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サッカー考・ワールドカップによせて (国民的感情編) その1

 2006-07-17
先日書いたもの、「社会的イメージ編」とか名づけてますけど、社会的イメージとは関連薄かったかも。
ま、いーや、タイトル負けしてるのはいつものことです。

さて、先日、ル・フィガロのOpinion欄がジダン関係ばっかりだったと書きましたが、通常は記事が2つのところ3つあり(まあ3つのときも間々あるんですが)、特にシリーズ化してテーマを決めていないときは違う話題に関するものが並ぶことが多いのに、その日は全部ジダンまたはジダンの頭突きに関する記事。勿論、多くの人がショックを受けた事件であったし、あのインタビューのあった翌日であるし、ほとんどのメディアにそれに関する記事が多々現れ、色々な反応があり、色々な意見があり、それは当然のことだったと思います。でも、私は、あのOpinion欄にはうんざりしました。それは、先に紹介した哲学者の記事と、弁護士(フランソワ・シュロー)と神父(ジャン-マリー・プティクレール)の記事でした。弁護士のは、「巧みな頭突きで、我々の無礼に対する素晴らしい評判を復活させた(D'un heureux coup de tete, il a ressuscite notre belle reputation d'insolence)」というタイトルで、文学調にジダンを賞賛、メディアの気まぐれを皮肉り、頭突きを食らわせて退場したジダンのおかげで「国家の或る精神の勝利」を見た、という内容。最後のは、「道を誤ったアイドルを処罰した審判に喝采(Bravo a l'arbitre qui a sanctionne l'idole fourvoyee)」、つまり、ジダンは子供たちの模範となるべきで、あんな行為はするべきではなかった、すぐに処罰を与えた審判は偉い…とかなんとか。
「哲学者」「弁護士」「神父」が並んで出てきてジダンのことを語ってる時点で、私としては既に鼻白む感じなんですけど、「現代社会の空虚」とか「国家の精神」とか、そんなご大層なことを語られると更に…。結局、ジダンがあのように振舞ったことで「人間らしさが感じられた」「身近に感じられるようになった」と解釈される一方で、ジダンをシンボル化して語ることで盛り上がり、結局またイコン(聖像)化してるじゃん!と。無責任だなー、私たちって…。
それらは、解釈という意味では、精神分析と同じように恣意的で、星占いと同じくらい無責任なものだと思う(という直感)。

ところで、私もワールド・カップにおける熱狂について考えてみました。それが、この前書いた「もやもやと考えつつ、自分の中ではっきりしたこと」の二つ目。それは、「サポーターの熱狂と国民としての感情の関係」。
まあ、これもまた独り善がりな考察ですけどね。
長くなっちゃったので、区切りつつ。

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