ダニエル・ベンサイドの死とACT UP

 2010-01-24
ダニエル・ベンサイドの訃報の数日後、RUE89にまたもや彼に関する記事が。

ベンサイドが亡くなったのは「長い病気の末」というふうに、どの新聞でも記述されていて、何の病気だったのかは明確にわかりませんでした。唯一、Humaniteが「癌」と書いていたのですが。
実は、ベンサイドはエイズに感染していたのだそうです。

それを公表したのは、エイズに対する偏見をなくし、エイズに対する理解を求めようという団体、ACT UP。
ACT UPは、ダニエル・ベンサイドの死がエイズに起因するものであるのに、そのことに全く沈黙を保っているメディアに対しての怒りを表明。彼らが掲げる「silence=mort(沈黙=死)」を前面に出し、ベンサイドの病気に対して無言なメディアを批判しました。彼らによれば、死因がエイズであることを公表しないことは、エイズに対する差別的偏見が80年代から全く変わっていないことの表れ、とのことですが…。

正直、私はダニエル・ベンサイドがエイズだったことを知らなかったので、ショックでした。
ずいぶん昔に彼の講義を受けたことがある私は、まず、「いつから?」という問いが頭の中に浮かびました。私が講義を受けていた年、鼻の手術のためと言って休講したことがあったし、その翌年も忙しいとかで修士の学生の面倒見もあまり良くなかったのだけど、それは体調が優れなかったせいもあったような覚えがあるので、長いこと健康面で問題があったのかな、と思っていました。しかし、その頃からエイズだったのだろうか…。だとしたら、本当に長い間、大変な思いをしたのだろうな、という思いが、まず駆け巡りました。
ショックだったのは、そういうこと。ベンサイドに直接会っていたわけではないけれど、自分が「知らなかった」こと、彼が生きていた間にその生活の大変さをはかり知れなかったこと。
それは、ACT UPが心配するような「80年代から変わらない偏見」のせいではありません。

しかし、ベンサイド自身、ほとんど彼の病気について公表していないのです。
もしメディアが死因について触れていないのだとしたら、それは本人や近親者の意思によるものだと思うのです。そして、それには色々な理由があるのかもしれません。
だから、ACT UPのやり方は、ちょっと暴力的で感心できませんでした。
まあ、テロ的手法というか、人々に訴えかけるためには、反エイズ差別団体としてそういうやり方も効果的なのかもしれませんが…。

結局、ダニエル・ベンサイドの妻が、公表に際しての了承を打診されていないということで、ACT UPに苦言を呈しました。
ACT UPも、家族の了承を得ずに声明を出してしまったことを反省しているようです。しかし、声明の取り消しはありません。

実際、私もエイズについて知らないことが多いような気がします。でも、どうしてそんなに偏見があるのかよくわからない。「偏見」って、どういう偏見なんだろう?「触っただけでうつる」とか、そういう誤解に基づく偏見?それとも「同性愛者だけが感染する」という偏見?ある程度、エイズに対する知識は広まっていて、そんな偏見はもうないと思っていたのだけど…。

逆に「誰もダニエル・ベンサイドがエイズで亡くなったということに触れないのは、エイズが恥ずかしいことだと感じているからだ」と非難するACT UPこそ、80年代の偏見観念から脱していないのではないか、という気がします。

でも本当は、私が知らないだけで、もし実際に自分がエイズになったら沢山の偏見にぶつかるのかもしれません…。

関連リンク↓
Daniel Bensaid est mort du sida, rappelle Act Up
Fallait-il reveler que Daniel Bensaid etait malade du sida ?

訃報:ダニエル・ベンサイド

 2010-01-13
今朝、RUE89を見ていて思わず「えっ」と声をあげてしまいました。
ダニエル・ベンサイドが亡くなった、と…。

長い病気の末だとか。
そういえば、もうずいぶん前にベンサイドの講義を受けたことがあるけど、あの頃から何となく体が悪そうだったなあ…。もしかしたら、ここ数年、ずっと病気がちだったのではないだろうか。
とはいえ、去年の2月にはオリヴィエ・ブザンスノの新しい政党(NPA)を一緒に立ち上げているし、RUE89にリンクが貼ってあるインタビューを見ると、なんとなく元気そうだったのに。
そして、一昨年だっけ、アラン・バディウのサルコジ批判本が大ブレイクしたあと、同じ出版社の同じシリーズからベンサイドの本も出ていて、「なんかみんな最近頑張ってるなぁ」(しかし他人事)と感心したものだけど。

朝、出勤前の短い時間で拾い読みした感じでは、どちらかというと「極左政党のブレーン」という風に紹介されています。日本だと、もうちょっと哲学者よりのイメージだと思うのですが。
バリバリにトロツキスト、マルクスとウォルター・ベンヤミン専門家で、彼の書物が翻訳されて日本に伝わると、やっぱりそうなるのでしょうが、フランスでは政治活動に積極的に参加していた面にスポットが当たっているようです。ル・モンドのジャーナリストの短いインタビューの中で、「政治活動に参加した最後の知識人たちのうちの一人」と言っていますが、頷いてしまいました。

ところで先月、「エレーヌ・ベールの日記」を一冊いただいて、時間のあるときにちょっとずつ読んでいるのですが、鋭い考察の部分などがあって、ふと、「ベンサイドなどが提起してきたのも根底で共通しているものではないか」と思い、そして「こういうことを肌で感じて一生懸命に考えたり、真剣にこういう問題に取り組もうという人は段々いなくなってしまうのかもしれないな…」と考えてしまいました。そして、そういう人がいなくなったときにまた、人間の大きな過ちが繰り返されるのかもしれません。
(「エレーヌ・ベールの日記」については、後日また改めて書きたいと思います。)

それから、折しも、フランスの郵政省、LA POSTEの資本体制が変わること(公共株式?)が決まったとかいうニュース。
でも、そういうことに一番敏感に反応するのは、多分、オリヴィエ・ブザンスノ(自身も郵便局員だし)なんだろうな、そしてダニエル・ベンサイドもそうだっただろうな…そういう極左の人たちなんだろうな、そして一般の人たちは段々そういうことがどうでもよくなってきていて、それが普通の流れのように感じるのだろうな…なんて考えました。
こういう「時代の流れ」みたいなものを、本当にすんなりそのまま受け止めていいのだろうか?それが当然のように?
そして、「流されて」しまったら、どこかで何かを見落として、気がついたらまた「どこかで間違ってしまった」という社会にならないだろうか…?
ちょっと経済回復の萌しが見えたら、もう「資本主義は存続可能か?」なんて言っていた人たちの姿が消えてしまう。
「これからは反資本主義に可能性があるかもしれない」なんてアンチキャピタリストを持ち上げていた人たちはどこへ行ってしまったんだ!?

…などと、つらつらと色々考えてしまう今日この頃。

といって、私はベンサイドの本は読んだことないんだけどね…。

それにしても新年明けて2つ目のブログ記事が訃報とは。
お昼に会社で日本の新聞めくってたら、エリック・ロメール監督の訃報が出てて、これまたびっくりしました。
なんだか訃報が続きますねえ。やっぱり寒さが厳しいからな…なんて思ったり。

灰色の冬のパリ、さようならダニエル・ベンサイド…。
20080219bensaid1.jpg
(写真はRUE89から借用)

(以下、リンク先はすぐに読めなくなってしまうかもしれませんが、とにかく羅列します。)
Le Mondeより
Daniel Bensaïd, intellectuel engagé, est mort
Daniel Bensaïd, philosophe, cofondateur de la Ligue communiste révolutionnaire
Liberationより
Le théoricien de la LCR, Daniel Bensaïd, est mort
RUE89より
Mort de Bensaïd, référence intellectuelle de l'extrême gauche
L'Humaniteより
Daniel Bensaïd, philosophe et
militant, un intellectuel marxiste rare
(↑このユマの記事はさっき見つけたばっかりでまだ読んでない。これからゆっくり読もうと思う。)

2000年2桁

 2010-01-01
明けましておめでとうございます。
ブルターニュの初日の出の風景↓
P1020963_2.jpg
…というのは嘘で。
クリスマスの夕焼けです。

25日が祝日で、週末をはさんで5連休だったので、イブからブルターニュに行っていました。
そして29日の夜中にパリに戻ったのですが、なぜかあまり眠れず、30日は絶不調で仕事。帰ってベッド直行。そしたらEも具合が悪く熱があって一日寝込んでいて、もしや新型インフルエンザか?と思いきや、二人とも31日には回復。ブルターニュからの帰りの電車の中で食べた何かに当たったのかも。
大晦日は年越しそばを食べ、なんとか無事に楽しく新年を迎えることができました。

で、そんなこんなで、インターネット環境のないブルターニュの田舎家にいた後に慌ただしく時間が過ぎ、あっという間に新年になってしまい、メールでご挨拶いただいている方々には昨年中にお返事ができませんでした。この場を借りて言い訳しときます。ごめんなさい。

いやあ、しかし、もう2000年も二桁ですかあ。
「10年ひと昔」っていうけど、最近、さすがにやっと1999年が昔のことに思えるようになってきました。
気がつけばそれだけ年とってんだなあ。日々、忘れがちだけどこれからは気をつけようっと。

さて、今年は蠍座最強の年らしいけど、どうなのかしら。
ひそかに期待。
といっても、自力で運を開いていかないと何にも起こらないと思うけど。

と、そんな感じでだらだらしている元旦です。
今年もどうぞよろしくです。

新型インフルエンザ予防接種レジスタンス

 2009-12-14
この週末から急に気温が下がってびっくり。先週まで、折りたたみ傘を常に携帯していないと心配なくらい、どんより曇って雨が降ったりという、お天気のすぐれない日が続いて、そのかわり例年に比べてあまり寒くなかったのですが。きーんと寒くなっても、青空に太陽が出ている方が気持ちよいかも。

しかし、こう突然に寒くなると、体調を崩したり、ウィルス性の病気に罹りやすくなったりするので心配です。特に今年は新型インフルエンザが流行ってますからね〜。

フランスでも新型インフルエンザの予防接種が始まっています。妊婦さんや赤ちゃんのいるお母さん、肺疾患や糖尿病などの持病がある人などに続き、現在は子供や中高生の接種も始まりました。

最初は「予防接種を受ける」という人が多かったのに対し、新型インフルエンザの威力があまり強くなさそうということで、「受けない」という人の方が多くなったフランス。今はどうなんでしょう。フランスでは、医者に行くのではなく、公立の施設で日時を決めて集団接種をしているのですが、一時、予想以上に希望者が集まって、数時間並ばなければならない事態になったところもあるとか…っていう話だから、予防接種するという人の方が多いのかなあ。
しかし、私の周辺では「あんなよくわからないワクチン、打つのは嫌だ」と言って接種しない主義の人が多いです。

そんな雰囲気の中、RUE89で、赤ちゃんを持つ女性が、「予防接種をするように」という通知をもらって市民体育館に接種しに行ったらまだ開いてなかったり、医者の返事が曖昧で心配だったり…というレポートがあって、それもおもしろかったのですが、数日前、ル・モンドで、高校生が予防接種レジスタンス戦線を張っている(というと言い過ぎか?)という話(「Grippe A : "le vaccin ne passera pas par moi"」)を読んで、「フランス人っぽいなあ〜」と感心していまいました。

この記事によると、予防接種レジスタンス高校生たちが、フェイスブックで「予防接種を拒否する人たちの集まり」の輪を広げているのだとか。彼らの言い分は、「私たちは新しいワクチンの実験動物じゃない!」「国家にお金を儲けさせるためのワクチンに反対!」(私はこの辺がフランス人っぽいと思いました)といったもの。こうしたフォーラムでは、「愛はインフルエンザのようなもの、街中で引っかかってベッドで終わる」(「L'amour c'est comme la grippe ça s'attrape dans la rue et ça se termine au lit」)といった箴言まで作られているらしい。盛り上がっているようです。

日本ではそんな抵抗運動などあるのかしらん。

個人的には、死にそうなくらい辛い目にあったり日常に支障をきたすのは嬉しくないけど、一度罹って自然に免疫ができて生還するのが理想です。

フランス国立美術館ストライキ

 2009-12-06
ニュースをネットで見ていても全然気が付かなかったのですが、国立美術館がストライキをしているそうな。
日本人観光客に聞いて初めて知った。
テレビのニュースを見ていたら知っていたかな?

で、今日、RUE89にその関係記事が出ていて詳細を知った次第。ポンピゥーセンターの国立現代美術館、ルーヴル美術館、オルセー美術館、ロダン美術館、ヴェルサイユ宮殿、凱旋門、コンシェルジュリー、アゼルリドー城などが全面的または部分的に閉鎖されているらしい。雇用削減に反対してのストということです。政府は、50歳以上の雇用を減らし(定年退職した人の後の補充をしないということかな?)、監視員の代わりに監視カメラを使うなどして、美術館の人員を削減していく方針。

今日のル・フィガロの一面には、世界的に芸術作品の盗難や紛失、その後の密売などが増えていて、芸術界で問題になっているので、関係者の委員会みたいな集まりがあるとかっていう話が載ってたけど…美術館監視員の削減ってそういう時勢に反しているような気がする。

最近ニュースに疎い私は、「文化相って(『薄型テレビと同じくらいの値段なんだから現代アートを買おう』とか言ってアート商業活性化をはかろうとしてた)アルバネルだっけ」とあのおかっぱ頭のマダムを思い浮かべてちゃって、なんだかんだで話題にのぼっていたのに、内閣改造でミッテラン(甥)になってたことをすっかり忘れていました。ミッテラン(甥)って、文化相っていうか、ただのお飾りっぽいもんで(言い訳)。ああ、あのオッサンじゃあ、ますますダメっぽい。なんか頼りないんだよねー。言ってることに一貫性が感じられないし、ポリシーなさそう。

で、知り合いにポンピドゥーセンターの監視員をやっている人がいるのですが、短期契約(CDD)で2年ほど更新して、やっと念願かなって無期限契約(CDI)になって、仕事に不満はないし、雰囲気もいいし…ってとても喜んでいるので、「雇用削減」とか聞くと身近に感じてしまいます。彼女のポストは定年退職者の後釜だったから、もうちょっと遅かったらそのポストも削減されていたかもしれない。

実際、自分が観光客だったらどうだろう…と想像すると、美術館まわりを楽しみにしていたら、滅多にない機会なのだから、本当にがっかりするだろうし、ストライキの美術館員に対してむかつくかもしれない、と思います。
実際、美術館側もパリ在住者だけでなく、世界中から訪問者が集まってくるわけで、その入場料がかなりの金額になるはずだから、ストライキをされると損害も大きいはず。そういうインパクトがあると、ストライキがもつ意味も大きくなるわけで、逆に言うと、損害がでないと雇用者に訴える力も小さくみえてしまう。ということは、どうしても「犠牲」といえる人(客)が出てくるわけで、そうなるとやっぱり保守派の人がよく使うみたいに(私はこの表現、大嫌いだけど)「客を人質にする」ことになるのかなあ。

で、ここで問題なのは、やっぱりどれだけ「客」が理解できるか、ということなのだと思います。例えば交通機関のストがあったとして、要求のないストはないのだから、自分がそのストのせいで多少の苦労をしなければならなくなったとしても、その要求を通して労働者としてスト参加者に共感することがあれば、耐えられると思うのです。

でも、自分が制限された状況にいて、「普通なら」こうなると予想して計画していたことが「ストのせいで」全然実現できなくなったりして、自分の強い欲求と相容れなくなったら寛容しきれなくてやっぱり頭にくるかもしれない。

うーん。

観光客の方々には、だから、本当に残念なことだろうと思うのですが、それでも、人の生活とか信念とかがかかってますから、少しでも理解していただけたらなー…と思います。
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