FC2ブログ

「知のイスラムの長き探求」

 2006-09-19
ローマ法王、ベネディクト16世が故国ドイツにて行った説法で、不適切と思われる発言(というか引用?)があり、問題になっていました。その後、ベネディクト16世は、バチカンでお詫びの言葉を発表したようですが、イスラム教的国家の怒りは収まらないようです。
ぜんぶ間接話法というか、聞いた話という形態で書いてますが、実際、私は法王がどんな言葉を使ったのか、原文にあたっていないので、なんとも言いかねる、という感想だからです。(その点、小林恭子さんのブログではきちんと検証されていてすごいなあと思いました。)

それでも、私がすぐに思ったのは、法王という立場で発言するにはちょっと慎重さに欠けるのでは、ということ。いくつかのブログを見ると、他の多くの人も同じような感想をもっていると見受けられるのですが、西欧とイスラムの溝が深刻化しつつある(と危惧されている)昨今、長らく西欧を統治してきた権威・権力であった宗教という意義をまとうキリスト教の最高位の人の言動としてどうなのか?と疑問に思います。

しかし、同時に、ムハマンドの諷刺画のときの暴動が思い起こされ、今回の民衆側における反抗も、自発的なものなのかどうか?(また政府とか権力機関の操作もあるんじゃないの?)と疑ってしまいます。

問題の発端が法王の発言にあるとしても、その内容を検分することもせずにすぐさまヒステリックともいえる反射的反抗デモで意志表示する人たちを見て、対立を越えようという気がないのかと思い、怒りのような悲しみのような暗い気持ちがこみ上げてきてしまいます。

アラーの名のもとにテロ行為を繰り返すこと、すなわちイスラム教の聖戦としてテロを仕掛けることが、キリスト教徒やユダヤ人といった異教徒だけでなく他のイスラム教徒に対しても暴力的な行為であり、そういうテロ組織が宗教の名をかたることへの批判には賛同します。

これはフランス的観点というか、フランス社会における一般的観点なのかもしれませんが、それもフランスにおけるイスラム教研究者の中から、こういった問題があるたびに悲痛ともいえる訴えが新聞にとりあげられることも一因だと思います。(メディアに操作されている面があるとも言えますが。)
今回は、ル・モンド記者アンリ・タンクとの対談形式で、アラブ世界研究者マレク・シュベルの言葉が載っていました。
マレク・シュベルは、アルジェリアとフランスで文化人類学、宗教史、精神分析を学び、イスラム教の自由主義的な考え方を擁護している人。(詳しくはフランス語ウィキペディアのMalek Chebelのページを参照してください。)

原題にある「Lumieres」は18世紀哲学で使われた言葉で、日本語ではそのまま「リュミエール」と表記されたり「啓蒙」と訳されたりします。その他、一般的には「知」という意味で使われます。今回、訳すにあたって迷ったのですが、「知のイスラム」としておきました。フランス語ウィキペディアによると、この「un islam des Lumieres」は、「イスラム教はひとが考えているよりも人道的であり、もっと理解しやすく、我々のもっと近くにあり、心や感情に語りかけるものであり、恐怖を撒き散らすためにあるのではない」ということを知ってもらおうというマレク・シュベルの考えにより、イスラム原理主義に対して彼が提唱するイスラムを現わしたものです。

メディアを見ていると、キリスト教最高位とイスラム教国家の諍いといった様相でしたが、イスラム教の側の中からこういう声を聞くと前向きな気持ちになれます。そして、フランスは、何度でも、こういう立場の人たちの発言を取り上げるべきだと思います。例えそれがフランス社会に感化されたイスラムの考えであると揶揄されるとしても。こうした言葉を世界に発することは、今の情勢、またこれからの情勢にとって、意義があり、対立の解決への出発点を準備するものになるのではと思います。

「知のイスラムの長き探求」 の続きを読む

スポンサーサイト



≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫