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Qui etes-vous William Klein ? 4eme partie ~ウィリアム・クライン、お前は誰だ?その4~

 2006-01-30
1969年、クラインは招待されてアルジェリアに渡り、そこで行われたアフリカ文化の祭典の模様を撮影した。民族衣装で音楽を奏でたり踊ったりの祭典の様子を収めたフィルムは「Le festival panafricain de la culture」というタイトルがつけられている。
20060131001832.jpgまた、翌年の1970年、同じくアルジェリアで、ブラック・パンサー党の「文化大臣」、エルドリッジ・クリーヴァーをカメラで追った。クリーヴァーはFBIから逃れるためアルジェリアに亡命していた。クラインはクリーヴァーがカスバで折りたたみナイフを購入するのに付き合い、クリーヴァーは撮影中このナイフをいじくり、開いたり閉じたりして弄んだ。映画の中でクリーヴァーはアメリカ政府の転覆や「黒人が生き残る為にブラック・パンサーがリードする闘争」について話すが、まるで自分の闘争的美麗句に陶酔しているようであった。三日三晩、ひっきりなしにハシシを吸うクリーヴァーを捉えるショットは、まるで隠された真実を出現させようとするかのように、徐々にクリーヴァーに近づいていく。クラインの目には「アリは見せかけだけの道化で本物の救世主、クリーヴァーは見せかけだけの救世主で本物の気狂い」と写ったそうである。

アリといえば、クラインは1974年、彼の試合の模様を再び撮影している。ボクシングのチャンプ、カシアス・クレイのドキュメンタリー映画を撮ってから10年後のことである。
20060131002238.jpgカシアス・クレイはイスラムに改宗して名前をモハメド・アリに改めていた。そして、ヴェトナム戦争への徴兵を拒否したため3年間の懲役刑を受け、ヘビー級タイトルを剥奪された上、ボクシングをすることを禁じられた。リングから遠ざかっている間のアリがどのように過ごしているかとても気になっていたクラインは、ジョージ・フォアマンとの対決と聞いてザイールへ飛んだ。
フォアマンとの試合は、リストンとのそれよりももっと驚くべきものとなった。復帰以来、ぱっとした成績があげられなかった32歳のアリと、上り調子で無敵の25歳のフォアマンでは、アリに勝ち目がほとんどないと予想されていた。しかしアリはチャンプの座を奪還した。
その模様を撮影したクラインの映像は、カメラが常に動いており躍動感に満ちていて、その熱狂的な雰囲気を捉えている。

クラインは黒人のドキュメンタリー映画を3本撮っている。アリのドキュメンタリーの後、少し間をあけて、クラインは1980年に「Little Richard story」を製作する。
エルビス・プレスリーとビートルズの人気に押されて斜陽となり、クラインが映画を撮影した頃のリトル・リチャードは影がすっかり薄くなっていた。過去にはそのレコードがミリオン・セラーとなったミュージシャンは、いまやナッシュヴィルの白人カップルの家にやっかいになっていた。クラインが撮影している間に、リチャードは騙されていると感じて姿を消してしまった。クラインはこれに狼狽することなくハリウッドでリトル・リチャードそっくりさん大会を開き、撮影を続けた。リトル・リチャードの出身地であるジョージア州メーコンで、クラインは本人抜きで「リトル・リチャード・デイ」を催した。合衆国の南部の他の多くの町と同じように、打ち捨てられて寂しい町、メーコンがそこに現れる。

彼のドキュメンタリー映画の主題となった人物が黒人であることについて、クラインは「それは左派のユダヤ人ニュー・ヨーカーの、黒人に対する後ろめたさ。それと黒人への熱狂」と言っている。しかし、もしそれが根底にあったとしても、当時のアメリカ人が誰もスポットをあてて映画を撮ろうなどと思わなかった人物に、クラインは注目してドキュメンタリーを制作したのである。モハメド・アリは、まず黒人たちのスターであったが、当時でも国民的スターとして称えられてしかるべきだった。ところが、アリを引っ張り出してきてアトランタ五輪の聖火を灯させ、まるで新しい発見とでもいうように彼を国民の英雄扱いし始めたのは、彼が無害な人物となってからである、とクラインは言っている。
1998年のインタビューで、「フランスの現状を撮りたいと思いますか?」という質問に対し、「僕はフランスで外国人だし、他の人たちのようにフランスの政治について話すことができない」とクラインは答えている。しかし、あるアメリカ人たちのドキュメンタリーを撮ることができたのも、外国のアメリカ人だったからかもしれない。

(またまた…まだまだ続く)
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