年のバス放火事件を一緒くたにするべきでないのではないかということ、その行為の当事者たちを同じ分類に入れられないこと。
しかし、だからといって郊外の暮らしの状況が全く変わったというわけではないこと、郊外の生活の問題はまだ残っているということ。

ところで、昨日ちょっと触れましたが、サルコジ内相はロゼール県に赴き「記念日などない」と発言し、「何も破壊しないフランス」を称えたといいます。
そこでサルコジ内相は「多様性のフランスがあり、個々人が考慮され敬意を受けていると感じるべきである。バスに放火しないからといって、苦しみ、必要性、願望や要望がないわけではない」と述べ、町の人々に「あなたがたは公共機関を尊重するフランスです。公共機関に放火しようなどと誰にも考えつかない。何故なら公共機関は生活であると知っているからですね」と声をかけたそうです。更に「心配事はあるが、バス停を壊したり放火したりすることでそれを聞き届けさせようなどとはしない同国人に会いに来るというのは、素晴らしい象徴的訪問」と強調(自分のことを絶賛?)。クリシー・スー・ボワ市でジェッド君とブゥナ君追悼行進が行われた日、このあてつけがましい発言の中に見出せることが二つあります。

一つは、バス放火事件が相次いでいるパリ市郊外で住民が困難を抱えていることを、サルコジ内相は認識している、ということ。
もうひとつは、サルコジ内相が、放火事件の犯人をその地域の一般住民と同一視している、または一般市民の代表としてみていること。

サルコジ内相の発言にみられるこの二点と私が感じている二点は、微妙に交差しながら全く別の方向へとすれ違っています。

ところで、サルコジ氏発言の二つ目の点については、内相自身が昨年の暴動を「組織的行動」と糾弾し、「その地域の住民こそ犠牲者」としていたことと対照的。つまり、昨年は暴動の当事者を「悪者」として「一般市民」から分けたがっていたのに、今年はひとまとめにしたような発言を披露しているということです。ここに一つ、変化が見られます。
また、「共和国政府は、悪事を働く人々のことだけに心を砕いていられません。何も要求せず、尊重されているのをわかっている、数多くの無名の人々のことも気にかけています」という言葉、これはロゼール県で発せられたわけですが、パリ市郊外地域をその日に訪問せずにわざわざそこにいる意味を強調する文脈の中では、郊外の生活状況の困難さの改善は政策課題の第一ではないと言っているように聞こえます。しかし、昨年のサルコジ内相のパフォーマンス(メディアを引き連れての地域視察)は、郊外には治安の問題があり、それを最優先にすべきだと主張していたように見られていたのですが…。
これらの変化は、政策の転換…というより、大統領選に向けての戦略の転換の現れのような気がします(転換ですらなく、ただのその場の人気取りかもしれませんが)。ここに、サルコジ氏が「治安の悪化」を自分のポイント稼ぎの道具にしていたことが再確認されます。以前は、郊外の問題は重要だという態度をとっていたのに、治安以外の問題となるとそれに触れないようにし、そのうえ今では優先課題ではないといった態度をとっているのですから。
いずれにせよ、有権者獲得の戦略のにおいがします。と同時に、慎重さに欠ける彼の傾向を強く追認。この不器用さで大統領になれるんでしょうか?

蛇足ながら更に付け加えるならば、要求や心配事はあるけれど、放火しないどころか声もあげられないままフランス社会の底辺を支えている「無名の人たち」は他にもいるということ、それは文字通り「無名の人たち」つまり公的なアイデンティティのない人たちであるということが、サルコジ内相の頭の中にはないようです。(彼らには投票権がない=サルコジ氏の利益にならないから当たり前か。)

参照:
Yahoo Franceより

「Nicolas Sarkozy en Lozere, pour celebrer "la France qui ne casse rien"」 (AFP)
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